光明頌榮 山村暮鳥 / 詩集「黑鳥集」始動
黑鳥集
[やぶちゃん注:「黑鳥集」(「こくちょうしゅう」と読んでおく)は「聖三稜玻璃」(せいプリズム)刊行前に企図され、大正一三(一九二四)年秋に校了したものの、同年十二月八日に山村暮鳥は逝去し、生前は未刊となった詩集である。三十六年経った戦後の昭和三五(一九六〇)年一月に昭森社より刊行された。
参考底本は昭和五一(一九七六)年彌生書房刊「山村暮鳥全詩集」(第六版)とし、今まで通り、恣意的に漢字を原則、総て正字化して示す。他に対照校合する資料を私は持たない。なお、ネット上には同詩集の電子化は見当たらないようである。底本の「黒鳥集」とある標題紙の裏には『大正二―四年詩篇から』という編者によるものと思われる注がある。]
光明頌榮
主は讚むべきかな
土からはひでた蛆蟲のおどろき
主は讚むべきかな
土からはひでた巖蟲のよろこび
主は嵩むべきかな
土からはひでた蛆蟲のなみだ
そらのあをさにかぎりはない
天つ日のひかりのなかを
これからどこへ行かうとするのか
蛆蟲よ
だがみかへるな
その來しかた
そこにおのづからなる道がある
ただ一すぢの無始無終の道がある
[やぶちゃん注:「光明頌榮」は「こうみやうしようえい(こうみょうしょうえい)」で、「頌榮」はラテン語の“doxologia”(英語:doxology)で、キリスト教で、様々な典礼で行われる「三位一体への讃美」に於いて歌われる賛美歌及びそこで唱えられる祈禱文を指す。本来は聖務日課で詩篇や聖書中の賛歌(カンティクム)が唱えられた後に付け添えられたものである。これは旧約聖書中にある自由奔放な詩歌をキリスト教での利用に適したものに作り変えたものであるらしい(ウィキの「頌栄」に拠る。詳しい祈禱文等はリンク先を参照されたい)。文字列は「光り輝く神の絶対の栄光」といった謂い。
「讚む」「ほむ」。]

