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« 母   山村暮鳥 | トップページ | 田園風景   山村暮鳥 »

2017/04/01

星天に讃す   山村暮鳥

 

  星天に讃す

 

まいばん、まいばん

くもつてさへゐなければ

この星空だ

この星だ

頭顱(あたま)の上をみるがいい

めをあげて

ふりあふいで

泌々とみるがいい

 

誰の所有(もの)でもない

それでゐて

萬人のものである星……

 

無數の星はなにを語るか

それよりも

なによりも

これはまあ黃金(きん)の穀粒でもばらまいたようではないか

 

ひとびとよ

これをおもへ

なんといふ天の默示であらう

ひとびとよ

 

自分達は農夫として

ただ蒔きさえすればよいのではないか

まかないものが刈取れるか

まかないものは刈取つてはならない

 

ひとびとよ

それだのにおほくのものは

まきもしないでからうとするのだ

まかないものほど

よりおほく

刈らうとする

かへりみなければならない

 

この星をみよ

この星によつておもふがいい

かう蒔くのだ

かうまくだけでいいのだ

このひろびろとしてはてしなき大蒼穹

このうつくしい神の畑よ

そこにまかれた永遠の種子よ

 

このすばらしさに跪座(ひざまづ)け

かうまくのだ

かうまくだけでいいのだ

ただまくだけでいいのだ

 

ひとびとよ

あたふたと刈取ることばかり考えてゐてはならない

そんなことはわすれてしまへ

そしてただまくことだけをおもふがいい

 

まけ

まけ

ただまくことだ

さかんにまけ

たれもかれもみなはれやかなこころをもつて

銘々のそのたましひの種子を蒔け

 

いのちの種子

のぞみの種子

愛の種子

縱橫無盡にまくがいい

そしてまいたら

そのあとは大地のふところにまかせるがいい

太陽の光や雨にまかせるがいい

 

收穫(とりいれ)などはおもはぬがいい

まいてさえおけば

おのづからとりいれは來るのだ

ただまけばいい

まかぬところから

どうして、何があたへられるか

ただまけばいい

まいてさえおけばそれでいい

そのあとのすべてのことは見えない自然の手の仕業だ

 

ひとびとよ

だが、いかに自然のその不可思議な力をもつてしても

まかぬものは

どうしようもないのだ

各自はそこで

各自のその偉大なつとめをおもはねばならない

ひとびとよ

ここに萬物の始めがある

各自はそれをおもはねばならない

いや、そんなこともおもはぬがいい

 

おう、地上の美よ

そして眞實よ

蒔かれるその一粒は

刈られるとき百粒である

 

愛よ

いのちよ

よろこびよ

すべては黃金(きん)の穀粒であれ

そしてまくものは

ただまくといふことをたのしめ

そこに生きよ

 

いかにも種子(たね)の

あるものは礫地(いしぢ)に落ちよう

あるものは棘の中に

あるものは底深き水に

それだからとてまくことをやめてはならない

 

ひとびとよ

自分達のまいたものが

一粒殘らず滅びうせてしまへばとて

みんな腐つて枯れてしまへばとて

やつぱり、それでもまかねばならない

 

まけ

まけ

まくことに生きよう

その他のことはおもひおこすな

 

ただまけ

星のやうな種子である

そしてそれをまくところは

かうして天空のやうなうつくしい豐饒な大地の上である

 

ひとびとよ

まかれるときの一粒は

まことに、刈られるときの百粒である

一粒は一粒ではない

とはいへ

その一粒が地べたの中でくさらなければ

善い百粒はみのらないのだ

そこに各自の寂しさがある

だがまた、よろこびもそこにあるのだ

 

それは穀粒のことだが

その種子をまくおたがひもおなじである

おなじではあつても

寂しいとつぶやいてはならない

その善い百粒のために

土深く

朽ちはてほろびる一粒をおもつて

 

おう、父なる太陽

そして母なる大地

ひとびとよ

自分達こそまことのまことの種子ではないのか

まけ

まけ

自分をまくのだ

 

新しい大きなものは明日である

しみじみと天高く

ひとびとよ

一日の仕事につかれた手足を

ながながとのべてやすらふにさきだち

いま一ど

黃金(きん)の穀粒をばらまいたような

その無言の

さんらんたるもの

かずかぎりなき星を仰いでみようではないか

 

[やぶちゃん注:標題の「讃」は底本の用字。「これはまあ黃金(きん)の穀粒でもばらまいたようではないか」の「よう」、「ただ蒔きさえすればよいではないか」の「さえ」、「あたふたと刈取ることばかり考えてゐてはならない」の「考え」、「まいてさえおけば」(二ヶ所続く)、「黃金(きん)の穀粒をばらまいたような」はママ。

 彌生書房版全詩集版。有意にルビが多い。

   *

 

  星天に讃す

 

まいばん、まいばん

くもつてさへゐなければ

この星空だ

この星だ

頭顱(あたま)の上をみるがいい

めをあげて

ふりあふいで

沁々とみるがいい

 

誰の所有(もの)でもない

それでゐて

萬人のものである星……

 

無數の星はなにを語るか

それよりも

なによりも

これはまあ黃金(きん)の穀粒でもばらまいたやうではないか

 

ひとびとよ

これをおもへ

なんといふ天の默示(もくじ)であらう

ひとびとよ

 

自分達は農夫として

ただ蒔きさへすればよいのではないか

まかないものが刈取れるか

まかないものは刈取つてはならない

 

ひとびとよ

それだのにおほくのものは

まきもしないでからうとするのだ

まかないものほど

よりおほく

刈らうとする

かへりみなければならない

 

この星をみよ

この星によつておもふがいい

かう蒔くのだ

かうまくだけでいいのだ

このひろびろとしてはてしなき大蒼穹(おほあをぞら)

このうつくしい神の畑よ

そこにまかれた永遠の種子よ

 

このすばらしさに跪座(ひざまづ)け

かうまくのだ

かうまくだけでいいのだ

ただまくだけでいいのだ

 

ひとびとよ

あたふたと刈取ることばかり考へてゐてはならない

そんなことはわすれてしまへ

そしてただまくことだけをおもふがいい

 

まけ

まけ

ただまくことだ

さかんにまけ

たれもかれもみなはれやかなこころをもつて

銘々のそのたましひの種子を蒔け

 

いのちの種子

のぞみの種子

愛の種子

縱橫無盡にまくがいい

そしてまいたら

そのあとは大地のふところにまかせるがいい

太陽の光や雨にまかせるがいい

 

收穫(とりいれ)などはおもはぬがいい

まいてさへおけば

おのづからとりいれは來るのだ

ただまけばいい

まかぬところから

どうして、何があたへられるか

ただまけばいい

まいてさへおけばそれでいい

そのあとのすべてのことは見えない自然の手の仕業だ

 

ひとびとよ

だが、いかに自然のその不可思議な力をもつてしても

まかぬものは

どうしようもないのだ

各自はそこで

各自のその偉大なつとめをおもはねばならない

ひとびとよ

ここに萬物の始めがある

各自はそれをおもはねばならない

いや、そんなこともおもはぬがいい

 

おう、地上の美よ

そして眞實よ

蒔かれるその一粒は

刈られるとき百粒である

 

愛よ

いのちよ

よろこびよ

すべては黃金(きん)の穀粒であれ

そしてまくものは

ただまくといふことをたのしめ

そこに生きよ

 

いかにも種子(たね)の

あるものは礫地(いしぢ)に落ちよう

あるものは棘の中に

あるものは底深き水に

それだからとてまくことをやめてはならない

 

ひとびとよ

自分達のまいたものが

一粒殘らず滅びうせてしまへばとて

みんな腐つて枯れてしまへばとて

やつぱり、それでもまかねばならない

 

まけ

まけ

まくことに生きよう

その他のことはおもひおこすな

 

ただまけ

星のやうな種子である

そしてそれをまくところは

かうして天空(そら)のやうなうつくしい豐饒な大地の上である

 

ひとびとよ

まかれるときの一粒は

まことに、刈られるときの百粒である

一粒は一粒ではない

とはいへ

その一粒が地べたの中でくさらなければ

善い百粒はみのらないのだ

そこに各自の寂しさがある

だがまた、よろこびもそこにあるのだ

 

それは穀粒のことだが

その種子をまくおたがひもおなじである

おなじではあつても

寂しいとつぶやいてはならない

その善い百粒のために

土深く

朽ちはてほろびる一粒をおもつて

 

おう、父なる太陽

そして母なる大地

ひとびとよ

自分達こそまことのまことの種子ではないのか

まけ

まけ

自分をまくのだ

 

新しい大きなものは明日である

しみじみと天高く

ひとびとよ

一日の仕事につかれた手足を

ながながとのべてやすらふにさきだち

いま一ど

黃金(きん)の穀粒をばらまいたやうな

その無言の

さんらんたるもの

かずかぎりなき星を仰いでみようではないか

 

   *]

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