午睡 山村暮鳥
午睡
正午(まひる)過ぎたり……窓の外、いとしづかに三味の音(ね)弛(ゆる)めり。日は廊(らう)近くすべりて光り、わが室は乾きて沒藥(もつやく)の如き匂ひの黃は空氣に蒸せり。
軒に巣(すく)はんとするは黃蜂(ウオスプ)か。
浴室の玻璃(ガラス)、曇らざれば眞裸(まはだか)の人々の動くも見えて晝はさびしきほどに靜かなり。三味の音はやや強くなれり。
懶(ものう)さは、されど大理石(なめいし)の床に橫はり、浴槽(ゆぶね)に凭(もた)れながらに聽く心の底よりあふれ湧きくる溫かき湯の音の絶えざるが如し。見よ。いたづらに夢見るらしき瞳を開きて衰弱しめす混浴の群のさざめき……
午睡より眼ざめて騷ぐ心の前よ!
野卑なれど再び弛き、快好(こころよ)き晝の三味の(ね)音。
或は、噴水(フオント)をめぐる微風よ!
[やぶちゃん注:ロケーションが不詳なので隔靴掻痒の感がある。識者の御教授を乞う。
「沒藥(もつやく)」ここは比喩だから、注するのもなんだが、北東アフリカ・アラビアなどに産するカンラン科の低木から得たゴム樹脂で、古来より特殊な薫香料として珍重され、古代エジプトではミイラ製造の際に防腐薬として用いたりされた。
「黃蜂(ウオスプ)」“wasp”。広義の肉食性の大・中型蜂を指す英語であるが、この場合、漢字表記及び軒に巣を作ろうとしているところから見て、私はスズメバチ上科スズメバチ科アシナガバチ亜科 Polistinaeのアシナガバチ(脚長蜂・英名:Paper wasp)類を指しているように思われる。
「噴水(フオント)」“fount”。英語。]
« 黃い月 山村暮鳥 | トップページ | 猫 山村暮鳥 »