或る時(七篇) 山村暮鳥
或る時
なんの花かと
とはれたら
茱萸の花だと
こたへよう
ひよつとして
折つてやらうと
いはれたら
さて、なんとしたらよからう
[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集版では標題は「ある時」である。
「茱萸」は「ぐみ」(バラ目グミ科グミ属
Elaeagnus のグミ類)。山村暮鳥の好きな花の一つ。グーグル画像検索「茱萸の花」をリンクさせておく。]
おなじく
鼻づらをつきだして
いかにも長閑さうに
ながながと鳴いてみせたから
返事のつもりで
自分も
そのまねをしてやつた
すると、牝牛の奴
くるりと
こちらに尻をむけて
すつかり安心したやうに
もう、もぐもぐと草を喰べてゐる
おなじく
遠天(ゑんてん)の
雲霧(くもきり)なれば
かかるもよからう
白い翅(はね)を
はたはた
はたはた
蝶のめざめか
おなじく
朝、起きてみたら
しつとりと
土がぬれてゐる
ちつともしらなかつたが
やつぱり雨が落ちたんだな
すくすくと
一晩の中にといつてもいいほど
まあ、雜草(はぐさ)が
不思議ではないか
こんなにものびてゐるんだ
おなじく
すくすくと
一心にのびる筍
どこまでのびるつもりだらう
きのふは
子どもの肩より低く
けふはわたしをつきぬいた
おなじく
一本二本三本と
いくほんこしらへても
どうしても
麥笛は鳴らない
こしらへかたなら
たしかにしつてゐるんだが
ああ、そうそう
そこまでは氣がつかなかつた
それは、こどもの
唇でなければ
鳴らないんだとは──
おなじく
どんな不思議なことが
いま、畑の中にはあるのか
そいつを
誰が知つてるだらう
よしまた知つたところで
それがなんだらう
ぞつくりと
畑の麥は
穗になつたよ