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2017/04/02

詩群「穀粒」始動 / 大暴風の詩

 

詩群「穀粒」

 

[やぶちゃん注:山村暮鳥は大正十年八月十八日に隆文館から聖書文學會選になる『暮鳥詩選「穀粒」』を刊行している(実際には自選のようである)。以下は彌生書房版全詩集版の「新編『穀粒』」を基礎底本或いは加工用データとしつつ、例のポリシーから漢字を概ね正字化して電子化し、「大暴風の詩」と「はつふゆ」の詩篇に就いては、国立国会図書館デジタルコレクションの同隆文館刊「穀粒」のこちらの画像などを視認して、厳密に校合することとした隆文館版のそれを全電子化しないのは、既刊詩集からもかなりの分量の詩篇を引いているためで、これを電子化すると重複詩篇が多くなることに拠る)。この作業によって、現在、求め得る最良の原型に近い詩篇群となるものと思われる。]

 

 

 

    大暴風の詩

 

みちばたで

革の葉つぱのそよいでゐるのを

わたしは見た

あらし

あらし

おまへはどこでそのとき

そのおそろしい爪を研いでゐたのか

 

茫々たる沙漠のはてからきたお前

獅子の鬣をむしってきたお前

熱沙の上を匍つてきたお前

 

りうりうと天にそびゆる山々をのり超え

千古の雪をそこで頰ばつてきたお前

氷河の谿をぴよんと跨いできたお前

 

あらし

あらし

それをみて太陽はおもてをかくした

月もその雲間にふかくにげこんだ

そして星はといへば

黃金(きん)の穀粒のばらばらとふり落されるばかりに搖られた

 

天地も裂けよととどろく雷(いかづち)

亂れとぶ刄のやうな稻妻

すぼとめがけて射かける矢の雨

投げつける礫(つぶて)のあられ

ただもうわたしは

そのすばらしさにみとれてゐた

 

あらし

あらし

海峽をひと飛びにしてきたお前

浪を蹴立ててきたお前

あまたの船をひつくりかへしてきたお前

おまへにあつてはどんなものでもまるで木の葉のやうだ

 

おまへば天空(そら)をかけつけてきた

おまへは雲を捲きおこし

おまへは雲を渦(うづま)かせ

おまへは雪をふきちらした

千萬無數の猛獸もよもやお前ほどではあるまい

ごうごうと吼えたける聲々

その聲々

おまへは大河にそふてきた

山山のはげた額をすべりおち

山の裾野におほ波打たせて

大森林をみぶるひさせ

ばりばりと火花をちらしてつきぬけてきた

そそりたつ大木を腹立たせ

大木の腕のやうな枝々をへし折り

その幹をひきさき

また根こぎにし

あばれくるつてつきぬけてきた

 

おまへは幹をひきさき

また根こぎにし

あばれくるつてつきぬけてきた

 

おまへは丘をかけくだつて

おまへは草を折りしいた

そしてその上を轉んできた

哮えながら

大きな平野をよこぎつてきた

ゆたかにみのつた穀物畠をけちらしてきた

穗首の重いもろこしを吹きをり

蕎麥の花をうちおとし

稗と粟とを打ち伏せ

馬鈴薯ときやべつと大根と芋と胡豆の類をふみにじつてきた

 

小鳥らは鳴きさけんでひるがえり

魚はふかく潜み

家畜はもだし

木といふ木はみな箒になり

葉つぱはみなひき毮られ

世界はまつたくおまへの手で

おそろしい闇のどん底につきおとされてしまつた

 

河はあふれ

水は喘ぎ

はしはながれ

つつみもやぶれた

 

むかむかともりあがるやうな力で

憂欝な大きい翼を

はりならべてかけるお前

その羽愽(はばた)き

慘(むごた)らしい角をふりたて

牙をならしてのしかかるお前

火のやうなるお前

 

あらし

あらし

おまへのあしもとを見ろ

そこになにがあるか

そのあしもとの

みすぼらしい村々をみろ

あちらこちらに醜くもより塊まつて

縮みあがり

ペつたりと腰をぬかしてゐる村々

あわてふためき

もう眼を廻してゐる町々

さらに

ひつそりと

靜まりかへつてゐる大きな町々の寂しさは

まるで墓場のやうではないか

 

すべてはもう

おまへのまへに跪(ひざま)づき

額は地べたにすりつけ

おまへにむかつて掌(て)をあはせてゐるやうに見えた

けれどそれが何だらふ

おまへにとつて

おまへはそんなことには無頓着であつた

おまへはそんなことには限もくれなかつた

おまへは

おおあらしよ

ただおまへはおまへのすることをするばかりだ

そしておまへは摑みかかつた

 

おまへは摑みかかつた

ほえついた

かみついた

けちらした

その鐵熊手のやうな爪で搔きさいた

その牙でつき刺した

その齒でくはへてふりまはした

 

みろ

そして屋根屋根はみごとに剝がれ

はがれて飛び

煙筒はたほれ

電柱はへなへなと曲り

電線は絲のやうに切れてもつれてぶらさがり

電車はぱたりとまり

自動車は逃げ

荷馬車はよろめき

汽船はながされ

汽車は汽車とて立往生のあはれさ

道路は川となり

川は沼となり

海となり

街々はぞんぶんにふみにじられ

家々は手あたり次第にもみつぶされて

世界きつての大都會も

いまははや

もの凄いさびしい曠野となり

街上には人つ子一人みえない

 

そこで

いまのいままで

にくんだり

ねたんだり

腹を立てたり

愛したり

泣いたり

わらつたり

噓を吐いたり

血を流したり

ぬすんだり

殺したり

接吻(くちつけ)したり

姦通したり

祈つたり

まるで蛆蟲のやうにうようよとしてゐたひとびとも

ひつそりと息を殺した

そしてさんたんたる世界の滅亡をまのあたりにながめた

 

犇めき

乘り越え

ふみにぢれ

おまへの前にはなんにもない

おまへのあとをもふりかへらない

それでいい

お前は怒つてゐるのではない

お前はにくんでゐるのではない

お前はふざけてゐるのでもない

嫉妬でもない

意地惡でもない

ただ

生けるものの壯麗をきはめた模範だ

 

ふきとばせ

蹴ちらせ

 

わたしは讃へる

ほめたたへる

そしても一ど叫ばう

どんなものでもお前にあつては

ひらひらと

木の葉のやうだと

 

あらし

あらし

これでいいか

あらし

 

あらし

あらし

それでいい

あらし

 

おおあらしよ

だがお前がきたとき

お前のその大魔王のやうなふるまひを見て

どこにか

それをよろこんで

手を叩(う)つてをどつた子どもはゐなかつたか

 

[やぶちゃん注:本詩篇は国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認して、彌生書房版全詩集版データを校合、基本的に前者を採用した既に彌生書房版全詩集版の誤りと思われる箇所が複数箇所、見出せている

彌生書房版全詩集版では第三連として纏めてしまっているものが、刊行本の一ページ行数から、明らかに改頁後に空行があって詩篇が始まっていることが判ったので、行空きを施した

「ごうごうと吼えたける聲々」彌生書房版全詩集版は「ごうごうと吼えたける聲に」となっている。採らない。

「おまへは大河にそふてきた」彌生書房版全詩集版は「おまへは大河にそうてきた」。採らない

「その幹をひきさき

また根こぎにし

あばれくるつてつきぬけてきた」の箇所は、彌生書房版全詩集版では

   *

その幹をひきさき

また根こぎにし

あばれくるつてつきぬけてきた

 

おまへは幹をひきさき

また根こぎにし

あばれくるつてつきぬけてきた

[やぶちゃん注:一行空き。]

   *

となっているが、この「幹を」以下の完全重複は山村暮鳥らしからぬ表現だと私は思う。刊本のそれの方が読んでいて、躓かずに読める。或いは彌生書房版全詩集版は原稿に当たったものかも知れぬが、だとすると、これは悪しき形を定本的全詩集に掲げたことになると私は断言出来る絶対に、採らない

「胡豆」「ことう」或いは「えんどう」と当て訓していよう(後者がよい)。マメ目マメ科マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum

「小鳥らは鳴きさけんでひるがえり」の「え」はママ。

「魚はふかく潜み」の「潜」は国立国会図書館デジタルコレクションの刊本底本のママ。

「羽愽(はばた)き」「愽」はママ。彌生書房版全詩集版は「羽搏(はばた)く」と〈消毒〉するが、「愽」には「広く打つ」の意があるから違和感はない。私は〈訂する〉必要性を感じない。

「もう眼を廻してゐる町々」の「廻」の字は底本の用字。

「けれどそれが何だらふ」はママ。

「煙筒はたほれ」はママ。

「ふみにぢれ」はママ(歴史的仮名遣は「ふみにじれ」が正しい)。但し、彌生書房版全詩集版はここを「ふみにじり」としている。私は採らない。

「わたしは讃へる」以下、「讃」は底本の用字。]

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