南方熊楠 履歴書(その21) 書簡「中入り」
ここまで書き終わったところ、友人来たり小生に俳句を書けと望むことはなはだ切なり。ずいぶん久しく頼まれおることゆえ、止むを得ずなにか書くことと致し候。この状はここで中入りと致し候。右の俳句を書き終わりて、また後分(あとぶん)を認(したた)め明日差し上ぐべし。今夜はこれで中入りと致し、以上只今まで出来たる小生の履歴書ごときものを御覧に入れ申し候。蟹は甲に応じて穴をほるとか、小生は生れも卑しく、独学で、何一つ正当の順序を踏んだことなく、聖賢はおろか常人の軌轍(きてつ)をさえはずれたものなれば、その履歴とてもろくなことはなし。全く間違いだらけのことのみ、よろしく十分に御笑い下されたく候。かつこれまでこんなものを書きしことなく、全く今度が終りの初物(はつもの)なれば、用意も十分ならず、書き改め補刪(ほさん)するの暇もなければ、垢だらけの乞食女のあらばちをわるつもりで御賞玩下されたく候。ただしベロアル・ド・ヴェルヴィユの著に、ある気散じな人の言に、乞食女でもかまわず、あらばちをわり得ば王冠を戴くよりも満足すべしと言いし、とあり。小生ごときつまらぬものの履歴書には、また他のいわゆる正則に(正則とは何の変わったことなき平凡きわまるということ)博士号などとりし人々のものとかわり、なかなか面黒きことどもも散在することと存じ申し候。これは深窓に育ったお嬢さんなどは木や泥で作った人形同然、美しいばかりで何の面白みもなきが、茶屋女や旅宿の仲居、空一どんの横扁(ひら)たきやつには、種々雑多の腰の使い分けなど千万無量に面白くおかしきことがあると一般なるべしと存じ候。
大正十四年二月二日夜九時
[やぶちゃん注:書き出しは「大正十四年一月三十一日早朝朝五時前」であったから、途中で他のこともしている訳だが、起筆からここまでで既に実に二日と十六時間が経過している。
「軌轍(きてつ)」原義は車が通って出来た車輪の轍(わだち)。転じて、前人の行為のあと。前例。
「補刪(ほさん)」一般には「刪補(さんぽ)」。削ることと補うこと、取り去ったり、付け加えたりすること。刪除(=削除)と補足。
「あらばちをわる」「新鉢割る」は性的な隠語としては、処女と関係することを指す。破爪する。
「ベロアル・ド・ヴェルヴィユ」諸本注なし。南方熊楠の「十二支考」の「犬に関する伝説」の第四章の中に『十六世紀に仏国で出たベロアルド・ド・ヴェルヴィユの『上達方』などには、犬の声を今の日本と同じくワンとしおり』と出るのと同一人物であろうと思われるが、私の引用した平凡社の選集にも注は、ない。調べてみたところ、恐らくはフランスのルネサンス期後半の詩人で作家のフランシワ・ベロアルド・ド・ベェルヴィル(Francois Beroalde de Verville 一五五六年~一六二六年)ではないかと思われる。冒険小説や錬金術者にも手を染め、彼の英文ウィキを管見すると、かなり猥褻な内容のものも書いているようだ。日本語訳にもそれらしい小西茂也氏訳の「艶笑十八講」(昭和二九(一九五四)年六興出版社刊)と言うのを見出せる(原作名不詳)。
「面黒きことども」「面白き」を反則させたブラック・ユーモア。或いは……いやいや……あまりに猥褻な推理なので……これは……言わずにおこう…………
「お三どん」主に厨(くりや)で働く下女。飯炊き女。広く女中の意でも用いる。
「横扁(ひら)たきやつ」西洋の女のような高い鼻の彫りの深い顔立ちではなく、如何にも当時の日本人にありがちな「横に平たい顔つき」の、所謂、面白くなさそうな「不細工な顔」。しかしそういう女に限って、「種々雑多の腰の使い分けなど千万無量に面白くおかしきことがある」ので一般的真理にて御座る、と南方熊楠は謂うのである。]
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