溺死者の妻におくる詩 山村暮鳥
溺死者の妻におくる詩
おんみのかなしみは大きい
女よ
おんみは靈魂(たましひ)を奪ひ去られた人間
おんみの生(ライフ)は新しく今日からはじまる
その行末は海のやうだ
そしてさみしい影を引くおんみ
けふもけふとて人人はそれを見たと言ふ
何んにも知らずにすやすやとねむつたあかんぼ
そのあかんぼを脊負つて泣きながら
渚をあちらこちらと彷徨(さまよ)つてゐるおんみの殘すその足あと
その足あとを洗ひけす波波
女よ
おんみは此の怖ろしい海をにくむか
にくんではならない
おんみは此のひろびろとした海を恨むか
うらんではならない
海でないならと呟くな
ああそれが海である悲しさに於て
靜におもへ
海はただ轟轟と吼えてゐるばかりだ
波は岸を嚙みただ荒狂つてゐるばかりだ
海に惡意がどこにある
それは自然だ
けれど溺れる人間の小ささよ
人間の無力を知れ
溺れたものがどうなるか
いたづらになげきかなしむことをやめ
それよりは脊負ふその子を立派に育てることだ
強く強く
海より強く
波より強く
その手の上に眠る海
その手の下に息を殺した暴風(あらし)と波と
此の壯大な幻想を
あかんぼの未來に描け
それをたのしみに生きろ
その子のちからが此の大海を統御する時
おんみはもはや惡まず恨まず
此の海をながめ
此の海の無私をみとめて
はじめて人間を知るであらう
人間を
そして此の海をかき抱いて愛するであらう
而もおんみはそれまでに
いくたび海に悲しくも語らねばならぬか
せめてその屍體(なきがら)なりと返してよと
ああ若くして賴(よ)るべなき寡婦(やもめ)よ