星 山村暮鳥
星
わたしは天(そら)をながめてゐた
なつのよるの
海のやうな天を
陰影(かげ)の濃い
日中のひどいあつさはどこへやら
よるの凉しさにひたつてゐると
まるで靑い魚のやうだ
かきねのそとでは
ひよろりと高い蜀黍(もろこし)が四五本
水のやうなそよかぜに
廣葉をばさばささせてゐる
さかりのついてる豚が小舍からぬけでて
ぶうぶううろつきまはつてゐる
きまぐれな蟋蟀(きりぎりす)が一ぴき鳴いてゐる
もう秋が
すぐそこまできてゐた
こどもをねかしつけてゐた妻が
こどもがねついたので
跫音を盜むやうにそこへでてきた
すつかり晴れましたね
わたしはだまつてゐた
なんて綺麗なんでせうね
いつみてもお星樣は
わたしはそれでもだまつてゐた
わたしはそれをうるさいとさへおもつた
すつきりと澄透つた心を
搔きみだされたくなかつた
わたしは天をながめてゐた
妻は心配さうに低く
わたしの顏をのぞきこんで言つた
どうかなすつて
その聲はしめつてゐた
すこしふるへてゐるやうだつた
けれどしんみりと美しかつた
わたしははつとした
そして跳返されたやうに口を切つた
まあ見な
永遠の寂しさだ
たゞそれだけ
それぎりわたしはなんにもいはず
妻もまたなんにもいはず
あたりはしいんと
天では星がきらきらしてゐた
ふたりはそれをながめてゐた
星はもう
どれもこれも
みな幸福さうであつた
みな幸福にみたされてきらきらしてゐた
おほきいほし
ちひさなほし
一つぽろりとひかつてゐるほし
たくさん塊つてゐるほし
わたしはうれしくつてうれしくつて
なみだが頰つぺたを流れた
妻をみると
妻も瞼をぬらしてゐた
わたしはたうとうたまらなくなつて
びつくりしてゐる妻をぎゆつと抱きすくめた
だきすくめられて
妻は深い溜息をもらした
わたしはそれをはつきりと聽きとつた
わたしは言つた
これ、こんなに手が冷くなつた
妻はそれにこたへるでもなく
だがさゝやくやうに
もうよほど遲いのでせう
幮の中のこどもがごろりと寢がへりを打つたやうだ
星が一つすうつと尾を曳いてとんだ
こんどは妻が言つた
ほんとにねるにはをしいやうですね
ほそぼそと泌みこむやうな
純らかなその聲
わたしはほろりとして消えてしまひたいやうな氣持で
而もきつぱりと
首でも縊るならこんなばんだ
けれど生きるといふことは
それ以上どんなにすばらしいことだか
星は一つ一つ
千萬無數
まるで黃金(きん)の穀粒でもふりまいたやうだ
ばらばらとこぼれおちさうだ
それが空一めん
そしてきらきらとひかつてゐた
わたしたちはねるのもすつかりわすれてしまつて
冴えざえした目で
しみじみ天をながめてゐた
よるのふけるにしたがつて
星はいよいよ
強くきらきら光りだした
もう草も木もひつそりした
さつきの豚もきりぎりすもどこへかゐなくなつて
めざめてゐるのは星ばかりだ
それをわたしたちはながめてゐた
手をのばしたら指尖にでも吸ひつきさうにみえる空、そして星
おきたやうだよ
さうですね
わたしたちはこどもの泣き聲におどろかされて
またべつべつの二人になつた
もうねようか
えゝ
妻はいそいで幮にはいつた
そして中から
おさきへといつた
それをきくとなんとなく、ただなんとなく
どうしてもたちあがらないではゐられなかつた
わたしはたちあがつた
雨戸をぴしぴししめながらも
わたしは天をながめてゐた
それから寢床に這ひこんで
ごろりと橫になるにはなつたが
わたしはまだ天をながめてゐた
もうねたかい
返辭がない
わたしはめをとぢた
天の星はひときはきらきらとひかりはじめた
[やぶちゃん注:「幮」は「とばり」と読む。「帳」に同じい。蚊帳である。
「純らかな」「きよらかな」。]

