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2017/03/16

獨唱   山村暮鳥 (附 詩集「三人の處女」序(島崎藤村))

 

三人の處女

 

[やぶちゃん注:以下、大正二(一九一三)年五月十三日新聲社刊の詩集「三人の處女」の電子化に入る。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの同初版画像を視認するが、時間を節約するために、冒頭の島崎藤村の序文はJ-TEXTこちらのそれを、本文は竹本寛秋氏のこちらの正字正仮名版を、加工データとして使用させて戴いた(但し、後者はかなりミス・タイプが認められる)。この場を借りて厚く御礼申し上げる。また、カラー画像で原本の箱から総てをPDF画像にした掬すべき優れたものが、しばしば参考にさせて戴いている白神正晴氏の山村暮鳥研究サイト内の「山村暮鳥年譜」でダウン・ロード出来るので、底本画像の判読に不審がある場合はこれも参考にすさせて戴く(これは実に素晴らしい! 是非、ご覧あれ!)。他に校合用活字データとしては従来通り昭和五一(一九七六)年彌生書房刊「山村暮鳥全詩集」(第六版)を使用する。なお、底本ではパート標題と詩篇標題及び詩篇本文がみっちりと詰っており、しかもポイント前二者のポイントは有意に大きな同じもので、実際、そのまま活字化すると、パートか題名か本文か戸惑う非常にタイトな組版になっている(これは正直、組の失敗である)。そこは特に原典を再現せず、読み易さを考えて字下げ・行空け・ポイント変更を行った。

  

 

情人を愛するごとく、私は詩を愛し、情人に別るゝごとく、私は詩に別れた。

私は情人を愛するごとくと言つたは、我ながら適切であるを覺える。『新體詩人』なる名稱は曾て私等に冠らせられた棘の冠のごときものであつた。それは實に忌まはしき嘲笑を意味し、堪えがたきほどの侮蔑を意味した。さういふ中で、私は隱すやうにして、かずかず[やぶちゃん注:後半は底本では踊り字「〱」。]の詩を作った。私は又、衆人の前で自分の爲したことを指摘された時は、あだかも吾胸の底深く秘[やぶちゃん注:ママ。]したる愛を見あらはされたやうに、思はず吾頰を染めたこともあつた。

何といふ時の推移だらう。嘲笑と侮蔑とは、無意味な喝采に變つて行つた。恐らく今日の靑年の中には私の斯く言ふことを眞實にはすまいかと思はれる程である。

今日の詩は、私に取つて、發達した舊の情人を見るがごときものである。私は別れなければ成らない時が來て別れたので、決して浮いた心で詩を捨てたものでは無いから、斯の舊い馴染に對ひ[やぶちゃん注:「むかひ」と読む。「向かひ」に同じい。]向ふ度に特別の懷しみを感ずるのである。その領域は擴大せられ、その性質は著しく豐富にせられたことを感ずる。曾て私が Miss Poetry と呼んで居たものを、今では Madam Poetry と呼ばねば成らないやうな氣もする。

山村暮鳥君の『三人の處女』が出來た。夫人が生んだ新しい子の一人だ。新しい香氣と、淡い柔かな吸呼[やぶちゃん注:ママ。現行諸版では「呼吸」となっている。]とに滿ちた詩集だ。斯の母子に對して、私は曾ての自分の詩の愛を喚び起すものである。それが一生の忘れがたく美しい瞬間の一つであつたことをも感ずるものである。私は又、薄暮、情人を訪るゝごとくにして詩に對した曾ての自分にも勝(まさ)つて、よりよく吾愛の意味を知るものである。

斯く言つたからとて、これらの事が『三人の處女』に何物をも附け加へるものでは無い。私はたゞ思つたまゝを、序にかへて、書き送るまでゝある。

夫人よ、詩の母よ、最後に私は貴女の『三人の處女』の爲に祝し、猶いつまでも貴女が若くてあることを祈る。

               島崎藤村

 

[やぶちゃん注:私は若き日に「若菜集」を愛読し、近代文学演習の研究にも選び、「千曲川のスケツチ」を偏愛し、小説「春」に何か素直にしみじみと心打たれたのだが、「桜の実の熟する時」にはどうもクサい臭いを嗅ぎ出し、芥川龍之介よろしく、「新生」を読むに及んで彼には激しい生理的嫌悪を覚え、それ以来、大嫌いになった。この序文もそうした彼の御都合主義的な女性観が横溢しており、ミューズを処女(乙女)から夫人に喩えるところなんざ、実に厭ったらしい。それも本書の題名が「三人の處女」であることを知っていながらである。アアッツ! ジツニイヤダ!]

 

 

 

 SAGESSE

 

 Ⅰ 創造の悲哀

 

獨唱

 

かはたれの

そらの眺望(ながめ)の

わがこしかたの

さみしさよ。

 

そのそらの

わたり鳥、

世をひろびろと

いづこともなし。

 

[やぶちゃん注:総標題「SAGESSE」(サジェス)はフランス語。「知恵・賢さ・賢き教え・思慮分別」や「温順・慎しみ深さ・貞淑」、「作家や作品が誇張や奇矯に走らずに中正で穏健であること」などを意味する。まず、伝道師山村暮鳥のそれは、愚かなる人智の歎きに始まり、究極に於いては、まさにヤハゥエの絶対の「智」へと向かうのではあろう。]

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