月光 山村暮鳥
新編「晝の十二時」
[やぶちゃん注:この詩群は調べる限り、予定された詩集ではない。しかもどうも『新編「晝の十二時」』という呼称自体が、以下の底本で仮想された詩群への仮題に過ぎないような気がしている(パート末にある藤原定と伊藤信吉の半可通な編集ノート記載から推断。そもそもが何故、それらの総標題(仮想詩集題)が大正五年パートの「じゆびれえしよん」の末行の一句から『新編「晝の十二時」』と題されねばならぬのかが全く分らぬ点でも実に不快である)。ともかくもこれらは大正二年から同五年の四年間の彼の詩作を集成したものであることは間違いない。
底本は昭和五一(一九七六)年彌生書房刊「山村暮鳥全詩集」(第六版)の同パートを参考としたが、例の仕儀で、漢字を正字化した。]
月光
月光は古沼の邊(ほとり)にさきし
その可憐なる水草の花
そして鶫(つぐみ)の聲
靜物畫の匂ひがある
ほそくして情無きは
樂器の絃(いと)にしあれど
その永遠性より言はば
むしろ木の葉の夢と朽ちてゆく
否、月光は尼僧の面
洪水のあと、鐘の音
また蒼白き酒の感覺
悲しくして聲なきものなれば
女よ、そなたの唇
罪多き髮の毛の光澤(つや)