ある時(十八篇) 山村暮鳥
或る時
ある時
あさぎり
あさぎり
あさはやく
すなつぽの陸稻畠(をかぼばたけ)で
雜草(はぐさ)をぬいてる頰冠りがあつた
あれは神樣だつたらう
[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集版は詩集のパート柱を認めずに無視しており、この詩篇は前篇と続くものとして「おなじく」となっている。]
おなじく
わびしさに
觸れあふ
草の葉つぱだらう
おもひだしては
さらさらとよ
おなじく
たそがれると
それをしつてゐて
そろそろ
花も
草木も
よりそつて
それもまた
うつくしいではないか
ねむりかける
おなじく
自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
なきかはしてゐたのを
[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集版はカットされている。恐らくは詩集「雲」の以下の草稿とでもみたのだろう。しかし有意に後半二行が異なるじゃないか! 私は除去に従えないぞ!
*
ある時
自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを
*]
おなじく
ぐつたりと野蒜が一莖
花のまんましほれてゐた
磯の小山に……
そのこどものやうなのも
おなじやうに
小さな首をたれてゐた
おなじく
雨ではないよ
こんなに深い蒼空だらう
松の葉の
ためいきなんだよ
おなじく
あれ、あれ
雀つ子もいつしよで
沙をあびてる
水をあびてる
おなじく
ほのぼのと
靄の朝は
純らかである
子どもを叱る聲まで
おなじく
朝釣りは
一尾(ぴき)でいい
ほんの
鱸のこどもでいい
日の出るまへの
[やぶちゃん注:「鱸」老婆心乍ら、「すずき」(脊椎動物亜門顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区刺鰭上目スズキ系スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ
Lateolabrax japonicus)。あまり知られていないと思われるので一言申し上げておくと、我々の知る魚類の有意に多くの種は、このスズキ系スズキ目に属している。]
おなじく
しののめの
渚(なぎさ)に
海月(くらげ)が一つ
ぽつかりと
うちあげられてあつた
ゆふべの浪(なみ)の
いたづらのように……
[やぶちゃん注:「ように」はママ。]
おなじく
浪どんど
浪どんど
四羽五羽六羽
あれは
千鳥といふ鳥である
口笛をふきながら
ときにはぽろりと一羽
わたしのゆめと
磯との間を
いつたりきたりしてゐる
いつたりきたりしてゐる
おなじく
しつとりと
ぬれた渚
小さくかはゆく
のこされたあしあと
鮮かな
その一つ一つ
ふと、そのあしあとの
途絶えたところから
飛びたつた千鳥をおもへ……
おなじく
なぎさのすなは
ふるひにかけたようにきれいだ
だれもゐない
すなのうへには
ちひさなみづとりのあしあとがある
それがとほくまで
ならべたようにつづいてゐる
そのあしあとをふんで
これもまた
かわいいあかんぼのあしあとがある
きつとそのみづとりをつかまへようとでもおもつて
よたよたとでかけたのかもしれない
だが、みづとりとあかんぼ
それだけか
それだけといふことがあらうか
よくみまわすと
おう、そこに
すこしはなれたところに
これもはだしのあしあとがあつた
あかんぼをきづかつて
あとからしづかにおひかけた
それこそ
そのあかんぼの
わかいははおやのであらう
にこにこしたかほまでがみえるようだ
[やぶちゃん注:二行目と七行目の「ように」、十行目「かわいい」、十六行目「よくみまわすと」の「みまわす」、最終行の「ようだ」は総てママ。]
おなじく
水をのみにきて
水をしみじみのんでゐた
蜂が一ぴき
なんにおどろいたのか
飛びたつた
草深い、ここは
水かげらふの宿なのに──
[やぶちゃん注:「水かげらふ」既出既注。再掲しておくと「水陽炎」で、水面が細かく揺れることで、太陽などの反射光が揺らめくように水辺や岸や船縁(ふなべり)などに当たって、きらきらとする現象を指す。ここはそうした光りが穏やかに指すだけの、何の音も危うさもない場所(「宿」は仮託(比喩)と読む)なのに、の謂いであろう。]
おなじく
一塊りの夕立雲は
まるでふざけてゐるようにみえた
そのたかいところで
そしてすういと
あとかたもなくなつて
しまつた
[やぶちゃん注:「ように」はママ。]
おなじく
竹林の上を
さわさわと
わたる時雨か
水墨の畫である
妻があり
子があり
そしてびんぼうで愚鈍なだけに
こよなく尊い自分である
おなじく
野蒜
ひよろひよろ
六尺、五尺
ゆふべの
あんな大風にも
不思議でならない
折れなかつたよ
[やぶちゃん注:ちょっと不審。経験上、野蒜は成長してもせいぜい六十センチメートルほどで、一メートルを越えることはまずないと思うのだが?]
おなじく
朝顏のつぼみも
そのふくらみに
夜明けの
遠い天(そら)をかんじてゐるか
すべてに
晝の深さがある

