譚海 卷之二 甲州強盜の事
○甲州或(ある)寺の住侶(ぢゆうりよ)、江戸に出て居(をり)ける折ふし、度々(たびたび)出火あるに付(つき)て物がたりせしは、江戸は出火おそろしけれども、是は力及(およば)ざる事也、在所にて押(おし)こみといふ盜賊こそ、いかゞともせんかたなきもの也と云(いふ)。それはいかにと云に、甲州の盜人(ぬすびと)は一人を三人づつのあてにして、三人有(ある)家へは九人くる也、十人有所へは三十人くるなどと云事にて、是非なく家内のものの盜人にとらへられ、その後(のち)盜人その家のあるじ、又は寺なれば住持などをとらへて、金子(きんす)をはたりとる也、それがその家其寺相應に金を出(いだ)しとらすれば難(なん)なし、もし金子なき時は、隱し置(おき)て出さぬ事と疑ひ、とかくあるじをせむる也、始(はじめ)は太刀など拔(ぬき)ておどしせむれども、猶(なほ)事ゆかねば、錐(きり)を持(もち)て指をさしこみせめはたりて、金のある所をいはせんとするの樣(やう)にする事なれば、金なきものはいか樣(やう)にわびても承引せず、終(つひ)にせめ殺さるゝ事也。江戸の出火おそろしけれ共(ども)、我(わが)郷(さと)の押込程恐しき事はなしとかたりぬ。
[やぶちゃん注:「はたりとる」「はたる」は「徴る」「督促る」などと書き、催促する・促(うなが)し責める・取り立てるの意。ここは明確に恐喝して奪い取るの謂い。しかも、一人に対して盗賊は三人が担当して十全に責め苛むというシステムである。]