秋の歌 山村暮鳥
秋の歌
Ⅰ 遠景
見よ、白楊の地にひく影を。そのあたり怖ろしい沈默と憂欝とに獸類(けだもの)の態度をくづさず、佇立(たたづ)める牛の一群。
十月の遠い牧場……たまさかに相呼びかはす太い嚴めしい聲のやるせなさよ。
ああ、萄國(ポルトガル)の革命はどんなだらう?
見よ、柵外にわかい女が顯はれると其方へよりつどふ彼等、乳房の垂下つた雌牛(めうし)、黃牛(あめうし)、その傍をはなれ犢(こうし)、或は柵の上から頸をのばして路側(みちばた)の草の匂ひをかぐのもある。
しづかな、しづかな、けれど鈍つた氣分(きぶん)の白き斷崖。
空にとびかふ赤い蜻蛉はどこから來たのか、それが黑くなるほど密集して秋色(しうしよく)の層(そう)をなす時、
あはれ、夕日(ゆふひ)の平安よ。
太陽はBULLの聲より沈んでゆく……
かかる時、營舍のたのしい喇叭がきこえ、ゆふひの雨が市街を打つあはただしさに思ひやる、かかる日の騷亂(さうらん)。
やがてその柵の一方があたらしい思想の如くにひらかれた。
彼等は、かのわかい女に追ひたてられて鏡の如き瀦水を渉(わた)り、僅にそれを濁しながらも本能の強きもとめの夢に、赭土(あかつち)の、長き傾斜をその厩屋(こや)へと各自に急ぐ。
[やぶちゃん注:「萄國(ポルトガル)の革命」ポルトガルで一九一〇年十月五日に起った共和革命のことであろう。国王マヌエル二世が廃位されて(イギリスに亡命)、ポルトガル第一共和政が成立した。
「BULL」去勢していない成長した牡牛(おうし)。]
Ⅱ 戀
漣(さざなみ)さへも立たない胸……
河岸(かし)につないだ少年(こども)の玩具(おもちや)のヨットの帆、
そよ風は何を待つてゐるのだらう。
戀は葦切鳥(よしきり)の鋭どさを嫌ふだらうか。
わたしの心は女のためにまよつてゐる ――
あれ、柳の築かげの明るみに、日光をのがれた雜魚(ざつこ)のむつまじさ、水が澱(よどんでながれるでもない河底の、ちひさな白い花までが夢をみてゐるやうな秋の晝。
かうした時の鐘の音(ね)はどんなに悲しくひびくのだらう?
ああ、どんなに悲しく響くのだらう?
[やぶちゃん注:「ヨット」は底本のママ。
「葦切鳥(よしきり)」夏鳥としてほぼ本邦全土に飛来し、鳴き声がかなり鋭く特徴的なのは、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ科ヨシキリ属オオヨシキリ Acrocephalus
arundinaceus である。]
Ⅲ 蟋蟀
黑襦子(くろじゆす)のえりの手ざはり、
櫛卷のなげやり。
うすらさみしい合掌(がつしやう)に、眼をつむり、
おそろしいお不動樣の木像を、
拜(おが)む藝者のこころの
晝。どこかで蟋蟀(こほろぎ)が唄つてゐる。
木の葉や草葉が黃ばみかかれば
もう、これだもの、
わかい藝者になつかしさうに微笑(ほほゑ)んで、撫でられた、傍(かたはら)の赤い賓頭顱(びんづる)。
[やぶちゃん注:「黑襦子(くろじゆす)」黒糸で作ったサテン(satin)織り(経糸と緯糸の交錯点を一定の間隔に配置し、経糸又は緯糸の浮きが多い組み織りで、光沢があって柔かく滑りがよいが、摩擦に弱い)のこと。
「櫛卷」(くしまき)とは和装女性の髪形の一つ。髷(まげ)を櫛でくるくると巻いた形のもので、女髷の中では最も簡単なものの一つ。ウィキの「櫛巻き」によれば、『粋筋と呼ばれる女性の芸能者特に芸者や女師匠などが結ったが、手間がかからないことから』、『職業女性にも愛好者が多かった』とある。
「賓頭顱(びんづる)」現行では「賓頭盧」と書くことが多い。「獅子吼(ししく)第一」(その説法が他の異論反論を許さず、獅子の吠え叫ぶが如くであったからという)と称された十六羅漢の第一に挙げられる釈迦の高弟。名の「ピンドーラ」を漢訳したもの。ウィキの「賓頭盧」によれば、『日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像を』「おびんづるさん」『「おびんづるさま」と呼んで親しまれてきた。ことに、東大寺大仏殿の前にある像が著名である』とある。嘗てはかなりの寺院で見られたが、信者に触られるために損壊の度合いが高かったからであろう、最近ではかなり減った。]
Ⅳ 秋の歌
――暗くなつた。
性急(きぜは)しい風がふく。
それと知る私の心、
水溜(みづたま)りのまたたきに
うかんだ秋の
淡靑いかなしみ……
光る空氣の輪廓(りんくわく)……
Ⅴ 水色の暗示
空の正午(まひる)に月をみる時。
みにくい顏の微笑から、あれ、すべての物にうかぶ水色よ、
空。
女。
光線。
驟雨(ゆふだち)に、燕がしつぽり濡れた時。
鬢から夏のすべる時。
西南(たつみ)の方からふく風に、
八月の花のやさしい悶(もだ)え……

