心 山村暮鳥
心
稗(ひえ)をぬかずば農人よ
こがねなす、
田の面(も)のひかり、
稗をぬかずば
淫慾にぬらす秘密の、
淚は朝の雨のごとし。
かなしみは光に黑く、
靈(たましひ)の上を長く。
農人よ、
空は唯、ひろしと言へど、
とこしへに汎きのみなる。
[やぶちゃん注:「秘密」の「秘」はママ。本文中で二度目なので以下は「祕」が出ない限りはこの注を略す。二ヶ所の「農人」はママ。彌生書房版全詩集も孰れも「農人」である。これを誤りと断じて「農民」に変える必要はさらさらないとは思うが(竹本寛秋氏の電子化データは何を元にされたのか不詳であるが、何故か二ヶ所とも「農民」となっている)、ただ、こう書いてあると、「のうじん」は如何にもな響きで、「のらびと」と私は訓じたくはなる。
「稗」農民は何故、ヒエ(単子葉植物綱イネ目イネ科キビ亜科キビ連ヒエ属ヒエ Echinochloa
esculenta )を抜くのか? 第一連で暮鳥は、抜かなければ田の面はもっともっと美しく黄金をなすではないかと言う(ヒエの穂は稲よりも幅が合ってこんもりしているからその通りとは思う)。これは恐らく、『野生種のヒエ属数種が重要な田畑の雑草であり、稲作がこれらの雑草の制圧に大きな労力を要したこと』(ウィキの「ヒエ」より引用)による除草作業である。そうしてそれは高く売れる米(稗は食用処理が煩瑣で味が落ちるとされて救荒食物ではあったが賤しい穀類と近代までされ続けてきた)を少しでも稔らせようとすることは欲張りな「淫慾」ではあるまいか? その「淫」の縁語で「ぬらす」と「秘密」が引き出され、稗の大きな「淚」のような実「は朝の雨のごとし」と表象されるのではないか? 「かなみは光に黑く」「靈(たましひ)の上を長く」(当初、私は句点があるところから「長く」を「ながびく」などと読むのではなどと思ったが、これは前行末の「黑く」と音韻上の並列と考えればよいのであろう)というのも、稗の実は熟してくると、田では稲よりもよほど色濃くて比較上は「黑く」見える。それが「淫慾」に基づく浅智恵の「秘密」であり、そこから生み出される「かなしみ」は、実は「黑」い「朝の雨のごと」き「淚」の粒、それこそが欲を起こした賤しい野良人らが賤しい雑草として引き抜いている「稗」の実なのだと暮鳥は言いたいのではあるまいか? 大方の御批判を俟つものではある。]