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2017/03/17

柴田宵曲 續妖異博物館 「空を飛ぶ話」(2)

 

「瀟湘錄」に見えた唐幷華は、襄陽鼓刀の徒とあるから、屠牛者仲間ぐらゐのところであらう。醉拂つて漢水のほとりに寢てゐると、識らぬ老人に呼び起された。つらつら君の相貌を見るに、尋常無賴の徒と違ふところがある、わしが一つ斧を進ぜるから、これで何か造つて見るがいゝ、必ずすぐれた物が出來る、たゞ注意して置くのは女子のために災難に遭ふ虞れがある、これを愼めよ、といふのである。華は恭しくその斧を受け取つたが、それ以來不思議な工人になつて、鳥を造れば飛び、獸を造れば走る。危樓高閣、何によらずその斧一挺で造り上げるやうになつた。富人王枚なる者がその噂を聞いて、邸内の水に臨むところに、一本柱の亭を造ることを華に賴む。間もなく亭が出來上り、家人こぞつて見物する中に枚の娘が居つた。一たび嫁して夫を喪ひ、貴家に戾つてゐる身の上であつたが、

これが世にも稀な美人であつたので、華は深くこれを慕ひ、戀愛關係が成立する。遂にその事が父親の耳に入り、枚は華に多額の金を贈つた。何も云はずに立ち去つてくれといふ謎である。その意を察した華はかう云つた。だんだん御厚遇を受けた上に、こんなものを頂戴しては恐縮です、私もお蔭のために珍しい物を造つて差上げたいと思びます。――それはどんなものかと聞くと、外でもない木の鶴で、自由に空を飛ぶことが出來る、急ぎの用がある時などは、それに乘れば忽ちに千里の外に遊ぶことが出來るといふ。枚の許しを得て例の斧を揮ひ、忽ちに木の鶴が出來上つたが、目なし達磨のやうに目だけ入れてない。枚が怪しんでその理由を問へば、齋戒沐浴して下さらなければこの鶴には乘れません、と答へる。已むを得ず枚が齋戒沐浴にかゝつた夜、華は女を語らつて木鶴に乘り、襄陽に歸つてしまつた。夜明けて後、華も女も共に居らぬことを知つた枚は、ひそかに襄陽に入つて官に訴へた。華は捕へられて殺される。襄陽の老人が戒めた災難が來たわけである。木鶴はあとに殘つたが、どうして飛ぶのか誰にもわからなかつた。

[やぶちゃん注:「瀟湘錄」唐の柳祥(伝未詳)撰の伝奇小説集。以上は「太平廣記」の「卷二八七」に採られた「襄陽老叟」。例の仕儀で示す。

   *

唐並華者、襄陽鼓刀之徒也。嘗因遊春、醉臥漢水濱、有一老叟叱起、謂曰、「觀君之貌、不是徒博耳。我有一斧與君、君但持此造作、必巧妙通神、他日慎勿以女子爲累。」。華因拜受之。華得此斧後、造飛物卽飛、造行物卽行、至於上棟下宇、危樓高閣。固不煩餘刃。後因遊安陸間、止一富人王枚家、枚知華機巧、乃請華臨水造一獨柱亭。工華、枚盡出家人以觀之。枚有一女、已喪夫而還家、容色殊麗、罕有比倫、既見深慕之、其夜乃窬垣竊入女之室、其女甚驚、華謂女曰、「不從、我必殺汝。」。女荏苒同心焉。其後每至夜、竊入女室中、他日枚潛知之、即厚以賂遺遣華、華察其意、謂枚曰、「我寄君之家、受君之惠已多矣、而復厚賂我、我異日無以爲答。我有一巧妙之事、當作一物以奉君。」。枚曰、「何物也、我無用、必不敢留。」。華曰、「我能作木鶴、令飛之、或有急、但乘其鶴、即千里之外也。」。枚既嘗聞、因許之。華卽出斧斤、以木造成飛鶴一雙、唯未成其目、枚怪問之、華曰、「必須君齋戒、始成之能飛、若不齋戒、必不飛爾。」枚遂齋戒。其夜、華盜其女、俱乘鶴而歸襄陽。至曙、枚失女、求之不獲、因潛行入襄陽、以事告州牧、州牧密令搜求、果擒華。州牧怒、杖殺之、所乘鶴亦不能自飛。

   *

「唐幷華」(唐並華)は「たうへいくわ(とうへいか)」と読んでおく。原典でも一貫して「華」としか呼んでいないから、「唐華」が姓名で「幷」は名や字(あざな)の一部ではなく、通称か仲間内の綽名のようなものなのかも知れぬ。

「襄陽」現在の湖北省襄陽市。古えより漢水(漢江)の重要な内陸河川港として栄えた。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鼓刀の徒」柴田が言っているように牛を中心とした牧畜動物の屠殺解体を業(なりわい)とする者。

「危樓」単に「高い建物」の意。

「王枚」「おうばい」。]

 この話などは仙界の飛行とは違ふ。機巧によつて木鶴を飛ばせたのであるが、鶴は由來仙人と因緣を持つてゐる。「夜譚隨錄」の宋秀才は若い時分に凡陵に遊んで、圖らずも白髯の長さ四尺もある道士に逢ひ、長生の術を問うた。道士は、名を去りて實を務む、卽ち長生の術なりといふやうなことを云つて、術らしいものは何も教へてくれなかつた。宋が辭し去らうとすると、晝のやうな明るい月夜である。宋は道士から自分と一緒に遊ぶ氣はないかと云はれて、固より望むところですと答へる。道士は懷ろから紙の鶴を二つ取り出し、水を吹きかけたら、本物の鶴より大きくなつた。一人づつこれに跨がり、うしろを見てはいけないと注意した上、起てと云つて鶴の背を拍つや否や、突然羽搏きして高らかに鳴き、輕々と空に舞ひ上つた。道士は下界を見おろしながら、一方で宋の臂を捕へ、山河を指さして、あれが何處、これが何處と教へる。洞庭湖はどこでせうかと聞いたら、あの鏡のやうに小さく光つてゐるのがそれだ、と教へてくれた。宋は今更の如く、自分の身の小さく且つ限りあることを思ひ、妻子の事を考へて胸が痛くなつた。途端に道士が手を放す。宋の身躰は木の葉のやうにひらひらと落ちて行つた。倂し何の怪我もなく、氣が付いて見たら自分は妻子の傍に居つた。宋はこの事があつてから、もう現世に於ける榮達を願はず、ひたすら神仙の道を求めたといふことである。

[やぶちゃん注:以上は「夜譚隨錄」の「卷三」にある「宋秀才」。例の仕儀で示す。

   *

鄂渚宋秀才、迍躓名場、感世情淡泊。少時游江陵、晚過城隍、遇一道士、面重頤、須長四尺許、白如雪。宋奇其貌、邀至寓所進酒食、皆不辭。及對酒縱談、語多玄妙、宋知爲異人、叩及榮悴。道士曰、「吾聞神人無功、聖人無名、君將爲名乎。名者、實之賓也、君將爲賓乎。」。宋大慚、因問長生之術、道士曰、「人世烏得有長生、君能去賓務實、即長生之道也。君不聞劉綱之言乎。『大凡人壽皆可至百年、而以七情六欲、伐根竭源、顛倒方寸、頃刻萬變、神倦思怠、難全天和。譬彼淡泉、於五味、欲不財壞、弗可得矣。』君未嘗知此、何處得長生。」。宋拜謝。是夜月如晝、道士曰、「能從我游乎。」。宋曰、「固所願也。」。道士乃於懷袖間、出紙鶴二、以水噀之、暴長如生者。與宋各跨其一、囑勿囘顧、以掌拍鶴背、祝曰、「起。」。鶴卽鼓翼長鳴、飛翔雲表、鶴背安穩如北地冰床。俯瞰下土、歷歷如掌上之紋。道士一手捉宋臂、指點江山、謂、某處煙一點、某府某州某縣也、某處培、或如覆杯、如連塚、某山某岳也、又指一縷水、光如銀線然、曰、「長江也。」。宋問洞庭安在、道士指一點光小如鏡者、曰、「彼是也。」。宋陰念一身蜩寄世間、眞如恆河一沙、滄海一粟、吾生亦何有涯。所不能痛處一刀者、妻子之情耳。念未息、道士喟然撒手、宋飄然而墜、如因風秋葉、寸膚不傷。有聞聲出視者、則其妻與子女也、相見各驚異。宋具言其事、且囑曰、「不足爲外人道也。」。自是神仙之事、汲汲求之、不複仕進。長沙郭昆甫解元俊、與其長子同年、曾述其説如此。

   *

「凡陵」不詳。現在の河南省の新郷市輝県市付近には古く「凡」という国があったが、ここかどうかは不明。

「白髯」「はくぜん」。白い頰ひげ。]

 この話は大分仙骨を帶びてゐる。倂し情に動かされる間は到底仙たり得ぬので、宋が妻子の事を考へたのを見て、道士は背から手を放したのであらう。けれども仙人の空を行く場合は、必ず鶴に乘ると相場がきまつてゐるわけではない。「疑仙傳」の葛用が乘つたのは犬であつた。この人は常に黃犬を牽き、岐隴の間に遊んで居つたが、酒を飮ませれば飮む。他のものは一切食はぬ。夜に入れば郊野に出て眠るのである。道士王奉なる者、いたく葛用を敬仰して居つたが、或時奉に向ひ、この犬に乘つて一遊しようと云ひ、奉のあやぶむのを構はず一緒に跨がつた。犬はまるで翼を生じたやうに、空高く舞ひ上り、何萬里飛んだかわからぬ。やがて或山の上に到つたので、犬を下り手を携へて洞窟の中に入つた。洞中にはまた樓殿があり、二人はこゝで三人の仙女に會して、美酒を飮み樂器を弄し、日暮れて後辭去した。歸りもまた乘物は犬である。その後三年ほどたつて、葛用は東の方へ行つて來る、と告げたきり、姿が見えなくなつた。この犬の正體は何かわからぬが、とにかく仙家のものであるに違ひない。

[やぶちゃん注:「疑仙傳」宋の王簡の撰になる神仙伝。以上は同書の「卷上」の以下。例の仕儀で示す。

   *

葛用者、常牽一黃犬遊歧隴問。人或以酒飮之、卽飮而不食。好與僧徒道流談、每至夜卽宿於郊野。道士王奉敬仰焉。忽謂奉曰、可共乘此犬一遊也。奉曰、此犬可乘也。用曰、此犬能行也。因共乘之、此犬忽然躍身有如飛翕、頃刻之間出中華之外約餘萬里。至一山、峰巒奇秀、風景澄靜、有殊人問也。俄共下犬、攜手入一洞中、見奇樹交陰、名花爛然、峻閣高臺、多臨綠水。俄又入一朱、有三女子出迎之、韶玉麗質、實世希有、皆宛若舊識。既延之登一樓、俯翠欄、寨朱簾、設碧玉林、命以瓊漿共酌、仍三女子雜坐。須臾之問、彈箏吹簫、盡去形邊。及將日暮、皆已半醉。用乃謂奉曰、此三女子者、皆神仙之家也、偶會於此山。我知之、故與爾一詣。今既共懼飮、當復歸。此若久留、不可不慮妨他女伴自遊戲也。遂與奉俱出洞、其三女子亦送之於洞門。用顧謂女子日、明年今日再相見。既與女子別、復共乘犬囘。至歧隴問、已三載矣。用又謂奉曰、我一東遊耳、君當住此。言訖而不見。爾後不復至矣。

   *

「岐隴」は「きろう」と読む(但し、「ロウ」は本邦の慣用読みであって、正しくは「龍」同様に「リユウ・リヨウ」である)。「岐」は「山道」、「隴」は「丘・畑・田舎」の謂いであるから、山村やその周辺という意味であろう。]

 空を飛ぶ話はまだいろいろあるが、「續搜神記」に出てゐる王戎の話などは、不思議なものが空を飛ぶと思つてゐると、赤馬車に乘つた人が赤い着物を着てゐたといふのだから、正に支那の岩谷天狗である。これは支那のいはゆる鬼なので、手にした斧で額を打つたら直ちに倒れた、といふやうな薄氣味の惡い話も出てゐる。鬼である限り空を飛ぶぐらゐは家常茶飯事で、薄氣味の惡いのも固より怪しむに足らぬ。

[やぶちゃん注:「續搜神記」とあるが、「搜神後記」の誤り。以上は後の話も含めてその「第六卷」の以下。例の仕儀で示す。

   *

安豐侯王戎、字濬沖、瑯邪臨沂人也。嘗赴人家殯殮。主人治棺未竟、送者悉入廳事上。安豐在車中臥、忽見空中有一異物、如鳥。熟視、轉大、漸近、見一乘赤馬車、一人在中、著幘、赤衣、手持一斧。至地、下車、逕入王車中。迴几容之。謂王曰、「君神明淸照、物無隱情、亦有事、故來相從。然當爲君一言、凡人家殯殮葬送、苟非至親、不可急往。良不獲已、可乘赤車、令髯奴御之、及乘白馬、則可禳之。」因謂戎、「君當致位三公。」語良久。主人内棺當殯、眾客悉入、此鬼亦入。既入戸、鬼便持斧、行棺牆上。有一親趨棺、欲與亡人訣。鬼便以斧正打其額、卽倒地。左右扶出。鬼於棺上、視戎而笑。眾悉見鬼持斧而出。

   *]

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