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2017/03/27

山村暮鳥詩集「風は草木にささやいた」   土田杏村 跋

[やぶちゃん注:以下、土田杏村の跋文。傍点「ヽ」は太字とした。冒頭のドイツ語の引用は特に一行目の単語間隔が有意に広がっていて、下方(横方向での右)で二行目が均等になるように割付られているが、これは再現すると、ドイツ語として見た時に、非常に恰好が悪い(と私は感ずる)ので、再現しなかった。なお、加工データとして「青空文庫」の土田杏村のそれ(詩篇本文と同じく、昭和四一(一九六六)年講談社刊「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」を底本とする。土屋隆氏入力/田中敬三氏校正)を使用させて戴いた。ここに謝意を表する。

 土田杏村(つちだきょうそん 明治二四(一八九一)年~昭和九(一九三四)年)は哲学者・評論家(画家土田麦僊(ばくせん)は彼の兄である)。新潟県佐渡郡(現在の佐渡市)生まれ。ウィキの「土田杏村」によれば、『本名は茂(つとむ)。京都帝国大学卒業。西田幾多郎に哲学を学ぶ。雑誌「文化」を発刊。社会問題や思想・文化・宗教など多方面にわたって、たくさんの鋭い主張の論文や著述がある。大正時代には自由主義の傾向を強く持ち、長野県や新潟県で自由大学運動を起こしたりしたが、昭和時代にはいると国家主義の傾向を強め、上代文学の研究』などもしている、とある。河上肇らとマルクス主義を巡って論争、これを批判してもいる。

 なお、以下のドイツ語引用は、青空文庫では土田の跋とは無関係な、山村暮鳥詩篇本文末の山村暮鳥自身の引用と採って電子化がなされている。しかし初版本を見る限り、三三三頁(左)の冒頭にこの引用があってそのまま直後から土田の跋は始まっている。私はこの引用はいわば、土田の題名代わりの添え引きであるようにか、私には見えない。いや、そうじゃない、山村暮鳥が引用したんだ、とどなたかか、私に判るようにお教え下されば、そのように組み直す。御教授あれかし。

 

 “Die Humanität erst bringt klarheit

 über die Menschenwelt, und von da aus

 auch über die Götterwelt”

 ―H.cohen

 

[やぶちゃん注:末尾の姓の小文字はママ。これは新カント派マールブルク学派の創設者の一人とされるドイツのユダヤ人哲学者ヘルマン・コーエン(Hermann Cohen 一八四二年~一九一八年)のことと思われる。引用元も不詳である。私はドイツ語は全く分らないので、機械翻訳をさせるしかないが、これがまた、上手く翻訳されてこない。半可通に、「人類の正しい唯一の明確さ」が「人間の世界」にまずを齎されたた上で、「神々の世界」のそれは齎される、みたようなことを言っているものか? 識者の御教授を乞う。以下、幾つかよく判らない部分もないではないが、特にそれを不詳として示すことは止めた。そもそも私の目的は山村暮鳥の全詩篇の電子化注であって、ここで土田の文章を解析するために注せねばならぬ義務を全く感じないからである。悪しからず。]

 

 山村君

 君と僕とは如何なる不思議の機緣あつてか斯くも深いまじはりに在り、君のその新しい詩集の一隅にいまは僕の言葉がつらなることとなつてゐる。おそらく君は僕を一評論家と遇して何事をか述べさせやうとするのではなからう。僕もまた文壇に立つものの一人として君の詩集にむかはうとは思はない。君の生活は僕にとつてはあまりに嚴肅であり、君の詩は僕にとつてはあまりに尊貴であるが故に、僕は幾分でもかの評論家の態度に於て君に對することを恥ぢてゐる。而もかの唐土の一詩人がつねにその詩を街上の老嫗にもたらした雅量をもつて君が僕の言葉にきかれるならばそれは僕の幸福といふものだ。

[やぶちゃん注:「述べさせやう」はママ。]

 

 君の詩について僕がなにごとかを言ふのはこれで三度目だと思ふ。はじめは「第三帝國」で「新文藝の理想を提唱す」の一ぺんを書き、僕の所謂神秘的象徴主義の哲理を提唱した時であつて其の中で僕はまづ僕の藝術理想を斯く主張した。

[やぶちゃん注:白神氏の「山村暮鳥年譜」によれば、大正六(一九一七)年七月、凡そ一年半前に刊行された「聖三稜玻璃」について、京都のあった土田が雑誌『第三帝国』四月号に於いて「新文藝の理想を提唱す」という題名の評論を発表、その中で「聖三稜玻璃」を擁護したことを示す。白神氏によると、『それに対して暮鳥は次のように述べて』いるとされ、『「此の間にあつて京都の土田杏村氏独りが私を天上まで担ぎあげました。然し私はもう有頂天になれません。何となら私の足はしつかりしつかり地を此の大地をふみしめてその大地の脈拍を感じ知つているからです。」(本井商羊宛)』と記しておられる。以下の年譜記載を見ると、山村暮鳥は土田の思想に強くシンクロしたらしく、後、交友が続いていることが判る。

「神秘」の「秘」の字は原典の用字。以下、総て同じ

 以下、原典では「1」・「2」・「3」の文章総てがポイント落ちで、それぞれ各項二行目以降は一字下げとなっている。]

 

1 まづ人道主義者の主張に反して文藝からは一切の道德的倫理的の標準をとり去らなければならない。

2 個人的相對的經驗的の感覺と感情とをはなれて超個人的絶對的形而上的の感覺と感情、言はば宇宙或は自然がもつ感覺感情ともいふべきものを表現しなければならない。これに對して前者の感覺と感情とをのみ表現してその奧に後者の感覺と感情とを暗示し得ない藝術をセンチメンタリズムの藝術と呼ぶ。

3 此の意味の感覺と感情とを表出する手段(材料)は適切にその感覺と感情とに對應しなければならぬので、手段が感覺と感情とを𧼯越することも亦其の反對も許されない。換言すれば或る特異(ユニイク)の感覺と感情とを表現するには聯想といふ手段によつて示してはならない。その特異の感覺と感情とをただそれだけのもの卽ち其れ以上でも其れ以下でも以外でもないものによつて表現しなければならない。これが象徴である。

[やぶちゃん注:「𧼯越」よく分らぬが、「ユエツ」と読んで、「こちらと向こうを隔てているものを越えて行く・飛び越えて行く」の意のようである。]

 

 僕の此の神秘的象徴主義からみた君は如何なる詩人であるか

[やぶちゃん注:以上は一行独立。諸本は本文の一部として、最後に句点を打っている。しかし、原典に句点はない。但し、これが副標題であるというわけでもない。句点を打つのは納得は出来るのではあるが、ここは暫く、ママとしておく。以下、原典ではポイント落ちで、二行目以降は当該ポイント落ち本文のそれで全体が一字下げとなっている。]

 

「僕は長い以前から僕自身の眞に希求する、もつとぴつたり合致する作品をみないで善いといふならば大抵の作品は何處かが善く、惡いといふならば大抵の作品はその何處かが惡いと言はれ得る程度のものに見へたが、近頃殆んど僕の希求に近い藝術家を見出すことが出來て非常に心強くもうれしく思つて居る。それは詩人としての山村暮鳥氏である。作品を通じてみた氏はどうしても僕自身の主張する神秘象徴主義の具現せられたものであると思つてゐたが、今や氏の創作の態度などを聞知するに及んで益々その感を強めることができた。氏の如く卓越した藝術家を其の眞價に於てみとめ得ず理解し得ない一般文壇は全く藝術家を待遇するの途を知らぬものと言はねばならない。」

[やぶちゃん注:「見へた」はママ。]

 

 而もいまは君に就てこんな嘆聲を漏らす必要もなく、君の詩はすべての眞面目なる人々の驚異となつてゐる。きれぎれにみてゐた君の詩がまとまつて一册となり、どつしりした重みで日光の中へでる時、まことの生(いのち)の糧に餓へてゐる人達のよろこびはどんなであらうぞ! それが目に見えるやうだ。

[やぶちゃん注:「餓へて」はママ。]

 次に君について書いたのは「光陰」の「光りにあくがるる詩」の中である。

[やぶちゃん注:以下、ポイント落ち。一行目が本文の活字での字下げで、二行目以降の全体は、一字半下げとなっている。前の組と異なり、私などはいらつく版組である。]

 

「山村氏の詩は確固と摑んでゐるものをそのまゝに表現する。山村氏の詩には宗教家の崇高(けだか)い安定がある。其の態度は感覺の如何なる印象にも打ち勝つてすこしの動搖なく、すべてそれらを同化する。氏の詩からは豫言者のもつ愛情が湧いてでる。氏の世界は全宇宙的であつて自然の一草一石も氏と共通のいのちを持つて居る。氏の感情は世界の創造者のもつであらう感情へ向つてあこがれる。したがつて氏の詩は個人的性格の感情を嚴然として批判し得る普遍的絶對的のものを示してゐる。」

 

 此の言葉は最早、君に對してあまりに沈套なそしてあまりに平俗な頌辭となつてしまつてゐる。今、君の詩に讃嘆を惜まぬものは到る所にみることが出來る。

[やぶちゃん注:「沈套な」「チンタウ(チントウ)」で常套的に堕した退屈なの意でとっておく。

「讃嘆」の「讃」の字は底本の用字。]

 三度此處に君の詩について何事かをのべようとしても、亦先きの言葉をくり返して君のその豐饒な天分を祝福するより外は無い。僕にとつては。

 

 山村君

 僕は哲學の一學徒だ。君とはまつたく別の方向に進んでゐる。君は直覺的に物を握らうとし、僕は握るまへに理知的に疑はうとする。君のやうに直截に物の摑める人は眞にうらやましい。近頃は殊に自分の思想をできるだけつきとめてみようと思つて朝から夜までほとんどぶつ通しに机にむかひ、讀書と思索とに沈潜しつゝまとまるだけ多くを纒めてかいてゐるが其の間にただ四時から落日頃までを僕の散策の時間にとつておいて此の僅かのひまを自然の懷に抱かれやうとしてゐる。併し長い間、そうして室内に閉籠つてゐて自然界にでてみると自然はまるで自分をうけつけてくれない。そして思索と本當の物とはまつたく別だといふ氣が切にする。そんな時、僕はすぐに自分を反省して、自分のすがたが餘りにみすぼらしく憐れに見える。だが亦斯んな時もある。思想上では全然中世期の哲學に近づいて、或る實際主義者現實主義者からはかの煩瑣哲學の亞流として排斥せられる其の著作にしたしみつゝ、自分の思想も次第にその方向にすすむやうになつて所謂現實所謂人生からはまるで阻隔してゐながら、洛北の圃の畝に腰をおろして夕日のやすらかにいり行くのを見遣る時、自分の心臟の鼓動は遠い村村の家や森や竹籔にたなびく夕靄の中にきえていつてそこでひたすらに神を想ふやうになる。こんな時には自分の思想はすつかり自然と交融してゐるのを覺へる。或は亦斯んなこともある。いくつか連つてゐる寺寺の境内をそれからそれへと步き廻つて、と或る御堂のおくの讀經の諧音に耳をすましたり、また禪庵の柱に懸けてある偈の章句を考へたり、超俗的な眉間の額面の文字にひたと見入つたりしながら、自分といふもの、自分の思想といふものを全く忘れてしまつたやうになることがある。こんなにして生活する僕にとつて迷執は常に離れがたい原罪(ウアジユンデ)である。思想上では變説改論まことに恒なく、實際どれだけが自分にとつて不可疑的の部分か解らなくなつて情無くさへなる。しかし其等のすべての時に亘り、ふしぎに君の詩は僕にとつて眞實である。僕の氣分などはまるでふわふわして好惡の標準が全然の反對から反對へと動きつつあるにも拘らず君の詩はいつも僕に親昵感を與へるものである。それは實に君の詩の奇蹟だ。

[やぶちゃん注:「沈潜」の「潜」は原典の用字。

「抱かれやう」はママ。

「そうして室内に」の「そうして」はママ。

「覺へる」はママ。

「廻」は底本の用字。

「諧音」これは「カイイン」でならば中国語で「漢字で音が同じでも意味は違うこと」を指すが、ここは「カイオン」で、単に音階の変化を指していると読む。

「眉間」は「みけん」であるが、正面間近に飾られた、の謂い。

「原罪(ウアジユンデ)」ドイツ語“Erbsünde”であるが、音写は「エルプズュンデ」が近い。

「ふわふわ」はママ。]

 

 山村君

 僕の神秘的象徴主義が元來、大乘佛教の哲理からきたものだといふことは君も知つてゐる。僕は始めプラグマチズムの現實哲學に執着してゐたが、其頃から僕の思想はプラグマチズムとはいはないで象徴主義と銘打つてゐた。後、次第に思想が深化して現今の所謂論理主義の嚴密さを味ひつつ、リツケルト、コオエン、フツサアル、ボルツアノとだんだんに固くなつてゆくにつれて僕の理知欲は一面に滿足させられたが他面の宗教的要求を如何にせばやと惑ふ樣になつた。其頃のことである。僕が專心大乘佛教の中に浸つて佛弟子たる修業に志したのは。「公準としての愛」といふやうなものも其の時に出來た。神秘的象徴主義の骨組もその頃に出來た。そして禪宗のやうな超俗的内面的な宗教がその究竟境を示すときの偈を讀み、その表現があまりに現代フランスの象徴派詩人のそれと共通してゐるのに驚いた。更にすすんで君の先きの詩集「聖三稜玻璃」を一讀するや、誠に精神的に貧弱な現今のわが國に斯くも摩訶不思議の詩境にあそぶものがあるかと僕の心は君に對する驚異と畏敬とにみたされた。實にも靈性の深奧に秘密の殿堂をみいだすことは感覺のプリズムに富瞻の色彩を悦樂することである。それを知るものは君である。君のやうな徹底した象徴主義者は西歐にも其例を見ることができない。君が名辭のみを聯ねた詩の簡潔こそは東洋人の脈管からながれでた血のその純粹の結晶であらう。

[やぶちゃん注:「リツケルト」ハインリヒ・ヨーン・リッケルト(Heinrich John Rickert 一八六三年~一九三六年)はドイツの新カント派・西南ドイツ学派の代表的哲学者。

「コオエン」既出既注。

「フツサアル」エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl 一八五九年~一九三八年)はオーストリアの哲学者・数学者で、全く当たら好い哲学的アプローチである「現象学」の提唱者として知られる。

「ボルツアノ」ベルナルト・ボルツァーノ(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano 一七八一年~一八四八年)はチェコの哲学者・数学者で宗教学者。ライプニッツの哲学に影響を受けて反カント哲学の立場から客観主義的論理哲学を打ち立てた。彼の名前は言語によっては「ベルナルド」「ベルンハルト」などとも音写される。]

 僕の神秘的象徴主義の理論は此後いくらでも變改するであらうが神秘的象徴主義は何としても動かない眞理だ。それは藝術其物眞理其物の成立するアプリオリだ。否、凡てのアプリオリのアプリオリだ。而も君の詩はそれらの主義から超越してゐる。

 

 今も僕は例の散策から歸つてきたところだ。いつもの道だが、加茂川から一二丁の間隔を置いて平行にはしつてゐる高い堤(それは往昔(むかし)の加茂川のそれではないかと思ふ)の上を北の方へあるいて行つた。そこには丈の低い小笹が繁つて早くも春の雲雀が鳴いてゐる。ふと菜畑のほとりをゆるやかに何處かの鐘の音がながれた。僕はその音に聽入りながらつらつらと自然のあらはれの信實を思つた。何と言つても信實な眞摯なそして溫良なものは自然だ。亦、いつも健全なのは自然だ。

[やぶちゃん注:太字は傍点「ヽ」。以下、同。

「高い堤(それは往昔(むかし)の加茂川のそれではないかと思ふ)の上を北の方へあるいて行つた」の部分は原典では「高い堤(それは往昔(むかし)の加茂川のそれではないか)と思ふの上を北の方へあるいて行つた」となっているが、これではおかしい。彌生書房版全詩集で特異的に訂した。なお、加工データである「青空文庫」版(昭和四一(一九六六)年講談社刊「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」底本)でも同じ位置に丸括弧が移されてある。

「一二丁」凡そ一一〇~二一八メートル。]

 

 山村君。君はつねにかのジアナリズムを排してゐる。それは僕も同樣だ。併しジアナリズムぐらゐが何だ。それはただ文壇といふ文化顯象の片隅にかすかに存在してゐるだけの事實に過ぎないではないか。現代の文明はもつと複雜だ。僕等には文壇のジアナリズムぐらゐではすまない大きな蠱惑や侮辱が絶えず攻めよせて來る。時折は而かもほんとに癪に觸つて僕も一ばんその中で戰つてみせてやらうかと言ふ樣なむら氣が起る。しかしそれは僕等の生命が三つも四つもあつた時のことで、たつた一つしかない短い生命はそんな無意味なことに費してはならぬ。僕等は本當のものを摑まねばならぬ。すこしの妥協も拗氣もない眞摯に生きなければならぬ。眞に自分の滿足するものを創出せねばならぬ。そんな時に自然はいい僕等の指導者である。

[やぶちゃん注:「拗氣」「すねつけ(すねっけ)」と訓じておく。]

 君の詩は、恰もその自然の一片として生きてゐる。君の詩には詩人の詩臭ともいふべきものが無い。そして君ほど詩人の中で近づきやすく親しい感じをもつたものが何處にあるか。それは前の詩集に於いても今の詩集に於ても同じだ。君の前の詩集を難解だと云ひ、君が此の詩集にあつめたやうな詩に對して奇蹟的の轉回だと云ふものがあるが、僕にとつては前の詩と最近の詩と、そのあひだに少しの差違もない。ちがつたとすれば君が或は感覺に或は直觀に、到るところ君の體驗を燃燒せしめつつあるのを外面的に見たからだらう。僕等の弱いそして傷き易いこころは或る時は悲めるものの𡉏れを歌ひ、或る時は惱めるものの自棄を誦する。併しながら其等はいづれも何等か我々のセンチメンタリズムに媚びてゐる。君の詩こそは自然のもつ健全にある。君の詩こそは創造者のもつ力にある。不斷、人間内奧のたましひのやしなひとなるものはまことに君の詩でなければならぬ。そしてそれは君の尊い人格の發現といふものだ。

[やぶちゃん注:「𡉏れ」当漢字は不詳である。従って読みも不明であるが、これと漢字としては「圯」と「圮」が存在する。前者には「橋」「土橋」の意があるが、動詞も形容詞もないから、「𡉏れ」という訓は当たりようが、ない。後者の「圮」には「やぶる・やぶれる・くつがえる」「くつがえす・くつがえる」「河水が堤防を越える」等の意味がある。仮にこれが全くの誤字でないとすれば、文脈から推定される読みは私は唯一つ、「やぶれ」である。「悲めるものの𡉏れを歌ひ」、即ち、「悲しめる者の」悲憤慷慨の感情の「やぶれ」(堰を切って破れて溢れ出る)の訓としか読めぬ。暫く、そう解釈しておくが、大方の識者の御教授を乞うものではある。私自身は、実はあまり納得していない。

 

 山村君

 君は此の詩集を人間におくるのだと言ふ。君の手は大きく且つ力強い。自由にまた大膽にその手をすべて人間の上に伸べたまへ。そして與へてやりたまへ。それは豫言者のみが獨り持つてゐる特權といふものだ。僕も亦君の詩によつてなぐさめられ勇氣づけられる一人であることを悦んでゐる。

 

  千九百十八年三月

京都にて

 土田杏村

 

[やぶちゃん注:「千九百十八年三月」大正七年。白神氏の「山村暮鳥年譜」によれば、土田杏村に詩集「風は草木にささやいた」『の序文を依頼し』たのは前年大正六年の十月三十日である。五ヶ月かけただけのことはある事大主義的な跋文ではある。正直、私はこの佶屈聱牙な土田杏村の跋が好きでない。しかし、これは山村暮鳥が乞うて求めたものであり、彼は土田に共感していた。それでもしかし、それはそれ、私は私、である。これはこの詩集の跋には、ない方がいい気が、私はしている。以上。]

 

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