雷雨の時 山村暮鳥
雷雨の時
遠くからごろごろと
まるで何處かで籾磨りでもはじめたやうにきこえる
かみなりだ
かみなりだ
いい音だな
ほんとにひさしぶりできくんだ
ああ、いい
まあどうだい
なんといふすばらしい雲だらう
きつとかくれてゐたんだらう
山の背後から
むくむくともりあがつてでてきた
はやいもんだな
みるみる
もうあんなに擴がつた
ごろごろ、ごろごろ
ほんとにいい音だ
だんだんちかくなつてくるやうだな
や、ひかつたぞ
あれ、あれ
畑の百姓達がどうだい
鍬や肥桶をひつかついで
ぴよんぴよん
ぴよんぴよん
機蟲(バツタ)か蝗のやうに逃げだしたつてば
ああ、いい
たうとう雲は
自分達のあたまのうへまでかぶさつてきた
墨汁をながしたやうな雲だな
ああ、いい
あ、あ、縣道をおもちやのような
自轉車やじんりきのはしること
犬も驅けてゆく
豚もかけてゆく
あの荷馬車はどうしたんだらう
畜生がいふことをきかないんだな
おや、寢ころんでしまつた
あれでは
馬方も氣が氣ではあるまい
そんなことにはとんちやくなく
かみなりはごろごろ
いなびかりはぴかぴか
あの彼方の森や田圃のはうは
いままではつきりとみえてゐたつけが
たちまち
ぼかしたやうになつてしまつた
もうふつてゐるんだらう
おや、そんなことをいつてゐるまに
ぽつり、ぽつり
ここまで、や、落ちてきた
はやいもんだな
威勢のいい雨だな
まつたく豆熬りでもしてゐるようぢやないか
ああ、いい
ああ、いい
おうい、干物をはやく取りこめ
なかなかの大粒だぞ
底拔けにやつてきそうだぞ
ぱらぱら
ぱらぱら
ああ、いい
かみなりがなんだ
いなびかりがなんだ
みんな、だれもかも素裸になつて
とびだせ
とびだせ
いきかへれ
ああ、いい雨だ
いい夕立だ
これのとほりすぎたあとの
そのすがすがしさもおもふがいい
からりと洗ひきよめられたやうな蒼空に
大きな虹
そこで世界が
おとぎばなしの國になるんだ
おう、生きてゐることのありがたさ
これだから
これだから
なんといつても
生きることはやめられないんだ
それはありがたすぎるほどでさえある
ああ、いい
[やぶちゃん注:「縣道をおもちやのような」、「まつたく豆熬りでもしてゐるようぢやないか」、「底拔けにやつてきそうだぞ」、「それはありがたすぎるほどでさえある」はママ。
「あの彼方の森や田圃のはうは」彌生書房版全詩集では「彼方」に「むかう」とルビする。
以下、彌生書房版全詩集版を示す。
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雷雨の時
遠くからごろごろと
まるで何處かで籾磨りでもはじめたやうにきこえる
かみなりだ
かみなりだ
いい音だな
ほんとにひさしぶりできくんだ
ああ、いい
まあどうだい
なんといふすばらしい雲だらう
きつとかくれてゐたんだらう
山の背後から
むくむくともりあがつてでてきた
はやいもんだな
みるみる
もうあんなに擴がつた
ごろごろ、ごろごろ
ほんとにいい音だ
だんだんちかくなつてくるやうだな
や、ひかつたぞ
あれ、あれ
畑の百姓達がどうだい
鍬や肥桶をひつかついで
ぴよんぴよん
ぴよんぴよん
機蟲(バツタ)か蝗のやうに逃げだしたつてば
ああ、いい
たうとう雲は
自分達のあたまのうへまでかぶさつてきた
墨汁をながしたやうな雲だな
ああ、いい
あ、あ、縣道をおもちやのやうな
自轉車やじんりきのはしること
犬も驅けてゆく
豚もかけてゆく
あの荷馬車はどうしたんだらう
畜生がいふことをきかないんだな
おや、寢ころんでしまつた
あれでは
馬方も氣が氣ではあるまい
そんなことにはとんちやくなく
かみなりはごろごろ
いなびかりはぴかぴか
あの彼方(むかう)の森や田圃のはうは
いままではつきりとみえてゐたつけが
たちまち
ぼかしたやうになつてしまつた
もうふつてゐるんだらう
おや、そんなことをいつてゐるまに
ぽつり、ぽつり
ここまで、や、落ちてきた
はやいもんだな
威勢のいい雨だな
まつたく豆熬りでもしてゐるやうぢやないか
ああ、いい
ああ、いい
おうい、干物をはやく取りこめ
なかなかの大粒だぞ
底拔けにやつてきさうだぞ
ぱらぱら
ぱらぱら
ああ、いい
かみなりがなんだ
いなびかりがなんだ
みんな、だれもかも素裸になつて
とびだせ
とびだせ
いきかへれ
ああ、いい雨だ
いい夕立だ
これのとほりすぎたあとの
そのすがすがしさもおもふがいい
からりと洗ひきよめられたやうな蒼空に
大きな虹
そこで世界が
おとぎばなしの國になるんだ
おう、生きてゐることのありがたさ
これだから
これだから
なんといつても
生きることはやめられないんだ
それはありがたすぎるほどでさへある
ああ、いい
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