柴田宵曲 妖異博物館 「雁の財布」
雁の財布
「想山著聞奇集」にごたごた長く書いてあるが、要約すればかういふ話である。伊勢の神戸の郷村に久兵衞といふ老農があつたが、八兩ほどの年貢の金に詰つて才覺が付かぬ。十六歳の娘が自ら進んで勤め奉公に出ようと云ひ出した、一身田の旅籠屋四日市屋市郎兵衞方へ、三箇年金六兩二分で賣り渡すことになる。身の代金を財布に入れて懷中し、中野村といふところまで歸つて來ると、菜畑に下りてゐた數羽の雁が、久兵衞を見て逃げようとする拍子に、一羽の足に繩がからまつてばたばたしてゐる。あたりに人が居らぬので、畑へ入つてその雁を手捕りにし、〆め殺さうとしたが容易に死なぬ。無理に懷ろへねぢ込み、財布の紐で首を縊つて足早に步くうちに、草鞋の紐が解けてしまつた。腰をかゞめて紐を結ぶ久兵衞の懷ろから、雁が飛び出るなり、羽を伸して逃げ出し、遙かの空へ舞ひ上る。驚いて後を追つたけれども及ばなかつた。この雁は濱邊まで逃げて漁師に捕へられ、今度は本當に〆め殺される。財布も中の金も無事であつたが、中の書付により、娘を賣つた金とわかつたので、市郎兵衞を訪ね、賣主の久兵衞のところへ屆ける。これから一兩損の裁判のやうになつて、兩者が金を讓り合ひ、結局漁師は骨折代の二朱だけ貰つて歸る。この事が領主の耳に入り、漁師には靑緡(あをざし)五貫文、米五俵を褒美として下され、久兵衞も禁獵地で雁を捕つた罪は問はず、さういふ苦しい思ひをして才覺した金を辭讓したる段感心であるといふので、これも靑緡五貫文下し置かれる。如何にもありふれた筋である。三好想山も多少氣になつたと見えて、「此一條は戲場の作り狂言のやうなる事なれども、左にあらず、我知音中村何某、其頃は實方津の藩中に在時の事にて、近邊故現に其事を見聞して、よく覺え居て、具に咄せし珍事也」と斷つてゐる。
[やぶちゃん注:「伊勢の神戸」「かんべ」と読む。現在の三重県鈴鹿市神戸。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、現在のそこよりもかなり北の外の「郷村」でないと、次の「一身田」と距離が合わぬ。
「一身田」現在の三重県津市一身田町(いっしんでんちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「靑緡(あをざし)」穴あき銭に紺染めの細い麻繩を通して銭を結び連ねたもので、これ五貫文というの当時、善行を行った民に対して官から褒美として与えられたものであった。「五貫文」は当時、一両の半分に相当した。
以上は「想山著聞奇集」の「卷の四」の「雁の首に金(かね)を懸(かえ)て逃行(にげゆき)たる事 幷(ならびに)、愚民の質直(じつちよく)、褒美に預りたる事」。【2017年5月30日追記:新たに当該章をより厳密に校合して電子化注したので、ここにあったものは削除し、新たにリンクを貼った。】柴田は「ごたごた長く書いてある」と言い、この浄瑠璃みたような展開がお気に召さぬらしいが、どうも時代劇を見過ぎている私などは――最後にこの娘を救ってやってこそ大団円だろ!――思ってしまったのであった……この娘の「あとのこと知りたや」……]
財布も金も人間の上に葛藤を齎すべき材料ではあるが、他の動物に累を及ぼすことは滅多にない。「半七捕物帳」の河獺は、中の郷の川端で道具屋の隱居を襲ひ、その顏や首筋を引搔いたが、そのはずみに財布の紐が爪に引かゝつた爲、終にその紐に縊られて死ぬ。その死骸は小判の重みで容易に浮ばなかつたのを、川の水量が減つて自ら現れる。河獺の首にからんだ財布によつて、その金を盜んだといふ嫌疑者が救はれるといふ話である。猫に小判といふが、小判に用がないのは猫には限らぬ。伊勢の雁も、中の郷の河獺も、用のない財布を首にかけた爲に命を失ふので、彼等に取つてもやはり「金が敵」なのかも知れない。
[やぶちゃん注:以上は「半七捕物帳」の「廣重と河獺」の第「三」章の小話で、時間設定は弘化四(一八四七)年九月である。「青空文庫」のこちらで読める(新字新仮名)。]