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2017/03/28

蟻をみて   山村暮鳥

 

       蟻をみて

 

(赤銅のやうな秋の日のことは

すべて眞實をこめ

すべてゆめで

そしてわたしをひきつける)

 

けふもけふとて

わたしはいつものやうに

海のみえる

その丘つゞきの

松林の中をあるいてゐた

まあなんといふ

たくさんの蟻だらう

わたしの足はぴたりととまつた

地膚もみえないほど

密集した蟻のかたまり

まつくろなそのかたまり

それが

わたしのまへをよこぎつて

動いてゆくのだ

それがどこへゆくのか

わたしはそれについてあるきだした

 

そこからすこしゆくと

一本の木かげに

孔があつた

孔は砂崩れの崖の上にあつた

 

蟻の群集はぞろぞろと

せはしさうにその孔に這いつた

はいつたかとみると

こんどはその一ぴき一ぴきが

白い幼蟲をくはへては

おゝ千萬無數の蟻

それがぞろぞろとはひだしてきた

その口にくはへた幼蟲こそ

わたしらがこどもの頃

穀物の俵だとおもつてゐたそれだ

 

一ぴきが一つづつ

その俵をくちにくはへて

いそいでまたも

いましがたきたほうへとひきかへした

ぞろぞろと

みよそのすばらしい行列を

 

それをみつけて

それらよりずつと大きい一ぴきが

そのすがたを

消したとみるよりはやかつた

大きな蟻の群集の

あはたゞしくそこにあらはれたのは

そしてあらあらしく

小さな蟻に飛びかゝつたのは

小さな蟻はにげだした

逃げながらも

よくふせいだ

よくたゝかつた

たちまち

あたりは一めん

みるも慘らしい戰場となつた

 

わたしはみた

縱橫とかけまはつて

大きな蟻があらゆる狂暴をはたらくのを

けれどもう

小さな蟻の大部分は

その幼蟲をしつかりくはへて

すでに遠く

逃げのびてゐた

 

わたしはみた

たくさんの嚙殺された小さな蟻を

それらの死骸がひきづられて

大きな蟻にもちさられるのを

 

逃げおくれた小さな蟻はことごとく

そこにたほれた

稀には敵の目にもとまらないで

つゝがなく

味方のあとを追ふ

幸運のものもあつたが

大方はみるかげもなくそこにたほれた

 

あるものは

幼蟲をうばひとられて

怒り狂ひ

敵に嚙みつき

うちたほされ

あるものは

にげまどひ

小さな木のてつぺんまで

逐ひつめられて

つき落とされた

 

山のやうなところを匍ひのぼり

谿のやうなところをこえて

まつくろな一塊の

蟻の群集は

とほくとほく

戰場より二三十間もへだたつた

松の古木のその根もとの

新らしい巣へとむかつた

 

それは勇しい群集であつた

そのながながしい行列

その行列は歩調を亂してゐなかつた

一ばんあとから

いそいでつゞいた

二三びき

その二三びきはひどく負傷でもしてゐるのか

どれも跛(びつこ)をひいてゐた

それでもくちの幼蟲は離さなかつた

もうそれぎりかとみると

また一ぴき

それは二本とも脚がなかつた

ごろごろところがり

ころがりながら蹙つてゐた

 

いちはやく

新らしい巣へぶじについたものは

後からの仲間を氣づかつて

でてきた

そりて遭ふものごとに

髭をふつては挨拶し

たがひによろこびをかはすやうに見えた

疲れたものに手傳つたり

路ばたで

たほれてゐるものをみつけては

それらをはこんだり

 

そして一ぴき殘らず

すつかりその巣へはいつてしまふと

ときどき

敵は來ないかと

一ぴき二ひきがそつと

孔の口まで

でてみるばかり

もうその心懸りもないので

ひつそり靜穩(しづか)なつた

 

ふたゝび戰場へ來てみると

そこにはまだ

獰猛な蟻めがうろうろと

小さな蟻をさがしあるいてゐた

孔孔のいり口近く

なかをのぞいてはみるが

その中にはいつてゆくほどの強者はない

孔には

まだ生きのこつて

小さな蟻がゐるのだ

殘壘を死守してゐるのだ

 

けれどそれも

ほんのしばらく

大きな蟻がゆうゆうと

引き上げてかへると

ここもまたうつくしい霧のやうな松風の中で

蒼空もねむつてゐる

爽かな松林であつた

 

(赤銅のやうな秋の日のことは

すべて眞實をこめ

すべてゆめで

そしてわたしをひきつける)

 

わたしは

砲烟彈雨の間を

くゞりむぐつてきたものだが

なんにも知らなかつた

わたしは

けふはじめて

蟻のはげしい戰鬪(たゝかひ)をみて

手に汗をにぎつた

 

[やぶちゃん注:第六連六行目「あはたゞしくそこにあらはれたのは」の「あはたゞしく」、第八連三行目「それらの死骸がひきづられて」の「ひきづられて」、第九連二行目「そこにたほれた」と同最終行「大方はみるかげもなくそこにたほれた」の二ヶ所の「たほれた」と、その次の第十連五行目「うちたほされ」及び第十三連の終りから二行目の「たほれてゐるものをみつけては」の「たほれて」も総てママ。

第四連二行目「せはしさうにその孔に這いつた」の「這いつた」は「はひいつた」(這い入った)と読んでいるものと思われる。

第九連四行目「つゝがなく」は実は原典では「つゞがなく」となっている。これは「つつがなく」(恙なく)で原稿或いは植字のミスと断じ、特異的に訂した。彌生書房版全集も「つゝがなく」となっている。

第十一連六行目「二三十間」約三十七~五十四メートル半。

第十二連最終行「蹙つてゐた」「ちぢまつてゐた」と読む。脚を体側側(がわ)に縮めていたのである。昆虫類の仮死や死に至った際の典型的な姿勢である。

第十三連六行目「髭」触角。

最終連三行目「くゞりむぐつてきたものだが」の「むぐつて」は「潛(むぐ)る」で「潜(もぐ)る」に同じい。]

 

 

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