悲しき賜物 山村暮鳥
悲しき賜物
Ⅰ やつこ凧
ても麗(うらら)かなはるの空、
あの HIOSIGE のにしき繪(ゑ)の
江戸のま晝のためいきに
ついとあがつた奴凧(やつこだこ)。
まだ、どこやらにひんやりと
のこる素肌(すはだ)のわがうれひ、
ついとあがつた奴凧、
糸のほそさに、つれなさに。
[やぶちゃん注:「ても」感動詞で「「さても」の転訛した「それにしても・なんとまあ」の謂い。]
Ⅱ 六月
赤き夕日(ゆふひ)は膝にすべり、
物の影はかたむき、
わが憂愁は胸に充ちたり。
軒に眠りし蜜蜂と
正午(まひる)の微風とは飛去れり。
おお、雲雀!
絶壁の上の街(ちまた)よ。
かしこに沁みゆく反響より
輕き疲勞を示す光線、
六月は齲(むしば)まれたり。
(夜と夏とは快好(こころよ)く若き女のくちびるに
あまき暗示を吸はんとせり)
わが憂愁は充ちあふれたり。
おお、街の雲雀!
野には麥の穗長くのびたり。
見よ、その彼方(かなた)の爛壞(らんゑ)の空を……
Ⅲ 南風
夏は彼女のながく垂れた髮に流れ、
わたしは日每、
その影を、そうして悲しく憧憬(あこが)れた。
南風に船をうかべてしすかな心、
渚がない、
夢には渚はないが
さりとはゆかしき思ひ出。
影よ!
暴風(あらし)をまつ彼女の頸(うなじ)の白さに何處(いづこ)よりか蘆の葉ずれの、ささやく物があつて
疲れて眠る希望を見た、
海はただ微笑(びせう)を示したばかりに
Ⅳ 市街の白楊
たそがれ近く、
まだ、灯(ひ)のともらぬ入日の市街の霧にかがやく白楊は
秋となり、
何物よりも逸早(いちはや)く
はかない歡樂をつくして黃ばんだ。
風よ、吹くならしづかに!
ゆきどころのない氣壓は路傍(ろばう)の小さい渦(うづ)にさ迷へど、
地平は明るく、遠く晴れた。
あの紺靑(こんじやう)を見たまへ。
けれど、大空のごとき心の一面に、靑年のうすらさびしさ……たよりなさ……
Ⅴ 秋の庭園
庭に射(さ)すつかれた冬日の肌觸(はだざは)り、
うすら冷たい物の影に忍びよる風の沈默……
窓に跼(しやが)んだ猫の背をすべりながらも光りかがやく萌黃(もえぎ)の夏。
やはらかな毛のふくらみにやるせない風の沈默、
萎(しほ)れかかつた庭の雜草のいきづきと
神經の赤い蜩(かなかな)……
庭に射すつかれた夕日の
はださはり、
やすらかに匂ひくれゆく、
日向葵(ひまはり)の花のつれなさよ。
[やぶちゃん注:「萎(しほ)れ」はママ。]
Ⅵ 冬
BULLよ。汝の聲は將に入らんとする落日を黃に、木の葉を遠くさまよはせ、若き女性の眠れるが如くみゆれど纖弱(かよわ)く顫へて柔かに、萎れて匂ふ心に絡沁む。
BULL よ。汝の聲より
靑き、かなしき
思ひ出にうつれる甃石(しきいし)よ、
わが三階の窓は默(もく)してしづかに街燈(ぐわいとう)の赤き微笑をひたすら待つ。
[やぶちゃん注:「纖弱(かよわ)く」の「かよわ」のルビはママ。また「街燈」の「燈」は底本の用字。]
Ⅶ 放浪の時
濁りながらも、水はしつかに流れるものを……
もう、灯のついた電車が走る。
黃昏(たそがれ)の、うす紫の靄のとほりの混雜にまぎれて疲れた。
河岸(かし)の柳に背をよせて、
――また、あの暗い下宿やで淸人(チヤン)がぬくぬく抱いて寢る夜の女に、尺八のすすり泣くのでも聞かうか。
放埒(はうらつ)の弛みた私の靈魂(たましひ)よ。
かなしい眼ざめがないならば小鳥のやうであらうもの。何(なあ)んだ、朝(あした)はあしたの風が吹くのさ、
(なにをクヨクヨ河端(かはばた)やなぎ、
水の流れをみて暮らす。)
樹木(じゆもく)に乏しい向ふの家根の、紅いおほきな冬の日が今日(けふ)も今日(けふ)とて工場の煤烟(けむり)のなかへ落ちてゆく。
[やぶちゃん注:「淸人(チヤン)」「淸」は「チィン」であるから、当時の中国系の人々への半可通な差別呼称であろう。
「なにをクヨクヨ河端(かはばた)やなぎ、/水の流れをみて暮らす。」川端の柳よ、川の流れの如、嫌なことなんぞ、所詮、あっという間に流れていく、それを見て暮らすがまた楽し、という坂本龍馬が作ったともされる都々逸であるが、如何にもクサイ江戸趣味の浅いものだ。
「家根」「やね」。]

