譚海 卷之二 勢州雲津川上桃林の事
〇勢州雲津の川上玉垣邊は、東西六里斗り皆(みな)桃樹(もものき)也。花の時美觀錦繡(きんしふ)の如し、實(み)をとるときに至りて、一村ことごとく生活とす。凡(およそ)此もゝの實の價二千金に至ると云(いふ)。はじめ桃をうふる事を工夫せし宿老(しゆらう)兩家あり、一家四百金程づつの一年の入(いり)有(あり)といふ。參宮(さんぐうの)道者(だうじや)、此桃の實をとる事を禁ぜず。こゝろのまゝにとりくらへども禁ぜず、持(もち)さる事はゆるさず。又云、上方よりくる桶に入たる梅干は一種ならず、あんずのみあり、あんずもまた實をほしたる、事(こと)に酢氣(すのき)淺くして味よろしきもの也といへり。
[やぶちゃん注:「雲津」現在の三重県津市雲出(くもず)。この附近(グーグル・マップ・データ。リンク先は雲出本郷町)。東からの伊勢参宮津の最後の宿で雲津宿とも書いた(但し、正規の宿場町ではないかも知れぬ)。江戸時代は津藩領。
「川上」現在の雲出地区の南方を東流する雲出川の上流の謂いであろう。
「玉垣」不詳。現在の地図上では雲出川上流には現認出来ない。識者の御教授を乞う。
「桃」バラ目バラ科モモ亜科モモ属モモ Amygdalus persica。
「宿老」ここは経験豊かな老人。
「道者」「同者」「同社」とも書き、連れ立って社寺を参詣・巡拝する旅人、遍路、巡礼、道衆のこと。この記載から伊勢参宮道のルート上に玉垣という村があったことは判る。
「梅」バラ科サクラ亜科サクラ属ウメ Prunus mume。
「あんず」(「杏子・杏」。サクラ属アンズ Prunus armeniaca。]

