詩人・山村暮鳥氏 山村暮鳥
詩人・山村暮鳥氏
自分はいまびやうきで
その上ひどいびんぼうで
やみつかれ
やせをとろへて
毎日豚のやうにごろごろと
豚小屋のやうな狹い汚いところで
妻や子どもらといつしよに
ねたりおきたり
のんだり
食つたり
そしてやうやく生きながらへてゐるのだ
ほんとに豚だ
みよ、かうして家族は
みんな寢床にもぐりこんでゐる
一日のことにつかれてぐつすりと
大きな口をあけ
だらりと長い涎をながして
なんにもしらずに寢てゐる妻
その胸のあたりに
これもうまれたばかりの豚の仔のあかんぼは
乳房をさがして
ひいひと泣く
それから風つぴきの鼻汁を
頰つぺた一めんになすりつけ
ふんぞりかへり
お尻をぐるりとまるだしの
もひとりの女の子
おゝ、かあいい
よるはくさつたくだものゝやうだが
さすがにこのしづかさ
自分はいま
戸棚から子どもの蜜柑を一つ盜みだしてきて
あかんぼのおしめを炬燵で干しながら
むさぼるやうにそれを頰張り
皮だけのこして
口髭の汁をぬぐつた
ふかいよるだ
出埃及記もやうやく終はつた
さあこれから世界のひとびとのために祈りをさゝげて
ながながと自分も瘦せほそつた骨を伸ばさう
[やぶちゃん注:「びんぼう」はママ。歴史的仮名遣では「貧乏」は「びんばふ」であるが、山村暮鳥は一貫して「びんぼう」と表記している。以下、本全詩電子化まで、この注は略す。
「出埃及記」老婆心乍ら、「しゆつエジプトき」と読む。言わずもがな、旧約聖書の「創世記」に続く二番目の書で、イスラエルの民族指導者モーセが虐げられてきたユダヤの民を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描く。]