航海の前夜第二篇 榲桲の匂ひ 山村暮鳥
榲桲の匂ひ
とりちらされた机の上の榲桲(まるめろ)より‥‥‥
ちからなき瞳を閉ぢれば、榲桲の
黃の微笑なつかしく、
さ迷ひしのぶ黑き冬の日。
一日を忘れ殘れる、水盤の泡の樣な女。
見よ、あまい疲れにうるむ唇、
綠りの髮柔かく
まろき頰に
頸(うなじ)に
肩のほとりに。
とりちらされた机の上の榲桲より……
…………
ああ、榲桲の匂ひより
重き眼瞼を見乍らこのままに死なうとおもふ。
[やぶちゃん注:「航海の前夜」五篇の第二篇。
「榲桲」バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ属マルメロ Cydonia oblonga。一属一種。ウィキの「マルメロ」によれば、中央アジアを原産とし、『果実は偽果で、熟した果実は明るい黄橙色で洋梨形をしており』、長さ七~十二センチ、幅六~九センチあり、『果実は緑色で灰色~白色の軟毛(大部分は熟す前に取れる)でおおわれている』。『果実は芳香があるが強い酸味があり、硬い繊維質と石細胞のため生食はできないが、カリンと同じ要領で果実酒(カリン酒に似た、香りの良い果実酒になる)や蜂蜜漬け、ジャムなどが作れる』とある。
「眼瞼」「まぶた」と訓じておく。]

