家族 山村暮鳥
家族
わたしの家は庭一ぱいの雜草だ
わたしは雜草を愛してゐる
まるで草つぱらにあるやうなわたしの家にも冬が來た
鋼鐵(はがね)のやうな日射の中で
いのちの短いこほろぎがせわしさうにないてゐた
わたしらはそのこほろぎと一しよに生きてゐるのだ
日一日と大氣は水のやうに澄んでくる
いまはよるもよなかだが
こほろぎはしきりにないてゐる
わたしは寢床(ねどこ)の上ではつきりと目ざめた
子どもを見ると
子どもはしつかりその母に獅嚙みついてゐるではないか
そしてぐつすりねこんでゐる
おお、妻よ
お前もそこでねむれないのか
しんしんと泌み徹るこの冷氣はどうだ
もつとおより
一ツ塊(かたま)りになるまで
[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」。「せわしさうに」はママ。諸本最後から三行目の「しんしんと泌み徹るこの冷氣はどうだ」と勝手に〈訂している〉が、以前に述べた通り、これは誤りでないから、その変更には私は従えない。]