山村暮鳥詩集「雲」始動 / 序 春の河(三篇)
山村暮鳥詩集「雲」
[やぶちゃん注:以下、山村暮鳥が没した直後に大正一四(一九二五)年一月一日イデア書院から刊行された詩集「雲」の電子化注に入る。
底本はこちらの早稲田大学蔵の初版本カラー画像(PDF)を用い、判読のし難い箇所では国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの同一刊本モノクローム画像を比較した。校合活字本としては従来通り、彌生書房版全詩集版を用いた。
但し、入力の時間短縮を図るため、加工データとして「青空文庫」のこちらの正字正仮名電子テクスト(昭和四一(一九六六)年講談社刊「日本現代文學全集」第五十四巻「千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」底本。入力/土屋隆氏・校正/田中敬三氏)を使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
なお、本詩集では「おなじく」とする詩篇については、ソリッドな群として認識し、纏めて公開することとした。]
雲
暮鳥詩
芋銭画
イデア書院版
[やぶちゃん注:箱。表紙。表記はママ。総て手書きで黒字に白で書かれたプレートで右上に貼り附け。「雲」は大きく(行書)、その下に二行で詩人と装画者が記されてある。]
雲 山村暮鳥詩集
[やぶちゃん注:箱。背。黒地に白]
雲
[やぶちゃん注:扉。ちょっと笑えるような、愛嬌のある手書き。後の目次後の記載から山村暮鳥の次女千草の筆になうものであることが判る(当該頁の私の注も参照されたい)。次の扉(左頁)に活字で『装幀』『小川芋錢』と中央にかなり大きなポイントで活字印刷。こういう装幀者キャプションの配置は比較的珍しい。その次の次の頁(左頁)から山村暮鳥の以下の「序」が始まる。]
序
人生の大きな峠を、また一つ自分はうしろにした。十年一昔だといふ。すると自分の生れたことはもうむかしの、むかしの、むかしの、そのまた昔の事である。まだ、すべてが昨日今日のやうにばかりおもはれてゐるのに、いつのまにそんなにすぎさつてしまつたのか。一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。
そこに永遠を思慕するものの寂しさがある。
ふりかへつてみると、自分もたくさんの詩をかいてきた。よくかうして書きつづけてきたものだ。
その詩が、よし、どんなものであらうと、この一すぢにつながる境涯をおもへば、まことに、まことに、それはいたづらごとではない。
むかしより、ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする。
これは芭蕉が感想の一つであるが、ほんとうにそのとほりだ。
また言ふ。――花を愛すべし。實なほ喰ひつべし。
なんといふ童心めいた慾張りの、だがまた、これほど深い實在自然の聲があらうか。
自分にも此の頃になつて、やうやく、そうしたことが泌々と思ひあはされるやうになつた。齡の效かもしれない。
藝術のない生活はたえられない。生活のない藝術もたえられない。藝術か生活か。徹底は、そのどつちかを撰ばせずにはおかない。而も自分にとつては二つながら、どちらも棄てることができない。
これまでの自分には、そこに大きな惱みがあつた。
それならなんぢのいまはと問はれたら、どうしよう、かの道元の谿聲山色はあまりにも幽遠である。
かうしてそれを喰べるにあたつて、大地の中からころげでた馬鈴薯をただ合掌禮拜するだけの自分である。
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
詩をつくるより田を作れといふ。よい箴言である。けれど、それだけのことである。
善い詩人は詩をかざらず。
まことの農夫は田に溺れず。
これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。
なんといはう。實に、田の田である。詩の詩である。
――藝術は表現であるといはれる。それはそれでいい。だが、ほんとうの藝術はそれだけではない。そこには、表現されたもの以外に何かがなくてはならない。これが大切な一事である。何か。すなはち宗教において愛や眞實の行爲に相對するところの信念で、それが何であるかは、信念の本質におけるとおなじく、はつきりとはいへない。それをある目的とか寓意とかに解されてはたいへんである。それのみが藝術をして眞に藝術たらしめるものである。
藝術における氣禀の有無は、ひとへにそこにある。作品が全然或る敍述、表現にをはつてゐるかゐないかは徹頭徹尾、その何かの上に關はる。
その妖怪を逃がすな。
それは、だが長い藝術道の體驗においてでなくては捕へられないものらしい。
何よりもよい生活のことである。寂しくともくるしくともそのよい生活を生かすためには、お互ひ、精進々々の事。
茨城縣イソハマにて
山 村 暮 鳥
[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」。二ヶ所の「ほんとう」、「そうしたこと」、二ヶ所の「たえられない」はママ。
「ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする」「これは芭蕉が感想の一つである」「花を愛すべし。實なほ喰ひつべし」以上の二つの引用は孰れも貞享四(一六八七)年芭蕉四十三歳の時の、盟友山口素堂と交わした「蓑蟲説」の中の芭蕉の「簑蟲説跋」の一節。探してみたが、私の所持する芭蕉の文集内には何故か見出せないので、こちらに載る電子データを加工(漢字の一部正字化)して示す(対象校合するデータがないので、失礼ながら、誤りがあるかも知れぬ。御教授願いたい)。下線は私が引いた。
*
草の戸さしこめて、ものゝ侘しき折しも、偶簑蟲の一句をいふ、我友素翁、はなはだ哀がりて、詩を題し文をつらぬ。其詩や綿をぬひ物にし、其文や玉をまろばすがごとし。つらくみれバ、離騷のたくみ有にゝたり。又、蘇新黃奇あり。はじめに虞舜・曾參の孝をいへるは、人におしへをとれと也。其無能不才を感る事ハ、ふたゝび南花の心を見よとなり終に玉むしのたはれハ、色をいさむとならし。翁にあらずば誰か此むしの心をしらん。靜にみれば物皆自得すといへり。此人によりてこの句をしる。むかしより筆をもてあそぶ人の、おほくは花にふけりて實をそこなひ、みを好て風流をしる。此文やはた其花を愛すべし、其實、猶くらひつべし。こゝに何がし朝湖と云有。この事を傳へきゝてこれを畫。まことに丹靑淡して情こまやか也。こゝろをとゞむれバ蟲うごくがとごとく、黃葉落るかとうたがふ。みゞをたれて是を聴けば、其むし聲をなして、秋のかぜそよそよと寒し。猶閑窓に閑を得て、両士の幸に預る事、簑むしのめいぼくあるにゝたり。
芭蕉庵桃靑
*
「道元の谿聲山色」道元の「正法眼藏(しょうぼうげんぞう)」の中の「谿聲山色(けいせいさんしき)」(七十五巻本の二十七)。私は親しく同書を読んでいないので良く判らぬが、こちらの同書現代語訳サイト目次の当該章梗概によれば、『谷川の響きや山の姿の中に仏道の真実が隠されていることを明かし、道心を起こすべきことを説く』とある。
「気禀」「きひん」。「気稟」とも書き、「生まれつきもっている気質」の意。
以下に目次(省略)が続く。]
扉字 山村ちぐさ
挿繪 小川芋錢氏
[やぶちゃん注:「山村ちぐさ」山村暮鳥の次女千草。以下には四枚の挿絵の題とページが示されているが、略す。刊行年当時は六歳。白神正晴氏の「山村暮鳥年譜」によれば、暮鳥逝去の二日前の大正一三(一九二四)年十二月六日の条に、『編集者細矢は暮鳥に次女千草が書いた扉の題字が薄くて印刷が困難なため、筆かマッチの先を使って書き直すように依頼する』とあることによって、先の可愛らしい「雲」の扉字となったことが判る。]
春の河
たつぷりと
春の河は
ながれてゐるのか
ゐないのか
ういてゐる
藁くずのうごくので
それとしられる
[やぶちゃん注:「藁くず」はママ。]
おなじく
春の、田舍の
大きな河をみるよろこび
そのよろこびを
ゆつたりと雲のように
ほがらかに
飽かずながして
それをまたよろこんでみてゐる
[やぶちゃん注:「ように」はママ。]
おなじく
たつぷりと
春は
小さな川々まで
あふれてゐる
あふれてゐる

