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2017/04/01

虹 ―夢二兄におくる   山村暮鳥

 

  

   ―夢二兄におくる

 

虹を

一ばんさきにみつけたのは

なんといつても

子ども達だ

 

子どもはいふ

虹、虹、大きいな

だがかうして私が手をひろげると

あれよりももつともつと大きい

虹は

この中にはいつてしまふ

 

それをきくと

その母もまただまつてはゐない

まあ、なんて綺麗なんでせう

まるでみぢんこででもこしらへたお菓子のやうにみえる

拜みたいやうね

あんなのをみてゐると

此處もまたお伽噺の國ですわねえ

 

いまさらのやうに

その壯大なる一瞬間の天景にうたれた自分は

あまりのうれしさに

小便を

地に垂れずにはゐられなかつた

 

ふたたびみたときには

もう、さすがの虹も

ぼんやりと

うすれはじめた

 

ぼんやりと

そのてつぺんのはうから

虹はうすれた

ちやうど自分のそのうつくしいすがたを

わたしたちにちらりとみせて

それでもう役がすんだといふやうに

 

だが、子ども達は

それをみると

腹を立ててどなりちらした

私達のみつけた虹だ

父ちやんが

小便なんかひつかけたからだと

そして呶鳴つてやめなかつた

 

[やぶちゃん注:「夢二兄」推定であるが、これは竹久夢二(明治一七(一八八四)年~昭和九(一九三四)年:本名は竹久茂次郎(もじろう)。山村暮鳥とは同年齢。生れは暮鳥の方が八ヶ月ほど早い)ではあるまいか? 童話作家でもあった山村暮鳥は鈴木三重吉の『赤い鳥』にも寄稿していたが、同誌の表紙は夢二が担当していたから、接点がないとは言えない。次の詩が小川芋銭に捧げられているバランスからも、竹久夢二である可能性が高いと私は思う。因みに暮鳥の実兄には「夢二」という名の兄はいない。

 彌生書房版全詩集版。添え辞のダッシュの長さと位置以外は完全相同である。

   *

 

  

     ――夢二兄におくる

 

虹を

一ばんさきにみつけたのは

なんといつても

子ども達だ

 

子どもはいふ

虹、虹、大きいな

だがかうして私が手をひろげると

あれよりももつともつと大きい

虹は

この中にはいつてしまふ

 

それをきくと

その母もまただまつてはゐない

まあ、なんて綺麗なんでせう

まるでみぢんこででもこしらへたお菓子のやうにみえる

拜みたいやうね

あんなのをみてゐると

此處もまたお伽噺の國ですわねえ

 

いまさらのやうに

その壯大なる一瞬間の天景にうたれた自分は

あまりのうれしさに

小便を

地に垂れずにはゐられなかつた

 

ふたたびみたときには

もう、さすがの虹も

ぼんやりと

うすれはじめた

 

ぼんやりと

そのてつぺんのはうから

虹はうすれた

ちやうど自分のそのうつくしいすがたを

わたしたちにちらりとみせて

それでもう役がすんだといふやうに

 

だが、子ども達は

それをみると

腹を立ててどなりちらした

私達のみつけた虹だ

父ちやんが

小便なんかひつかけたからだと

そして呶鳴つてやめなかつた

 

   *]

 

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