柴田宵曲 續妖異博物館 「火災の前兆」
火災の前兆
土佐道壽といふ人が浪人して町宅住ひをしてゐた頃、家中の人に産婦の療治を賴まれ、七夜の間はその家にゐたところ、或晩不思議な夢を見た。一人の老僧が現れ、その方の私宅より出火して大事に及ぼうとしてゐる、只今直ぐに歸宅して消せば別條なからう、と云つて引き起されると思つたら目が覺めた。卽座に身拵へをして主人に向ひ、餘儀ない急用を失念して參りました、用事が濟み次第直ぐ戾りますから、と云ひ捨てて馳せ歸ると、果して居間の火燵から簀の子に燃え付いて、危く火事になる寸前であつた。召し連れた下僕と二人で水をかけ、鄰家の人も知らぬうちに消し止めたと「雪窓夜話抄」にある。先方に宿泊してゐる間に夢を見たとすれば、火燵の火の始末もせずに出かけたわけで、不用意千萬の話であるが、道壽はこれを宗祖の告げとして有難く思つたといふのである。
[やぶちゃん注:以上は「雪窓夜話抄」の「卷五」の「土佐道壽夢によりて失火を前知せし事」で、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここで視認出来る。「宗祖」とあるが、原典では最後に『法華宗の信者』とあるから、これは日蓮その人の夢告であったということになる。]
越前の國主松平伊豫守の臣で本田玄覺といふ人は、府中の城代であつたが、その家來の三百石ばかり取る人の家で、居間の天井から白米がばらばらとこぼれて來る。拂ひ捨てると、またそのあとから落ちる。遂に溜つて一俵になつた。一見綺麗な白米だから、飯に炊いて見るのにその味も上々である。明けても暮れても米が降るのを、家の者は福神の所爲として喜んだが、他人はひそかに眉を顰めて居つた。あまり不思議だといふので、天井の板を外して見ても何事もない。然るに或時用事があつて藏を明けて見たら、俵は積んでありながら、中の米は一粒もない。そろそろ玄米が減りかけたと思ふと、今度は座中に玄米が降り出した。驚いて米俵を全部餘所へ預けたところ、陶器と云はず、金物と云はず、臺所道具が躍り出して座敷へ出て來る。米の時は何事もなかつたが、挽臼などが躍り出すに至つて、人にぶつかれば痛むことおびただしい。これはたゞ事にあらずといふので、名僧の聞えある人に賴み、祈禱などもして見ても、更に驗が見えぬ。道具類が躍り出すのはまだしも、家中のこゝかしこから火が燃え出す。家中大騷ぎになつて道具を運び出すうちに、夜が明ければ家はどこも燒けて居らず、もとの通りである。かういふ事が十日ばかり續き、家人も驚かなくなつてから、突然本當の火事が起つて全部燒けてしまつた。但その家だけで類燒はなく、この火事以後は一切の怪しいことはなくなつた。寛永年中の事と「四不語錄」に見えてゐる。
[やぶちゃん注:これは所謂、「付喪神(つくもがみ)」と呼ばれるものに近い。長い年月を経た道具などに鬼神や精霊などが宿ったもので、人を誑かすとされた、かなり古層の妖怪変化の一形態である。以前に述べた通り、「四不語錄」は所持しないので原話を提示出来ない。]
「雪窓夜話抄」の火事は突然であつたが、「四不語錄」の場合は前哨戰と見るべき事柄がいろいろある。その家に異變が起るに先立つて怪事が續出するのは、和漢ともに珍しからぬ話であるが、「池北偶談」の一話などを讀むと、單なる凶事凶兆の類でなしに、大分かけ離れた興味を生じて來る。
武進の諸生楊某なる者が或富豪の家に止宿して居つた。主人は金持の常として每晩のやうに飮み步き、夜おそくなつて歸るのであつたが、或晩歸つて來ると、楊の部屋に灯がかんかんついてゐる。窓の隙から覗いたら、机邊に非常に大きな蠟燭を二本立てて、緋の著物を著た人の書を讀んでゐるのが見えた。主人は勿論楊が勉強してゐるのだと思つたので、翌日楊にその話をしたところ、いゝえ、そんな事はありません、昨夜は早寢をしました、と云ふ。主人は格別氣にも留めぬ風であつたが、楊は不審で堪らず、その晩は寢たふりをして樣子を窺ふことにした。三更に近くなつた頃、忽ち大きな聲で呼ぶ者があり、何人か戸を明けて入つて來ると同時に、大きな蠟燭が地上から現れた。紅い焰は室中を照らし、大勢の人が緋の着物の人を擁して入つて來た。その人は悠然と机に向ひ、そこにあつた書物を讀み出した。楊は大聲で人を呼んだけれど誰も來ない。緋の著物の人は何も耳に入らぬやうに書物を讀み續けてゐたが、五更になると徐ろに身を起し、楊の寢てゐるところへやつて來た。家來らしい大勢も同じやうに集まつて、楊の寢臺を持ち上げ、ぐるぐる引き𢌞した末、何度も宙に拗り上げた。楊はもう聲を立てるどころではない。氣絶して何もわからなかつたが、夜明け近くまた最初のやうな呼び聲が聞え、その後はひつそりとしづまり返つた。楊が正氣を取り戾した時は、室内に誰も居らぬのみならず、扉の鑰(かぎ)もしまつたまゝで、誰の入つた形跡もない。楊ははじめて前夜主人が見たのは、自分の見たと同じものであつたらうと氣が付いたので、匆々にこの家を立ち退いた。その後四五日して突然火がおこり、楊のゐた家は丸燒けになつた。楊の見たのは火の神に相違ないといふことで、「池北偶談」はこの一篇に「火神」と題してゐる。
[やぶちゃん注:「三更」凡そ現在の午後十一時又は午前零時からの二時間を指す。
以上は「池北偶談」の「卷二十三」の柴田の言うように、「火神」と題した以下の話である。
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武進諸生楊某館於某氏、其人富而豪侈、每夜飮、必三鼓。一日醉歸、見館中燈火甚盛、從窗隙竊窺之、見案邊二燭卓立甚巨、有緋衣人據案觀書、意其楊也。明日詢之、楊對以實早寢、未嘗夜讀、然心怪之。至夜、假寐以伺、近三鼓、忽有大聲傳呼、排戸而入、隨有二巨燭出地上、已而紅焰滿室、僕隷雜遝、擁一緋衣人至、據案而坐、取案上書冊翻之。楊懼而叫呼、緋衣人若不聞者。將五鼓、緋衣者徐起、徑趨楊臥處、眾皆從之。忽舉床四腳、盤旋室中、復擲之空中者數四。天將曙、又聞傳呼聲、寂無所見矣。久之、楊始甦、起視門戸、扃鐍如故、問院中人、毫無所聞也。因急謝主人歸。歸數日、火大作、所居皆燼、始悟所見乃火神耳。楊後中鄉試。
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なお、この話は岡本綺堂が「中国怪奇小説集」の中で訳している。「青空文庫」のここで読める。]
緋色の著物を著け、玉大な蠟燭と共に室内に姿を現すのは如何にも火の神らしい。彼が二夜續けてこの家に現れ、巨大な蠟燭の光りで書物を讀んだのは、單に楊及び家の主人に火の到ることを警告するまでだつたのであらうか。巨大な蠟燭に照らされる緋の著物の人は頗る印象的で、この場面が舞臺でも見るやうに、はつきり浮ぶやうな氣がする。
嘗て活字本の「太平廣記」を讀んだ時、この話が入つてゐるのを不審に思つたが、「太平廣記」は宋代の編著だから、淸代に成つた「池北偶談」の話が入る筈はない。多分後人が「池北偶談」の「談異」を勝手に「太平廣記」に加へたものであらう。あの活字本が先入主になると、錯覺を生ずる虞れがあるので、一言蛇足を加へることにした。