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« くちぶえ   山村暮鳥 | トップページ | 卷末の詩   山村暮鳥 »

2017/04/04

ある時(十六篇)   山村暮鳥

 

   ある時

 

大木の幹をなでつつ

ふと手をとめ

しみじみと

みみをすました

何の氣もなく、何の氣もなく

ちようど脈でもみるやうに

 

なんといふ自分であらう

 

[やぶちゃん注:「ちようど」はママ。]

 

 

 

   おなじく

 

雨は一粒一粒

よふけてきけ

遠い

遠い

むかしのことを

    ものがたるよ

 

 

 

   おなじく

 

しみじみと

氷の中でめざめるのは

小さな眞珠の月であらう

よあけである

どこかの山の沼である

 

 

 

   おなじく

 

自分はみた──

遠い

むかしの

神々の世界を

小さなをんなの子が

しきりに

花に

お辭儀をしてゐた

 

 

 

   おなじく

 

なんでもしつてゐるくせに

なんにもしらないふりをしてゐる

梅の古木か

ちらほら

雪のやうな花をつけ

雪のやうなその花を匂はせつ

すつきりとしてゐる

 

 

 

   おなじく

 

たふとさはこの重みにあれ!

林檎を掌(てのひら)に

 のせてながめてゐる

 

 

 

   おなじく

 

おう、これは

これは自分の心などより

こんなにも

こんなにも

大きな林檎だ

 

 

 

   おなじく

 

林檎のような

さびしがりはあるまい──

一つあつても

いくつも

いくつも

積み重ねられてあつても

 

[やぶちゃん注:「ような」はママ。]

 

 

 

   おなじく

 

こどもは林檎が好きだから

りんごもこどもがすきなんだ

必定(きつと)、さうだ

 

 

 

   おなじく

 

林檎よ

こどもに食べられろ

こどもにばつかり

    頰ばられろ

 

 

 

   おなじく

 

りんごはいい

ましてや

子どもと妻と

町からかつてきてくれた林檎だ

どうして頰摺りしずにゐられよう

どうして齒なんかがあてられよう

 

 

 

   おなじく

 

どれもこれも

一ようにまつ赤であつた

林檎は……

 

けれどそのなかでの

とりわけ赤い一つは

ああ、よくみると

はやくも蟲蝕まれてゐるではないか

 

[やぶちゃん注:「一よう」はママ。]

 

 

 

   おなじく

 

りんごはいい

たべなくつていい

たべられなくつていい

だが

たべられるところで

なほさらいいのだ

たべられるのにたべないで

ながめてゐるから

さらにさらにいいのだ

 

 

 

   おなじく

 

まつ赤な林檎をみてゐると

きまつて自分は

昵(じつ)としてゐられなくなる

林檎が殘忍をよびおこすんだ

それこそ

美しいものの惡戲(いたづら)である

 

[やぶちゃん注:「昵(じつ)として」のルビ「じつ」はママ。これを漢字音(漢音)として用いる場合なら「ぢつ」が歴史的仮名遣では正しい。しかし「じつとして」という和語ではそれは歴史的仮名遣の誤りではない。彌生書房版全詩集版は「ぢつ」と〈訂〉しているが、私は従えないのである。]

 

 

 

   おなじく

 

くつてしまへ

くつてしまへ

赤い林檎はおそろしい

それは

あんまり美し過ぎる

 

 

 

   おなじく

 

美しいものは

みんな食べてしまふがいい

たべられるような

畫をみせろ

また詩をかけ

赤い林檎のような詩を──

 

汝、暮鳥よ

詩は食べられぬといふてはならない

 

[やぶちゃん注:三行目「たべられるような」の「ような」はママ。六行目「赤い林檎のような詩を──」は、実は原典では「赤い林檎のようふな詩を──」となっている。前の「ような」の用字法から歴史的仮名遣は訂さないとしても「ふ」は読解不能である。されば、この「ふ」は特異的に衍字と断じて除去した。彌生書房版全詩集版は「赤い林檎のやうな詩を──」と美事に優等生の〈消毒〉がなされてある。]

 

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