黑い土 山村暮鳥
黑い土
ふかいふかい松林の中に
一すぢの細徑がある
その徑のほとり
けふ、そこをとほると
その棘や篠竹のおひしげつてゐたところが
疊二三枚ほど削られ
そこに
一つの窓ができてゐた
自分の脚はぴたりととまつた
自分は地面の
その窓にひきつけられて
しみじみとそれをながめた
まあ、なんといふ黑い土だらう
それからまたその沃えやうは
むつちりと
ゑみさけるばかりにもりあがり
もりあがつたところは、それこそ
健康な處女の裸のからだでもみるやうである
むつちりと
そして黑い天鷲絨の肌
匂ひもつよく、かつ深く
その眞實をこめた新鮮さは
淸酒のやうにも自分のまなこに滲むのである
自分の、このつかれおとろへたまなこに
これでも土は生きてゐないか
雪に埋もれて
ながいあひだかくれてゐたのだ
それがいま春となり
その雪があとかたもなくなつたので
かうして自分の目についたのだ
おう、まだ人間の感觸をしらない
日光をちらりと一どうけたことさへない
大地の窓よ
自分はあまりのうれしさに掌をあててみずにはゐられなかつた
その土に
その土に
もしや大地の脈搏でも感じうるかと
おう、土よ、生けるものよ
その黑さには太古のかほりがただよつてゐる
その一つの窓によつて
自分は大地を信ずるのだ
自分達人間のひとときも離れられないその大地を
自分はいま
その内部の永遠なるものに
かく、うまれてはじめて嬰兒のやうに接觸した
自分がみたのは
ほんとの、ほんとの土である
その中に
どんな種子でもおろしてみろ
自分はあまりのうれしさに
さらに母の乳房をでもひつつかむやうに一握り
一口頰ばつてみたらば、と
その土を摑んだ
だが、それは頰ばり貪るにすら
あまりにあまりに勿體なすぎるではないか
自分は土の靈に憑かれた
自分はそれをつかんだまま
ふかいふかい松林の中のそのほそい寂しい一すぢの徑を
どこまでもどこまでもあるいて行つた
うれしさに
大地の窓、ほんとのほんとの土をみたそのうれしさに驅けだし
ときどきは大聲をはりあげ
また、翼もないのに天たかく舞ひあがらうとさへしながら
[やぶちゃん注:「徑」の字は彌生書房版全詩集版では三ヶ所とも「逕」である。
彌生書房版全詩集版。
*
黑い土
ふかいふかい松林の中に
一すぢの細逕がある
その逕のほとり
けふ、そこをとほると
その棘や篠竹のおひしげつてゐたところが
疊二三枚ほど削られ
そこに
一つの窓ができてゐた
自分の脚はぴたりととまつた
自分は地面の
その窓にひきつけられて
しみじみとそれをながめた
まあ、なんといふ黑い土だらう
それからまたその沃えやうは
むつちりと
ゑみさけるばかりにもりあがり
もりあがつたところは、それこそ
健康な處女の裸のからだでもみるやうである
むつちりと
そして黑い天鷲絨の肌
匂ひもつよく、かつ深く
その眞實をこめた新鮮さは
淸酒のやうにも自分のまなこに滲むのである
自分の、このつかれおとろへたまなこに
これでも土は生きてゐないか
雪に埋もれて
ながいあひだかくれてゐたのだ
それがいま春となり
その雪があとかたもなくなつたので
かうして自分の目についたのだ
おう、まだ人間の感觸をしらない
日光をちらりと一どうけたことさへない
大地の窓よ
自分はあまりのうれしさに掌をあててみずにはゐられなかつた
その土に
その土に
もしや大地の脈搏でも感じうるかと
おう、土よ、生けるものよ
その黑さには太古のかほりがただよつてゐる
その一つの窓によつて
自分は大地を信ずるのだ
自分達人間のひとときも離れられないその大地を
自分はいま
その内部の永遠なるものに
かく、うまれてはじめて嬰兒のやうに接觸した
自分がみたのは
ほんとの、ほんとの土である
その中に
どんな種子でもおろしてみろ
自分はあまりのうれしさに
さらに母の乳房をでもひつつかむやうに一握り
一口頰ばつてみたらば、と
その土を摑んだ
だが、それは頰ばり貪るにすら
あまりにあまりに勿體なすぎるではないか
自分は土の靈に憑かれた
自分はそれをつかんだまま
ふかいふかい松林の中のそのほそい寂しい一すぢの逕を
どこまでもどこまでもあるいて行つた
うれしさに
大地の窓、ほんとのほんとの土をみたそのうれしさに驅けだし
ときどきは大聲をはりあげ
また、翼もないのに天たかく舞ひあがらふとさへしながら
*
最終行「舞ひあがらふ」はママ。不審。]

