あらしを讃へる──山田耕筰氏におくる―― 山村暮鳥
あらしを讃へる
──山田耕筰氏におくる――
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
どこから逃げてきたもんだかさ
蝙蝠傘が一つ
さゝげ畑で踊つてゐるげな
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
蝙蝠傘のをどりはおもしろかんべえ
それはさうでんすとも
だが見てるほうでも一生懸命ですぞい
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
まるで氣狂(きちが)ひでんす
ぐるぐるぐるぐる
めんどまはりのやうな眞似をしたかと思うと
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
ぴつたりとまつてなし
何かちよいと首をひねつて考へてゐたつけが
ぴゆうと高く
それこそほんとに馬にでも蹴飛ばされたやうに飛び上がつてなし
それつきりみえましねえ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
ぐつすりねてゐたあかんぼまで
びつくりしたほどなんでんす
ぎあぎあ泣きだしたのも無理はあんめえ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
あれつきりみえなかつた蝙蝠傘の奴め
どこをどううろついてゐたもんだやら見てくらつせえ
ぼろぼろになつて
あらしだ
あらしだ
あらしだ
あらしだ
たいへんなあらしだ
いまみれば宙にぶらりと
まあ、かあいさうに
首縊りをしてぶらさがつてゐやすだ
あらしだ
あらしだ
[やぶちゃん注:標題の「讃」は原典の用字。添書きに作曲家山田耕筰(明治一九(一八八六)年~昭和四〇(一九六五)年:山村暮鳥より二歳歳下)への献辞があるが、二人の関係は良く判らない。彼は北原白秋の詩に多く曲をつけているから、その関係で親しかったものか。
「さゝげ」マメ目マメ科ササゲ属ササゲ亜属ササゲ Vigna unguiculata。「大角豆」「豇豆」などと漢字表記し、小豆(ササゲ属アズキ Vigna angularis)の代わりに赤飯にしたりする。特に小豆は蒸した際に皮が破れ易く、それが「腹が切れる」「切腹」に通じるとして江戸の武士階級では嫌われ、逆に皮が破れないこのササゲが赤飯に好まれた。
「めんどまはり」不詳。「日本国語大辞典」にも出ず、ネット検索でも掛からぬ。「風見鶏」のことか(ウィキの「風見鶏」によれば、『警戒心が強い雄鳥の習性から魔除けの意味』或いは
『キリスト教の教勢の発展といった意味』『も持っているといわれる』とあって、教会堂にはつきもので、暮鳥には或いは親しいものであったのではあるまいか)? 「雌鶏(めんどり)回り」か? しかし、あれは雄鶏(おんどり)だが? 或いは「面取(ど)り回り」で二面を鶏に面取りしたそれか? 或いは四方の全方向(面)を周回するの謂いか? お手上げ! 識者の御教授を乞う。]

