勤行夜牀章 山村暮鳥
勤行夜牀章
Gよ、自鳴鐘(とけい)は六を打つた。
その悲しい柔らかな光で洋燈(らんぷ)は
蒼褪めた私に嫉妬を描いた。
ながれる光が私のまぶたに溢れ、
私の好む沈默が渦を卷くと、
不思議な花は萎む。
Gよ、(信實は走る季節より迅速(すみやか)にそして
憎らしいものだ)
けれどお前の圃(はたけ)に蒔いた種子(たね)を
私は悔んで、それに
淚をかけ樣とは思はない。
おお、愛の種子、悲哀の種子、
光を永遠な土にかくれて呪ふ種子、
それは眞晝であつた。
一すぢの髮毛の夢で、
私がそつと生命(いのち)をつないだのを
知つてるかい。眞晝であつた。
床の上が靑空になり、
玉の樣な靈魂の肌はすすり泣きして
眠る情緒の瞳を刺通した、
あの邪惡な銀の投槍で。
一秒すぎ、二秒、三秒‥‥
どうしたものだ。黑い雪は
もはや降つてしまつて、
おお、自鳴鐘は七を打つた。
お前はつひに來ないつもりだな、
それでゐて、唯、うれしさから、
その、私も權利のある
孤獨の果實(このみ)を落すのだろ。
いいさ、私はどうせ千鳥だもの、
でもGよ、つひ、忘れかねてはあの海を
甲斐もなく呼んでみるのだ。
春を待つ感覺に
再び靑い希望の甦(よみがえ)るまで‥‥
おお、自鳴鐘は八を打つた。
またと歸らないものは
美しい線を引く、
おお、自鳴鐘は九を打つた。
私はあきらめまして、お月樣。
その憂欝の誘惑(いざなひ)が
雨となつたら私の頰はぬれますほどに
私は洋燈(らんぷ)を消しますぞえ、
おお、お月樣。
怜悧(りこう)で、浮氣な、お月樣。
[やぶちゃん注:原典の本詩篇は何か異常に酷い誤植が多い。そのままでは読めないので特定的に複数箇所を彌生書房版全詩集で訂した。以下、リストする。
・第一連三行目「嫉妬」 →(原典)「嫉姑」【誤植と断じて訂正】
・第二連三行目「不思議な]→(原典)「不思護な」【誤植と断じて訂正】
・第四連一行目「一秒すぎ」→(原典)「一秒ぎ」【脱字と断じて訂正】
・最終連一行目「打つた」 →(原典)「折つた」【誤植と断じて訂正】
なお、第五連五行目の「甦(よみがえ)るまで」のルビの誤りは、現行では最早、判読の不自由や躓きとなるとはあまり思われないのでママとした(歴史的仮名遣としては「よみがへ」でなくてはならない)。
このGよ、(信實は走る季節より迅速(すみやか)にそして
憎らしいものだ)
の部分は、
Gよ、(信實は走る季節より迅速(すみやか)にそして憎らしいものだ)
と一行で記されてある。確かに原典では左頁末行「このGよ、(信實は走る季節より迅速(すみやか)にそして」で、直下にノンブルが配されて塞いで、開いた裏頁に「憎らしいものだ)」が続いている。しかし、こういう場合に連続した一行を示すためにしばしば行われる一字下げが、ここには施されていない。従って私はこれを改行で示した一行として示すこととした。そうして、それによって重大な読み違いや解釈の相違が生ずるとは思われず、寧ろ、「憎らしいものだ」という感懐が改行によってより鮮明にされる効果さえあることから、私はこの改行を強く支持するものであることをここに主張しておく。
「勤行夜牀章」総て音で「ごんぎやうやしやうしやう(ごんぎょうやしょうしょう)」と読みたい。「夜牀」は「よどこ」(夜床)と訓ぜられるが、「ごんぎやうよどこのふみ」では浄瑠璃の外題みたようで、そりゃ、あかんて。
「G」不詳。]

