ある時(三篇) 山村暮鳥
ある時
ぼたんよ
ぼたんよ
どこまで深い晝だらう
生くることのたふとさに
呼吸(いき)づく花か
そなたは
そなたをじつと
みてゐると
いまにも何か言ひだしさうな
[やぶちゃん注:三行目「どこまで」は原典では「とこまで」であるが、前篇に示した彌生書房版全詩集版の差し替え詩篇によって特異的に訂した。なお、前の詩篇の注で述べた通り、この「ある時」は彌生書房版全詩集版にはない。しかし、前詩篇との酷似性は言うまでもなく、原典は稿の錯雑があるのかも知れぬ。元原稿に当たった彌生書房版全詩集版編者が前の注に示した「ある時」と題した正式決定稿を見出し、原典の前の「牡丹の教へ」を無効とし、前篇を除去したものと考えられる。にしても、そこには有意な表記上の違いがあり、掲げた前篇を除去することは私には出来ない。]
おなじく
ぼたん
一輪
眞晝でもいい
月の夜もいい
どうせ
此の世のものではない
[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集版では前篇の除去操作の後、本篇標題は「おなじく」ではなく「ある時」となっている。]
おなじく
これは一輪の牡丹である
これはみはてもつかないそんな大きな花である
宙天の蝶々よ
お前達にもたうとうそれがみつかつたか
ひらひら ひらひら
蒼空ふかく
とけこんでしまふがいい
とけこんでしまふがいい
ああ!