父に書きおくる 山村暮鳥
父に書きおくる
父よ、こんやは節分で
あちらでにもこちらでも
にぎやかな豆撒きの聲がします
ふくはうち
おにはそと
父よ、あなたもそのふるさとで
弓なりの腰をのばしながら
その齒のない口で
こんやもまたいつものやうにそれを吐鳴つてゐるのでせう
近所でのその聲をきくと
わたしには子どもの頃のことがおもひだされてなりません
わたしはこのごろまたからだのぐあいがよくないのです
それで寢たりおきたりしてゐます
まだ暮れたばかりですけれど
すこしつかれてきましたから
これからまた褥(とこ)に這入らうとしてゐます
そのまへに一ど
せめてものこころやりに
そちらの空でもながめやうとおもつて
椽側にでてみました
まあ、この綺麗な
それこそ天でも豆撒きをしたやうなこの星、星、星
遠いふるさとでの
あなたの聲までがきこへるやうです
ふくはうち
おにはそと
めにみえない鬼にむかつて
ぱらぱらとなげつけられる煎豆の粒々
妹のあかんぼ――あなたの孫がその昔のあたしのやうに
あなたのあとからよたよたと匍ひずりながら
その粒々を拾ひまはつてゐるでせう
そして頰張つたりしてゐるでせう
目にみえるやうです
それがすむと
こんどは豆木の殼がもやされ
爐では鰯のあたまがじくじくと燒かれるのでせう
あなたが眞面目腐つた顏をして
ペツペツとその鰯のあたまに唾を吐きかけながら
喋舌つてゐるのを
わたしは噴きだしたいやうな氣持できいてゐました
よくおぼえてゐます
何はさておき
百姓のことだから
まづ米麥の蟲を燒く、ペツペツ
それから粟、蕎麥、陸稻、もろこしの蟲を燒く、ペツペツ
野菜、靑物、なりくだもの
養蠶につく蟲、桑の蟲
そのほかすべてのものにつく惡い蟲をやく、ペツペツ
さまざまの兇禍を燒く
家につくもの
家の人達につくもの
わけても子どもにつきたがるその病氣の蟲を燒く、ペツペツ
父よ、あなたはさうして年每に
わたしの運命の惡い蟲までやいてくだすつたのですが
どうしたものでせう。
それは燒きつくされなかつたと見えます
それはそれとして
またしても近所からさかんにきこえてきます
ふくはうち
おにはそと
なんにもしらない家の子どもは
それを不思議さうにたづねるのです
だが、なんとはなしたものでせう
と言つてまさか知らないとも僞れないので
その出鱈目のやうな話をはなしてきかすと
子どもたちは繪雜誌などでみてゐたのをおもひだして
すぐそれを信ずるのです
そして、家でも豆撒きをしておくれと駄々を捏ねるのです
ああ、たまらない
子どもの無邪氣さには打たれます
その正眞さには打たれます
子どもたちはもう
鬼のゐることをちつともうたがつてはゐないのです
みたこともないものです
けれど子どもたちは
それだからなほさら強く信ずるのです
迷信であつてもかまひません
ほんとにこんな單純な氣持になりたいものだと
泌々わたしはおもひます
でも、もうだめです
わたしらには鬼があんまりおほく居過ぎます
父よ、鬼はほんとうにゐるのだといまはじめて知りました
わたしは自分のこころに
それをいくらでもみることができます
また、そのおそろしい角を
自分のこの前額(ひたへ)に感ずることすらあります
父よ、もうしかたがありません
わたしたちにはなんとしても
ふくはうち
おにはそと
さういつて吐鳴りまはることができません
できなくなつてしまつたのです
父よ、だから、もしできることなら
これは冗談口のやうにも聞こえますが
こんやのやうに家々から追ひだされたら
その鬼どものために
わたしたちはせめてもの
善い巣にでもなつてやるほかありますまい
わたしがさう子どもたちに話すと
子どもたちも怖々ながらではありましたが
口を揃へていひました
それがいい
そうして可愛がつてやれば
きつと惡いことなんかしませんよ
惡いことなんかするのを
恥しいとおもうやうになります
[やぶちゃん注:「からだのぐあい」、「ながめやう」、「あなたの聲までがきこへるやうです」の「きこへる」、最終行の「おもう」はママ。なお、ここで記憶の中の山村暮鳥の父が、節分に邪気を払うための鰯に唾を吐きかけて焼くのは、民俗行為としてよく知られたものである。鰯を焼くのはその生臭い臭気を邪悪な存在が嫌うからであり、唾をかけて焼くことで臭気も強まるとは言えるが、それ以前に唾自体が邪気を払う霊力を持つものとして記紀以来、信じられていることに拠る。また、本篇を読むとどうやら流石にキリスト教の伝道師である山村暮鳥は節分の豆撒きを自宅ではしない、子供らにはさせていない(詩篇の叙述からは恐らくはこの後も)ということが判る。当然と言えば、当然か。しかし、ここで暮鳥は子らに――「鬼」(悪魔)と呼ばれる忌み嫌われる差別される存在をこそ救い守ってやりなさい――と諭し、子らもそれを受け入れるのである。何と素敵な節分の夜のお話であろう!
「養蠶」彌生書房版全詩集版ではこの二字に「かひこ」とルビする。
「兇禍」彌生書房版全詩集版ではこの二字に「まがつみ」とルビする。
「そして、でも豆撒きをしておくれと駄々を捏ねるのです」彌生書房版全詩集版では「家」に「うち」とルビする。
「怖々ながら」「おそるおそるながら」と訓じておく。
彌生書房版全詩集版。
*
父に書きおくる
父よ、こんやは節分で
あちらでにもこちらでも
にぎやかな豆撒きの聲がします
ふくはうち
おにはそと
父よ、あなたもそのふるさとで
弓なりの腰をのばしながら
その齒のない口で
こんやもまたいつものやうにそれを吐鳴つてゐるのでせう
近所でのその聲をきくと
わたしには子どもの頃のことがおもひだされてなりません
わたしはこのごろまたからだのぐあひがよくないのです
それで寢たりおきたりしてゐます
まだ暮れたばかりですけれど
すこしつかれてきましたから
これからまた褥(とこ)に這入らうとしてゐます
そのまへに一ど
せめてものこころやりに
そちらの空でもながめようとおもつて
椽側にでてみました
まあ、この綺麗な
それこそ天でも豆撒きをしたやうなこの星、星、星
遠いふるさとでの
あなたの聲までがきこえるやうです
ふくはうち
おにはそと
めにみえない鬼にむかつて
ぱらぱらとなげつけられる煎豆の粒々
妹のあかんぼ――あなたの孫がその昔のわたしのやうに
あなたのあとからよたよたと匍ひずりながら
その粒々を拾ひまはつてゐるでせう
そして頰張つたりしてゐるでせう
目にみえるやうです
それがすむと
こんどは豆木の殼がもやされ
爐では鰯のあたまがじくじくと燒かれるのでせう
あなたが眞面目腐つた顏をして
ペツペツとその鰯のあたまに唾を吐きかけながら
喋舌つてゐるのを
わたしは噴きだしたいやうな氣持できいてゐました
よくおぼえてゐます
何はさておき
百姓のことだから
まづ米麥の蟲を燒く、ペツペツ
それから粟、蕎麥、陸稻、もろこしの蟲を燒く、ペツペツ
野菜、靑物、なりくだもの
養蠶(かひこ)につく蟲、桑の蟲
そのほかすべてのものにつく惡い蟲をやく、ペツペツ
さまざまの兇禍(まがつみ)を燒く
家につくもの
家の人達につくもの
わけても子どもにつきたがるその病氣の蟲を燒く、ペツペツ
父よ、あなたはさうして年每に
わたしの運命の惡い蟲までやいてくだすつたのですが
どうしたものでせう。
それは燒きつくされなかつたと見えます
それはそれとして
またしても近所からさかんにきこえてきます
ふくはうち
おにはそと
なんにもしらない家の子どもは
それを不思議さうにたづねるのです
だが、なんとはなしたものでせう
と言つてまさか知らないとも僞れないので
その出鱈目のやうな話をはなしてきかすと
子どもたちは繪雜誌などでみてゐたのをおもひだして
すぐそれを信ずるのです
そして、家(うち)でも豆撒きをしておくれと駄々を捏ねるのです
ああ、たまらない
子どもの無邪氣さには打たれます
その正眞さには打たれます
子どもたちはもう
鬼のゐることをちつともうたがつてはゐないのです
みたこともないものです
けれど子どもたちは
それだからなほさら強く信ずるのです
迷信であつてもかまひません
ほんとにこんな單純な氣持になりたいものだと
沁々わたしはおもひます
でも、もうだめです
わたしらには鬼があんまりおほく居過ぎます
父よ、鬼はほんとうにゐるのだといまはじめて知りました
わたしは自分のこころに
それをいくらでもみることができます
また、そのおそろしい角を
自分のこの前額(ひたひ)に感ずることすらあります
父よ、もうしかたがありません
わたしたちにはなんとしても
ふくはうち
おにはそと
さういつて吐鳴りまはることができません
できなくなつてしまつたのです
父よ、だから、もしできることなら
これは冗談口のやうにも聞こえますが
こんやのやうに家々から追ひだされたら
その鬼どものために
わたしたちはせめてもの
善い巣にでもなつてやるほかありますまい
わたしがさう子どもたちに話すと
子どもたちも怖々ながらではありましたが
口を揃へていひました
それがいい
そうして可愛がつてやれば
きつと惡いことなんかしませんよ
惡いことなんかするのを
恥しいとおもふやうになります
*]

