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2017/03/31

家常茶飯詩   山村暮鳥

 

  家常茶飯詩

 

よあけは

遠い天(そら)のはてより

そして朝は

まだ、うすぐらい厨所(だいどころ)の

米を研ぐおとよりはじまる

おはやう

おはやう

なんといふ純(きよ)らかな挨拶

それがいたるところで

とりかはされる

一日のはじまりである

   ○

大風の中で

子どもがあそんでゐる

戰爭遊戲(ごつこ)だ

犬の馬

ぼうきれの鐵砲

紙の旗があちらこちらにひらひらしてゐる

風がはげしくなればなるほど

いよいよその騷ぎが大きくなる

まるで風と

なかよくあそんでゐるやうだ

ごおツと風が襲ひかかると

子どもたちは

わあツと聲をはりあげて

枯葉のやうにぱらぱら駈けだす

雀らもそれにまぢつてうれしさうだ

それにまた

木々までが聲をあはせる

木々も一しよになつてゐるのだ

   〇

一日中

ふいて、ふいて

ふきぬいて

風はやんだ

 

冬の夜天はいい

おう、星、星、星

穀粒でもばらまいたやうなあの星は

どれも

これも

一つ一つみんな凍えてゐるやうだ

どうみてもそうみえてならない

だが、それでいい

 

おう、星、星

睫毛のうへできらきらしてゐる

ゆめのやうな

現實のやうな

それは

なんといつても貧乏人のものか

   ○

炬燵のうへには

おはぢきや

繪雜誌がちらばつてゐる

いままで

卓上ピアノをひいてあそんでゐたつけが

あそびつかれた子ども達は

もういつのまにか

ひつくりかへつてねむつてゐる

妻は、その子ども達の

ぼろ足袋をつくろひながら眩語く

(どうしませう

これなんですもの

まるで鉋でもかけるやうなんです)

(うむ)

だが、それほど健康なんだ

ありがたいことではないか

ほんとに

健康なのばかりが

千軍萬馬にもまさる味方だ

妻はまた言ふ

(まつたくたまつたものぢやありません

それこそ鑄ででもこしらへたのでなくつちや――)

自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ

(うむ、こんどは

そんなのを買つて來てやらうよ)

ああ、ねむい

睡いのはとろけるやうだ

なにものもそれをささえる力が無い

 

[やぶちゃん注:「おはぢき」、最終行の「ささえる」はママ。後者は彌生書房版全詩集でもママである。

「冬の夜天はいい」彌生書房版全詩集では「夜天」に「よぞら」とルビする。

「どうみてもそうみえてならない」彌生書房版全詩集ではここは「どうみても」で改行し、「そうみえてならない」で次行を形成している。

「眩語く」彌生書房版全詩集は「眩語(つぶや)く」とルビする。

「鉋」「かんな」。

「だが、それほど健康なんだ」彌生書房版全詩集は「健康」に「たつしや」とルビする。この決定的相違から同書は元原稿に基づいて校訂している可能性が非常に高くなったように私は思う

「鑄」彌生書房版全詩集は「かね」とルビする。至極、納得。

「自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ」老婆心乍ら、後に出るように詩人は「ねむい」のを我慢してやっと「耳の孔をあけて」妻の言葉を聴いている、というのである。

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  家常茶飯詩

 

よあけは

遠い天(そら)のはてより

そして朝は

まだ、うすぐらい厨所(だいどころ)の

米を研ぐおとよりはじまる

おはやう

おはやう

なんといふ純(きよ)らかな挨拶

それがいたるところで

とりかはされる

一日のはじまりである

   ○

大風の中で

子どもがあそんでゐる

戰爭遊戲(ごつこ)だ

犬の馬

ぼうきれの鐵砲

紙の旗があちらこちらにひらひらしてゐる

風がはげしくなればなるほど

いよいよその騷ぎが大きくなる

まるで風と

なかよくあそんでゐるやうだ

ごおツと風が襲ひかかると

子どもたちは

わあツと聲をはりあげて

枯葉のやうにぱらぱら駈けだす

雀らもそれにまぢつてうれしさうだ

それにまた

木々までが聲をあはせる

木々も一しよになつてゐるのだ

   〇

一日中

ふいて、ふいて

ふきぬいて

風はやんだ

 

冬の夜天はいい

おう、星、星、星

穀粒でもばらまいたやうなあの星は

どれも

これも

一つ一つみんな凍えてゐるやうだ

どうみても

そうみえてならない

だが、それでいい

 

おう、星、星

睫毛のうへできらきらしてゐる

ゆめのやうな

現實のやうな

それは

なんといつても貧乏人のものか

   ○

炬燵のうへには

おはじきや

繪雜誌がちらばつてゐる

いままで

卓上ピアノをひいてあそんでゐたつけが

あそびつかれた子ども達は

もういつのまにか

ひつくりかへつてねむつてゐる

妻は、その子ども達の

ぼろ足袋をつくろひながら眩語(つぶや)く

(どうしませう

これなんですもの

まるで鉋でもかけるやうなんです)

(うむ)

だが、それほど健康(たつしや)なんだ

ありがたいことではないか

ほんとに

健康なのばかりが

千軍萬馬にもまさる味方だ

妻はまた言ふ

(まつたくたまつたものぢやありません

それこそ鑄(かね)ででもこしらへたのでなくつちや――)

自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ

(うむ、こんどは

そんなのを買つて來てやらうよ)

ああ、ねむい

睡いのはとろけるやうだ

なにものもそれをささえる力が無い

 

   *]

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