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« 河岸   山村暮鳥 | トップページ | 祈禱   山村暮鳥 / 初稿本「三人の処女」詩篇~了 »

2017/03/18

悲しき賜物   山村暮鳥

 

  悲しき賜物

 

   Ⅰ やつこ凧

 

ても麗(うらら)かなはるの空、

あの HIOSIGE のにしき繪(ゑ)の

江戸のま晝のためいきに

ついとあがつた奴凧(やつこだこ)。

 

まだ、どこやらにひんやりと

のこる素肌(すはだ)のわがうれひ、

ついとあがつた奴凧、

糸のほそさに、つれなさに。

 

[やぶちゃん注:「ても」感動詞で「「さても」の転訛した「それにしても・なんとまあ」の謂い。]

 

 

 

   Ⅱ 六月

 

赤き夕日(ゆふひ)は膝にすべり、

物の影はかたむき、

わが憂愁は胸に充ちたり。

軒に眠りし蜜蜂と

正午(まひる)の微風とは飛去れり。

おお、雲雀!

 

絶壁の上の街(ちまた)よ。

かしこに沁みゆく反響より

輕き疲勞を示す光線、

六月は齲(むしば)まれたり。

 

(夜と夏とは快好(こころよ)く若き女のくちびるに

あまき暗示を吸はんとせり)

わが憂愁は充ちあふれたり。

 

おお、街の雲雀!

野には麥の穗長くのびたり。

見よ、その彼方(かなた)の爛壞(らんゑ)の空を……

 

 

 

   Ⅲ 南風

 

夏は彼女のながく垂れた髮に流れ、

わたしは日每、

その影を、そうして悲しく憧憬(あこが)れた。

 

南風に船をうかべてしすかな心、

渚がない、

夢には渚はないが

さりとはゆかしき思ひ出。

 

影よ!

暴風(あらし)をまつ彼女の頸(うなじ)の白さに何處(いづこ)よりか蘆の葉ずれの、ささやく物があつて

疲れて眠る希望を見た、

海はただ微笑(びせう)を示したばかりに

 

 

 

   Ⅳ 市街の白楊

 

たそがれ近く、

まだ、灯(ひ)のともらぬ入日の市街の霧にかがやく白楊は

秋となり、

何物よりも逸早(いちはや)く

はかない歡樂をつくして黃ばんだ。

 

風よ、吹くならしづかに!

ゆきどころのない氣壓は路傍(ろばう)の小さい渦(うづ)にさ迷へど、

地平は明るく、遠く晴れた。

 

あの紺靑(こんじやう)を見たまへ。

けれど、大空のごとき心の一面に、靑年のうすらさびしさ……たよりなさ……

 

 

 

   Ⅴ 秋の庭園

 

庭に射(さ)すつかれた冬日の肌觸(はだざは)り、

うすら冷たい物の影に忍びよる風の沈默……

窓に跼(しやが)んだ猫の背をすべりながらも光りかがやく萌黃(もえぎ)の夏。

 

やはらかな毛のふくらみにやるせない風の沈默、

萎(しほ)れかかつた庭の雜草のいきづきと

神經の赤い蜩(かなかな)……

 

庭に射すつかれた夕日の

はださはり、

やすらかに匂ひくれゆく、

日向葵(ひまはり)の花のつれなさよ。

 

[やぶちゃん注:「萎(しほ)れ」はママ。]

 

 

 

   Ⅵ 冬

 

BULLよ。汝の聲は將に入らんとする落日を黃に、木の葉を遠くさまよはせ、若き女性の眠れるが如くみゆれど纖弱(かよわ)く顫へて柔かに、萎れて匂ふ心に絡沁む。

BULL よ。汝の聲より

靑き、かなしき

思ひ出にうつれる甃石(しきいし)よ、

わが三階の窓は默(もく)してしづかに街燈(ぐわいとう)の赤き微笑をひたすら待つ。

 

[やぶちゃん注:「纖弱(かよわ)く」の「かよわ」のルビはママ。また「街燈」の「燈」は底本の用字。]

 

 

 

   Ⅶ 放浪の時

 

濁りながらも、水はしつかに流れるものを……

もう、灯のついた電車が走る。

黃昏(たそがれ)の、うす紫の靄のとほりの混雜にまぎれて疲れた。

河岸(かし)の柳に背をよせて、

――また、あの暗い下宿やで淸人(チヤン)がぬくぬく抱いて寢る夜の女に、尺八のすすり泣くのでも聞かうか。

放埒(はうらつ)の弛みた私の靈魂(たましひ)よ。

かなしい眼ざめがないならば小鳥のやうであらうもの。何(なあ)んだ、朝(あした)はあしたの風が吹くのさ、

(なにをクヨクヨ河端(かはばた)やなぎ、

水の流れをみて暮らす。)

樹木(じゆもく)に乏しい向ふの家根の、紅いおほきな冬の日が今日(けふ)も今日(けふ)とて工場の煤烟(けむり)のなかへ落ちてゆく。

 

[やぶちゃん注:「淸人(チヤン)」「淸」は「チィン」であるから、当時の中国系の人々への半可通な差別呼称であろう。

「なにをクヨクヨ河端(かはばた)やなぎ、/水の流れをみて暮らす。」川端の柳よ、川の流れの如、嫌なことなんぞ、所詮、あっという間に流れていく、それを見て暮らすがまた楽し、という坂本龍馬が作ったともされる都々逸であるが、如何にもクサイ江戸趣味の浅いものだ。

「家根」「やね」。]

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