蟲 山村暮鳥
蟲
いづこより、いづこへ――
螻蛄(けら)の族(やから)なる
いと小さき蟲
石甕(いしがめ)の上をさまよふ。
いづこより、いづこへ――
しばし見てあれば、つと
足とめて
來しかたを嘆かふけはひ。
いづこより、いづこへ――
かくて、とぼとぼと
譬へば戀の
破(や)れ人(びと)の死にゆく旅。
いづこより、いづこへ――
洩れし古瑕(きず)の
甕の滴(したたり)、
あな、蟲の瞳はとけぬ。
いづこより、いづこへ――
されど歡樂の
夢より倦きて、とぼとぼと
はてなく、またも。
いづこより、いづこへ――
[やぶちゃん注:標題は底本の彌生書房版全詩集では「虫」であるが、詩編中の二ヶ所の「蟲」は私が正字化したのではなく、ママである。されば、本詩篇の標題も「虫」ではなく「蟲」であった可能性が高いと判断し、かく正字化した(「蟲」の字は江戸時代でも「虫」とも表記はし、近代の作家には嫌う者も多いことは事実としてある。しかし、篇中で「蟲」と表記しながら、標題を「虫」として〈区別・差別化〉するなどということは、その意図も不明で、少なくとも私には納得し得ないことであるからでもある)。二ヶ所の「とぼとぼ」の後半は踊り字「〱」(「〲」ではないが、かく正字化した)。
「螻蛄(けら)」直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科 Gryllotalpidae のケラ類の総称であるが、本邦では Gryllotalpa 属ケラ
Gryllotalpa orientalis を指すことが殆んどである(ケラ属の学名はラテン語の“Gryllo”(コオロギ)と“talpa”(モグラ)の合成語である。参照したウィキの「ケラ」によれば、『前脚は腿節と脛節が太く頑丈に発達し、さらに脛節に数本の突起があって、モグラの前足のような形をしている。この前脚で土を掻き分けて土中を進む。手の中に緩く囲うと指の間を前脚で掻き分けて逃げようとする様子が体感できる。その他に、頭部と胸部がよくまとまって楕円形の先端を構成すること、全身が筒状にまとまること、体表面に細かい毛が密生し、汚れが付きにくくなっていること等もモグラと共通する特徴である。なお、モグラは哺乳類でケラとは全く別の動物だが、前脚の形が似るのは収斂進化の例としてよく挙げられる』とある)。但し、本種は土中に巣穴を掘って地中生活する夜行性で、地表に出てくることもなくはないが、ここで暮鳥が見ているのは、その描写から推しても、どうもそれらしくない。暮鳥自身も「螻蛄(けら)の族(やから)なる/いと小さき蟲」と言っていることからも、これを本種ケラに同定することは無理がある。地面を「破(や)れ人(びと)の死にゆく」如くとぼとぼと這いずっている「虫けら」の謂いとして採っておくのが無難であろう。
リフレイン「いづこより、いづこへ――」は私は間違いなく、「ヨハネによる福音書」第十三章第三十六節で、ペトロが最後の晩餐に於いてイエスに投げかけた問い“Quo vadis, Domine?”(ラテン語で「主よ、いづこへ行かれるのか?」)」に由来するものと読む。「破(や)れ人(びと)の死にゆく旅」姿はまさにそれを髣髴とさせるではないか。御存じの通り、山村暮鳥は明治三六(一九〇三)年に東京府築地の聖三一神学校(立教大学の前身)に入学、卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田・仙台・水戸などで布教活動に携わった生粋のキリスト者であった。]