甲子夜話卷之三 23 諏訪湖幷同所七不思議の事
3-23 諏訪湖幷同所七不思議の事
淺草寺の中【荒澤堂】に、僧俗集會することあり。予も其處に往たるとき、其中に信州の僧寬弘と【諏訪郡拂澤村智恩寺】云るが居て、彼是と物語せしうちに坐客問ふ。世間に傳る諏訪の湖にては、冬は氷一面に張て湖上を自在に人行く。其往還の始は、狐のとほれるを見て人行くと。春分になりて人行やむも亦、狐の氷上を渡るを見て止と云。然や否や、とありしかば、寬弘答には、左に非ず。狐を見ると云ことなし。年々寒に入て大抵二三日もすれば、いつの程にや、必ずかの氷の中を裂て、湖を渡るものありと話る。予傍より問ふ。氷の厚さは何に。答、大抵其こぐち三尺餘なるべし。夫を左右の氷にはね上て、湖水をこなたより向の汀迄、一筋に水道つくなり。予又問、夫より人渡と云は何ん。答ふ。碎し氷を水面に重ぬるゆへ、高き所は六尺にも其餘にも及べり。然れども人必其高所を渡るには非ず。左あれば何れの處を渡りても害なし。因て湖上一面に行路となる。又問。かの裂たる跡は如何ん。答ふ。やはり後は氷はれども薄くして、その所は人行くこと協はず【この裂たる水道のはゞ何ほどゝ聞に、大抵六尺餘にも及ぶべしと云へり】。又問ふ。何者か氷を裂くや。答ふ。神有て裂と云傳ふ。問ふ。これを見ることは有や。答ふ。老農、漁人など見んと心がくる者ありても、夜中いつか裂て、今まで見たる者なし。因て神の所爲と云。又問。かの渡の止は何頃にや。答ふ。是は立春の頃なり。問ふ。何を以て止や。答ふ。其頃になれは彼水道の氷少しつゝゆるみ出て、わりわりと音あり。是を見ると厚氷の上も通路を爲さずと語れり。奇聞と云べし。
此時、予又世に諏訪の七不思議と云を問ふ。答ふ。一はかの湖水を裂なり。二は上の諏訪の社に追出祭と云あり。正月廿八日のことなり。其時いつの年も蛙二三つ又四五も出るなり。後は見えずなるなり。三は上原と云に葛池と云あり。此池常にすまず、濁水なれども涸るゝことなし。其中魚あり。皆片目なり。問ふ。何の魚ぞ。答。鮒の如し。四は下の宮に御作田(ミサクタ)祭と云あり。六月晦日なり。此田に植る所の稻は、其一田のみ實のり早し。五は上の社に天龍の井と云あり。此下流卽天龍川なり。此井に、一日に必ず三點づゝの雨降る。六は御射(ミサ)山三光祭と云あり。七月廿七日なり。此日には必ず日月星幷び現る。問。何時にや、大抵日午なり。問。終日か。答。暫時にて後は見えず。七は上の宮酉祭と云【三月中の酉の日なり】。何れより持來るや、集る所の鹿頭、必ず七十五なり。卽贄に供すと。いかにも七不思議なりける。
■やぶちゃんの呟き
「淺草寺の中【荒澤堂】」浅草寺境内にあった不動堂成田山。「荒澤(あらさは)不動尊」或いは「荒澤堂」と呼ばれ(「あらさは」の読みは「江戸名所図会」に拠った)、仁王門(宝蔵門)の手前左手(西南)に位置する天台宗の「宝光山大行院(だいぎょういん)の奥院右側にあった。「浅草不動尊」及び別の「三宝荒神堂」として現存するが、浅草寺とは無関係な存在である。
「寬弘」「くわんこう」と読んでおく。
「諏訪郡拂澤村智恩寺」現在の長野県諏訪郡原村払沢か(ここ(グーグル・マップ・データ))。但し、現在、同名の寺は見当たらない。
「必ずかの氷の中を裂て、湖を渡るものありと話る」「裂(さき)て」「話(かた)る。所謂、「御神渡(おみわたり)」である。但し、これは必ずしも毎年発生するわけではない。ウィキの「諏訪湖」によれば、『冬期に諏訪湖の湖面が全面氷結し、氷の厚さが一定に達すると、昼間の気温上昇で氷がゆるみ、気温が下降する夜間に氷が成長するため「膨張」し、湖面の面積では足りなくなるので、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走りせりあがる』『現象を御神渡り(おみわたり)と呼ぶ。御神渡りが現れた年の冬には、無形民俗文化財に指定されている御渡り神事(みわたりしんじ)が、八剱神社の神官により諏訪湖畔で執り行われる。御渡り神事では、亀裂の入り方などを御渡帳(みわたりちょう)などと照らし、その年の天候、農作物の豊作・凶作を占い、世相を予想する「拝観式」が行われる。古式により「御渡注進状」を神前に捧げる注進式を行い、宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例とする。尚、御神渡りはその年の天候によって観測されないこともあるが注進式は行われ、その状態は「明けの海(あけのうみ)」と呼ぶ』。『御神渡りは湖が全面結氷し、かつ氷の厚みが十分にないと発生しないので、湖上を歩けるか否かの目安の一つとなる。ただし氷の厚さは均一でなく、実際に氷の上を歩くのは危険をともなう行為である』ともある。
「こぐち」「小口」で、ここは張った氷の割れた端で測定した氷の厚さを指している。
「水道」「みなみち」か「すいだう」か。どうも前者で読みたくなる。
「夫より人渡と云は何ん」「それより、ひと、わたるといふはいかん」。静山はこの御神渡のエッジの部分に道が出来て、そこを人が主に歩くものと勘違いして問うているのである。
「碎し」「くだけし」。
「協はず」「かなはず」。叶わない。
「諏訪の七不思議」これと、その中の特に「上の宮酉祭」の「鹿頭」「七十五」の「贄」については、『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 鹿の耳(5) 生贄の徴』本文及び私の注を参照されたい。