譚海 卷之二 泉州信太社幷葛の葉の事
泉州信太社幷葛の葉の事
○和泉國信太(しのだ)の森の葛の葉は裏に白き斑文あり、土俗此をうらみくずのはと稱す。又信太の神社の神主を世々長者と稱し來(きた)る由、明和年中その別當と諍論(じやうろん)の公事(くじ)ありし時、その人ものかたり也。
[やぶちゃん注:「泉州信太社」現在の大阪府和泉市葛の葉町(ちょう)にある信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社。ウィキの「信太森葛葉稲荷神社」によれば、『信太森は、奈良時代の和銅元年』(七〇八年)『旧二月初午の日に元明天皇が楠の神木の化身である白龍に対して祭事を行ったことを縁起としており、信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立された』。『平安時代の中頃、冤罪で罷免された安倍保名(あべのやすな)が家名復興を祈願した帰り、猟師に追われた白狐をかくまった。そのため負傷したことが縁で白狐の化身である葛の葉(くずのは)と結ばれ、童子丸(後の安倍晴明)を授かる。葛の葉は我が子に正体を悟られ、悲しい別れとなったが、晴明は天皇の病気を治して出世し、保名の無実の罪を晴らして見事家の再興を果たした。この御利益により、信太森神社は信太森葛葉稲荷神社として知られることになった』とある。「葛の葉」伝説については、ウィキの「葛の葉」などを参照されたい。
「裏に白き斑文あり」マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属クズ Pueraria lobata の葉の裏はこの信太の森の葛に限らず、裏は白い毛が密生しており、白っぽい。その葛の葉が風に吹かれて白い「裏」を「見」せる情景から、「うらみ」で「恨み」のとなり、本伝承の異類婚姻譚と子別れの情愛の「恨み」へと結びつけられた。
「世々」「だいだい」と一般名詞で読んでおく。
「長者」この呼称は現在は行われていない模様である。
「明和年中」一七六四年から一七七一年。第十代将軍徳川家治の治世。]
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