柴田宵曲 妖異博物館 「化物の寄る笛」
化物の寄る笛
福原縫殿といふ人は澤口忠太夫の弟子で、鐡砲の名手であつた。その家來に細工のすぐれた者があり、おき笛といふものを作つたが、これを吹くと化物までが寄つて來る、まことに奇妙な笛である。或時縫殿が猪を待つて山中に一宿した時、夜明け方の戶口に、自分の妻女が寢卷姿で立つてゐる。どう見ても人に違ひないが、女などがたゞ一人、然も寢卷のまゝで來べきところではない。變化の者と思ひすまして、鐡砲で打ち止めたが、いつまでたつても妻の形をしてゐるので、氣味が惡くなり、一人で家に歸つて見た。妻は別に變ることもなく出迎へたが、縫殿の顏色が惡かつたと見えて、御病氣でございますか、と尋ねたさうである。妻には何も語らず、家來を呼んで、今朝怪しいものを打ち止めた。急ぎ行つて見て參れ、と命じた。行つて見たら古貉が打たれてゐたと云つて、それを持つて歸つたから、はじめて山中の怪事を話した。
[やぶちゃん注:「福原縫殿」(ふくはらぬい 安永六(一七七七)年~天保一二(一八四一)年)は陸奥仙台藩士。「縫殿」は旧官位名で、元は律令制の中務(なかつかさ)省に属した「縫殿寮」。天皇及び賞賜の衣服を裁縫したり、女官の採用管理を司った役所で、実際に「縫殿」と書いて単に「ぬい」とも呼んだ。
「澤口忠太夫」不詳。但し、先行する「大猫」でも同じ只野眞葛の「むかしばなし」の原文の直前が引用され、そこでは大きな猫の妖怪を退治する人物として出ている。
「おき笛」後注参照。
「戶口」原典(後掲)では「とやの戶口」とある。これは「鳥屋」「塒」などと漢字表記するもので本来は、鳥小屋の意であったものが、鶫(つぐみ)などの小鳥狩りの際、山野に罠を仕掛けてそれに獲物の懸るの待つために山中や谷間に設けた仮小屋を指し、ここでは猪狩りのためのそうした小屋の謂いである。ここの柴田の書き方はやや不親切である。]
また或時獵に出て、十匁の玉を二つ込めて待つてゐると、七間ばかり向うへ大きな蟒(うはばみ)が姿を現し、縫殿を一吞みにしようと向つて來た。その口中へあやまたず打込んだので、蟒は谷底へころげ落ちると同時に、空かき曇つて大風が起り、山鳴り震動して凄まじい有樣になつた。蟒は三日谷中に在つて狂ひ死したが、その長さ十三間あつたさうである。後の語り草に、背の骨の一部を取つて庭に置いた。直徑七寸ばかりといふことであつた。これらは皆おき笛によつて寄つて來たので、それ以來「ひめどう」と名付けて祕藏した。その笛が二つあつたうちの一つを、忠太夫が貰ひ受けて寶物として居つたが、愈々病氣で亡くなる時、養子の覺左衞門に向ひ、この笛を吹くと化物が寄つて來るから、必ず用ゐてはならぬと遺言した。
[やぶちゃん注:「十匁」三十七・五グラム。
「七間」十二・七三メートル弱。
「十三間」二十三メートル六十三センチほど。デカ!
「七寸」約二十一センチ。脊椎骨の直径がこれならヤッパ! 長大なる蟒蛇(うわばみ)ジャがな!
★「おき笛」「日本国語大辞典」によれば、宮城県仙台の例が挙がる方言で(原典の筆者只野真葛は仙台藩医の娘)、猟師が鳥獣を呼び寄せるために吹く笛とある。但し、原典(後掲)では「おぎ笛」と濁り、しかも『「古事記」に、天照大御神をおぎ奉つるといふ事有。あらぬことをおもしろげにかまへて、あざむくをいふ。此笛もふるき名なるべし。』という全く別な名前由来が注されてある。しかし、この「あらぬことをおもしろげにかまへて、あざむく」意味の「おぐ」という動詞は私は知らない。或いは「招(を)く」で「招(まね)く」の謂いか。これなら、鷹匠言葉で「餌など鳥を招きよせる」という意味もあるから、最初の「おき笛」との酷似性が強まると言えるように私には思われる。さらにそれなら、今の「バード・ホイッスル」(鳥笛)との相似性も出てくる。「ひめどう」不詳。「姫胴」か。「姫」は「比賣」で神道の女神の総称か。「胴」は筒状の笛本体を指すのであろう。或いはお姫様風に細身の横笛ででもあったのかも知れぬ。【二〇二三年十二月二十七日削除・追記】「只野真葛 むかしばなし (95)」で「おぎ笛」の正体が確定したので、見られたい。]
然るに覺左衞門にもまた、この笛を吹いた話が傳はつてゐる。文化三年の秋、鹿狩に出て、人氣もない山を步くうちに、自分の笛をなくしてしまつた。已むを得ず、忠太夫から讓られた「ひめどう」を取出して吹くと、遙かに女の笑ふ聲が聞える。多分茸採りに來た女だらうと忍びながら、なほ吹いてゐたら、今度は近い澤の方で女の笑ひ聲がする。この笑ひ聲のために鹿は逃げてしまつたが、笛を吹くにつれて、頻りに笑ひ聲が聞え、茅をかき分けて上つて來るものがある。恰もその笛の音をよろこぶものの如く、右の手を頭に上げ、左の手を胸の前につけて、此方を見ながら愉快さうに笑つてゐる。その顏は猩々緋のやうに赤く、頭髮は月毛馬の尾のやうに垂れたのが、朝日に映じて光り輝く。總身は朽葉色で、豆殼を付けたやうに拔け出て下つたものがある。未だ曾て見たことのない奇獸である。覺左衞門が鐡砲を取り𢌞す形が見えたらしく、驚いて逃げて行くのを、狙ひ打ちに一發放つた。獸はおめき叫んで澤に飛び入つたが、その時き聲は少女のやうであつた(只野眞葛、むかしばなし)。
[やぶちゃん注:妖怪としての「山姫」は多くは長い髪の色白の美女であるから当らぬ。ここは醜い容貌とされる「山の神」か。しかし、人間離れした行動はとっていない点で、何らかの事情から山中に分け入って生活していた女性の可能性が頗る高い。例えば「總身は朽葉色で、豆殼を付けたやうに拔け出て下つた」という描写からは、重度の魚鱗癬のような見かけ上では異様に見える皮膚疾患、或いは近年まで生きながらに地獄に落ちた業病と忌み嫌われたハンセン病の皮膚変性の激しい一病態が、また、人語は発しないものの、覚左衛門に関心を持って親しく近づこうとするところからは、先天性の知的障害(但し、笛の音を心地よいものと解し、鉄砲が命を失う非常に危険な武器であることを視覚的に認識出来る智力を持っている点に注意)を、可能性として想定出来るようには思われる。しかし、この最後の話は、私には何となく、哀れである……私は近年、殊の外、俗世間が厭になっている……この狂った少女とともに……深山に分け入って一緒に失踪したく思う、今日この頃である…………
「文化三年」一八〇六年。
以上総てが「むかしばなし」の「五」及び「六」(最終段のそれ。「覺左衞門はなし」の一部)の二ヶ所に分かれて載る。国書刊行会「江戸文庫」版を参考に、例の仕儀で加工して二つとも示す。【 】は原典の割注。
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一、福原縫殿といひし人、忠太夫が弟子にて是も上手なり[やぶちゃん注:先に示した澤口忠太夫の「大猫」の原文が直前にあり(そこでは得物は刀)、其の最後に澤口を『鐡砲の上手なりし』と記しているのを受けている。]。縫殿が家來に細工すぐれたる者有りしか、おぎ笛をくらせしが[やぶちゃん注:ママ。「つくらせしが」の脱字であろう。]、奇妙なる笛にて、是をふけば化物までもより來りしとぞ。或時縫殿猪を待とて山に宿りて居しに、夜明がたにとやの戶口に、妻女の寢卷のまゝにて立ゐたりしが、いかに見ても人に連なし。去ながら女などの只壱人、しかも寢卷のまゝにて來るべきやうなし、變化(へんげ)の物に違ひなしとおもゑすまして、鐵砲にて打止たりしが、いつまで見ても妻の形なりしかば、壱人里に歸りて見しに、妻はかはる事なくて出迎しとぞ。さすが顏色の惡かりし故、【ぬひが顏色のわるきなり。】病にやと尋しとぞ。何事も語らず家來を呼て、「今朝あやしき物を打とめたり。いそぎ行て見て參れ」と云付やりしとぞ。行て見たれば古むじなの打れて有しとて、持て來たりしを見て、始めて事をかたりしとぞ。
又或時獵に出しに、十匁の玉を二ッ玉に籠て待居し時、七間ばかり向へ大うわばみ口を明て一呑にせんとしたりし時、其鐵砲にて口中を打しかば、何かはもつてたまるべき、谷底へ轉び落しとぞ。去ながら空曇り大風起て、山鳴震動夥しく、おそろしかりし事なりしとぞ。うわばみは三日谷中にくるひて死たり。長サ十三間有しとぞ。後のかたり草にとて、背の骨を一ト車とりて庭に置しが、わたり七寸ばかりありしとぞ。是皆おぎ笛によりて來りしとなり。
それよりひめどうと名付て、祕藏せられしとぞ。然るを忠太夫其笛二ッ有し内一ッをもらいて、寶物として置しを、病死の時養子覺左衞門に讓るとて、此笛はしかじかの事有て、吹ば化物のよりくる笛なり、必ず用べからずといひしとぞ。【後覺左衞門ふきし時もあやしき毛物より來りし。】
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おなじ人[やぶちゃん注:覚左衛門のことを指す。]文化三年の秋、おぎしゝ打に出しに、人氣なき山をたづねんと心ざせしに、道にておぎ笛をうしなひたり。【『古事記』に、天照大御神をおぎ奉つるといふ事有。あらぬことをおもしろげにかまへて、あざむくをいふ。此笛もふるき名なるべし。】せん方なければ、かの養父忠太夫よりゆづられしひめどうを取いだし、ふきしに、澤底にて女のわらふ聲はるかに聞えしを、きのことりに來りし女ならんとおもひて有しに、やうやうふきかけしを、鹿を近づけんとて吹かけし笛をきゝて、ちかき澤にて女の笑聲せしほどに、鹿はおどろきてにげさりたり。外によりくる鹿もやと、しきりに笛をふけば、其たびたびにわらふことしばしばなり。終に萱かき分て、さらさらとのぼりくるもの有。又いにし年の狐のたぐひにはあらずやとよく見しに、さらに化したる物ならず。おぎ笛をよろこびたるさまにて、右の手をいたゞきにあげ、左の手をむな前につけて、こなたを見やりて、こゝろよげにわらへるつらつき、赤きこと狒狒緋のごとく、かしらの髮はつき毛馬の尾のごとし。朝日にうつりてひかりかゞやき、惣身の毛はくちば色にて、豆がらを付たるごとく、ぬけいでゝさがれる物ひまなく付たり。見事なる奇獸なり。【鐡砲をとりまわすとて少しかたちの見えしにや、毛物おどろきて】落、さかさにかへりてにげ行所を、背の四ッ合をねらひ打し。鐡砲の音とひとしくおめきさけび、澤底に入しが、なく聲小女にたがふことなし。やゝひさしくくるひて聲もたへしが、其からは故有て手に入るに、あまたの年はへぬれども、名笛のしるし有けるぞふしぎなる。
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最後の「其からは故有て手に入るに」何を言っているのかよく判らぬ。彼女の体にぶら下がっていた豆殻のような「から」か? しかし、だったら意味深長に「故有て」(ゆゑありて)などと言い添えまい。「(それまでは妖笛として敬して遠ざけ、吹くこともなかったのであるが)この事件があってから後は、いろいろな理由から、日々、親しく身に携え、(状況を見計らった上で)手にして吹くことがあったが」の謂いか? ちょっと苦しいか? 識者の御解釈を乞うものである。]