ブログ930000アクセス突破記念 火野葦平 手
[やぶちゃん注:本電子データは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが930000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年4月10日 藪野直史】]
手
どうしてこんなことになつてしまつたのかと、河童は自分の不覺がざんねんでたまらない。これはたしかにおぼろな春の月の妖しい魔法にかかつてしまつたのだと月をうらんでみた。でなければ、かれは自己の過失を、ただみづからの下卑た心情のしからしむるところとかんがへてしまふことはたまらないからである。月のせゐだ。ところがさう月に過誤の原因を轉嫁してみたところで、ただそれは觀念の堂々めぐりだけであつて、現實の問題はさらに解決がつかないのであつた。
通ひなれて、立ちならぶ並木路の松の數も、その形も、枳殻(からたち)の生垣の高さも幅も冠木(かぶき)門の氣どつた破風(はふ)も、はげてゐる瓦の枚數も、ペんペん草のたたずまひも、築山の石燈籠の形も數も、すつかり暗記をしてしまつた同じ道を、今夜も、河童はとぼとぼとあるいてゐた。月はなく、星があかるかつた。かれの顏にはつかれがみえ、不安と、疑惑と、焦躁と、決意と、希望とがごつちやになつて、その足どりもたよりなげであるかと思ふと、にはかに自信ありげに力がはいつた。かれが混亂してゐることは明瞭であつた。皿の水があるかとときどき手でたしかめたり、とがつた嘴を吃(ども)らないやうになでてみたり、土産(みゃげ)にさげてゐる鯉が死んでゐないかと、藁苞(わらづと)のなかをのぞいてみたりした。ところがかれのさういふしぐさはすべて左手でなされてゐるので、右手はただ肱ひぢ)から曲げ、そこに藁苞の紐をかけてゐるだけで、一度もうごかさないのであつた。左腕には水かきのある手がついてゐるが、右腕には手首からさきがきれいに切りとられて、手がついてゐないのである。まるで、右腕は杉の丸太んぼうをくつつけたやうにぶさまにみえた。河童のなげきの原因がこのむざんな右手にあることはいふまでもなかつた。その大切な手は、かれがこれからでかけてゆく人間の家に保存されてゐるのであるが、ふたたびかへしてもらへるかどうかといふことについては、まつたく自信がもてないので、河童は困惑をしてゐるのである。その人間の家にでかけるのは今宵がはじめてではなく、すでにもはや十數囘に達してゐるが、貪慾で頑迷な人間はいたづらに苛酷(かこく)な條件を課すばかりで、返還をこばんでゐるのであつた。
それにしても、とまたも河童は春の月の夜の過失がくやまれてならない。たしかに月のせゐであつた。あの夜、池をでて、森にくると、やはらかな霞のなかからおぼろな月光がほとんどにほふほどのうつくしきで、河童の背や顏をてらした。滿月はすぎて、十七夜くらゐであつたらうか。かすかに虧(か)けた月はぼうとうすい紅をさしたやうにぼやけて、あたかも人間のわかい女のうつくしい肌のやうになまめいてゐる。そのやはらかい光に照らされると、まるで女の手でやさしくなでられてゐるやうで、こころよい興奮がわき、ふしぎな情念が身うちにうづまいてくるのであつた。河童にも青春の血がある。河童はかういふ誘惑には弱い。さうして月光のあやしい魅力にさそはれて、河童はつひにいやしい色情のとりことなつた。
かれはもはや醉ひしれたここちとなり、夢遊病者のやうにふらふらと並木みちを拔け、枳殻(からたち)の生垣をこえ、人間のすまゐのほとりへさまよひでたのである。そのあひだにも月光はいよいよなまめかしい光をそそいで、ささやくやうに河童の情念をそそり、つひにかれを後架(こうか)のうちにひそませた。このやうなときに意識の底に潛在してゐるものがどういふ風にはたらくのか、かれはずつと以前にこの家にみめうるはしい乙女がゐたことを知つてゐて、その夜、月光とその女とがひとつにつながれたもののやうに、さうしてそれはひとつの絶對ででもあるかのやうに、みづからの行動のなかにおぼれたのであつた。しかし、かれのそのやうな情熱がともかく純粹であつたにもかかはらず、傳説の掟は冷酷で、かれは人間への慕情をしめす場所として、不潔な後架をえらばねばならなかつた。時間が經つた。足音がするたびに胸ををどらせた。この家には大勢の人間がゐるらしかつた。いくつかの尻をむかへおくつたのち、やがて目的のひとがあらはれた。動悸がうち顏がほてつてくる興奮に、河童はわれをわすれたやうに、そのうつくしい尻へそつと右手をさしだした。あつといふ間もなかつた。すさまじい力がかれの右手をつかみ、かれが後架のすみになげだされたとき、あわただしくなにごとか叫びながら、廊下をかけ去るはげしい足音を耳にした。河童は身ををどらして後架をとびだし、枳殻の生垣をのりこえて一散に山へはしりかへつた。さうして池の底でやうやくおどろきもしづまつたとき、ふと右手に氣づき、息もとまらんばかりになつて、どうと尻餅をついた。痛味をすこしもかんじないのでわからなかつたが、いま見ればかれの右手は手首からなくなつてゐた。しまつたとふかい悔恨がわいてきて不覺の淚がでた。その靑い淚は池の水のなかを紐をひくやうにしてながれた。驚愕と狼狽とのためなにかわからずに、ともかく逃げてきたのであつたが、とつさの間になにを見きはめることもできなかつたのだ。いま、あの力づよい手に腕をつかまれたとき、自分の手が切りとられてしまつてゐたことが明瞭となつた。杉の丸太んぼうのやうにぶさまになつた腕をながめて、河童はかなしげな顏になつたが、しかし絶望はしなかつた。まへにも同じやうな失策をした仲間があつて、いちどは手をうしなつたが、人間にわびをいひ、交換條件として傷藥ををしへるとか、水難よけの祕傳をつたへるとかして、手をかへしてもらつた例のあることを知つてゐたからである。かへしてさへもらへばもとのごとくつぐことはお手のものだ。そこで河童はふたたび恥をしのんでその人間の屋敷をおとづれた。
人間の武士(さむらひ)は、憤然たる樣子で謝罪にきた河童をさんざんにわらつた。河童といふものは助平ぢやなうなどといつた。長いのと短いのと刀を二本さし、あたまのうへにちよん髷をむすんで、背のひくい、くしやくしやしたやうな眼鼻だちのその年よりの武士は、拔けた齒のあひだからしゆうしゆうと空氣をすかすもののいひかたで、自分の大切な娘にいたづらをするやうな奴の手はかへすことはならんと威張つた。河童は平身低頭してひたすらに懇願した。なんといはれてもよかつた。恥も外聞もなく人間のいふとほりにした。河童をどりををどれといはれてをどつた。七人の家族の者たちまで出てきて、みんな緣側にならんで輕蔑するやうに見ながらげらげらと笑つた。そのなかには河童がひそかに思ひをかけたわかい娘もゐた。かの女もめづらしい河童のふしぎなをどりに手をうつてよろこんでゐた。それにしても河童には、このなよなよした女が自分の尻にさはるかさはらぬかに手をつかみ、懷劍で切りとるやうな剛毅(がうき)な早わざをしたことがなかなか信じられなかつた。まへに何人かが後架にはいつたときに、すでにあやしいものの氣配に氣づいてゐたのであらうか。それならばかへつてわかい娘はおそれなければならぬのに、はいるときから懷劍をぬいて怪物退治をこころざしてゐたとすれば、なんといふ女丈夫であらうか。いづれにしろ、いま自分のをどりにうち興じて手をうつてゐるわかい娘が、自分の手を切りとつたにまちがひなく、どのやうな屈辱をしのんでも、かへしてもらはなければならぬのであつた。
狆(ちん)のやうに眼鼻だちのくしやくしやした武士や、ぼてぼて豚のやうになつたその奧方や、それからそこにゐる人間たちのだれかれは、河童にさまざまの要求をした。歌をうたへといひ、さかだちをしろといひ、一人角力をとれといひ、空をとべといひ、はては小便をたれてそれをのめなどといつた。手をかへしてもらひたいために、河童はなんでもいはれるとほりにした。人間どもの嘲笑と酷使ははてがなく、河童はつかれて目まひがし、靑い汁がながれてからだがべとべとした。ところが、さんざんに河童をあやつつたはて、武士はどうも藝がまづいのでけふはかへすことはならぬ、この次に來いといつて、制止するのもきかず奧にはいつてしまつた。河童は呆然となつて見おくり、きびすをかへして憤然と山へかへつた。
[やぶちゃん注:或いは読者の中には「汁」を誤植ととるかも知れぬので、老婆心乍ら、言っておくと、河童は体が粘液で覆われており汗ではなく「汁」でよいのである。]
河童はそれから何度となく通つては、手をかへしてくれるやうに必死に懇願した。詫び證文もかき、傷藥もをしへ、水難よけの祕傳もつたへ、欲しいといふものは無理してでもとりそろへて持參した。しかしながらそのたびに狆のやうな武士はなにかと難癖をつけ、言を左右にして、手をわたさうとはしなかつた。詫び證文など書きかたがわるいといふので七通も書いたのだ。河童は手のためにはどんな苦難にもたへ、怒りをしづめて忍從しようと決心はしてゐたが、あまりな人間の不信と貪慾とにしだいに絶望のこころがわいてきた。同じ失策をしたほかの仲間がたいていは一度か二度ゆけば手をかへしてもらつたときいてゐて、はじめは樂觀してゐたのであるが、人間のうちにもいろいろあつて、さう生やさしくはいかぬ者のあることがわかつた。はじめは根氣とねばりが大切だとおもつたが、こちらがいかに努力しても、相手の心がまつたく手をかへす氣特になつてゐないのでは、のれんに腕おしにすぎなかつた。愚鈍な河童もしだいにそのことをさとつてきて、もはや絶望的なあきらめのおもひがきざすやうになつた。
いま河童は藁苞に鯉をつつんで、人間の武士の家をおとづれたのであるが、もし今宵宿願が達成されなければこれを最後と決意してゐた。このまへきたときに、武士はおまへが山の淵の緋鯉をとつてきてくれれば、今度こそはまちがひなく手をかへしてやらうと約束したのである。山の淵は嶮岨(けんそ)な場所にあつてとても人間ののぼれないところであり、そこにゐるといふ緋鯉のことはいひつたへになつてゐるだけで見たものはなかつたので、その武士は自分のつかへてゐる殿樣へさしあげるために要求したもののやうであつた。これをとることは河童とて容易ではなかつたが、渾身(こんしん)の努力をふるつてやつととらへ、いま人間の屋敷へはこんできたのであつた。
おとづれる聲に、戸があいて、狆のやうな武士が手燭をもつてあらはれた。
「河童か」
「さやうです」
「約束のもの、持參したか」
「持つてまゐりました」
「どれ」
「お武士さま、おねがひです。こんどはきつと手をかへしてください」
「約束のとほりならかへすよ。武士に二言はない。……どれ、見せてみろ」
河童は藁苞をさしだした。
「ありや、これや緋鯉ぢやないか」
「緋鯉です」
「たれが緋鯉というた?」
河童はおどろいて、
「あなたがこのまへいはれたではありませんか。あなたがいはれたので、わたしは一所懸命でむつかしい山の淵でこれをとつたのです。あなたがなんどもいはれた山の淵の緋鯉です」
「馬鹿なことをいうてはいかん。わしは緋鯉などいつたおぼえはない。眞鯉(まごひ)といつたんぢや」
「いまさらそんな、……あなたはいつでも、そのときになつて、出たらめばつかり……」
「なにが出たらめだ」
「いえ、出たらめといふわけではありませんが、……そんなに、いつも、約束をたがへられては、……」
「約束をたがへるのはおまへだ。河童といふものはしようのない噓つきだなう」
河童は地べたへ額をつけた。ぺこぺこ何度も頭を下げた。皿の水がながれて、氣のとほくなるここちがした。
「おねがかです。おねがひです。手をかへしてください。わたしのしたことはわるいことでした。しかし、もうわたしとしてはできるだけのおわびと、つぐなひをしたつもりです。手はわたしの命です。どうぞ、かへしてください。おねがひします」
「おまへがちやんと約束さへ守ればかへしてやるつもりでゐるのに、おまへがわるいのだ。……それでは、いいか。こんどはまちがひなく、山の淵の眞鯉をとつてきなさい。そしたら、かならず、手はかへす。……いいな。……この緋鯉はもらつとく」
河童は呆然となつて、藁苞をさげて消えてゆく人間のすがたを見てゐた。戸がしまり、かたんと裏からかけがねをおろす音がして、あとはしいんとなつた。しばらく魂のぬけたやうにたたずんでゐた河童は、やがて力なげにたちあがると、ふかいためいきをついて、鉛のやうにおもい足をひきずりながら、星であかるい山への道をひきかへしていつた。
このとき、地上では戰ひがたけなはであつた。城をまもる者と、城を攻める者とが日夜たけだけしい叫び聲をあげ、刀をふりまはし、槍をつきあはせ、渚(なぎさ)によせる波のやうによせたり引いたりしながら、あくこともなくたたかつてゐた。城は包圍されてゐたが、かこむ軍勢はこの城の軍勢のふしぎな抵抗力に、やうやくおどろきの眼をみはるやうになつた。外濠(そとぼり)にかこまれた小さい城がいつまで攻めても落ちないのだ。戰ひはながくつづいた。この城にこもる人數はほぼわかつてをり、ながいあひだのうちつづくたびたびの戰鬪で、もはやその人數は全滅してゐなければならぬ筈であつた。足をきられ手をきられた者だけでも、城の軍勢の數を越してゐるとおもはれるのに、城門からはいくらでも精鐵があらはれてきて、喊聲(かんせい)をあげ、刀をふり、槍ぶすまをつくつていどみかかつてきた。攻圍軍の方にもしだいに戰死傷者ができ、補充をする便があるとしてもながい戰鬪ではやうやくつかれがみえてきた。それにしても、小人數である筈の城内の兵隊が、いつまでたたかつてもすこしも減る模樣がないことはいぶかしいかぎりであつた。攻圍軍の大將も、參謀も、部隊長も、解(げ)せぬこととしてしきりに首をひねつた。
そのうち前線から奇妙な報告がとどくやうになつた。城内の軍勢とたたかつて、手を切りおとすとその兵隊はその手をもつて城へにげかへる。足を切りはなすとその足をかかへて城のなかへはいる。どこを切つてもついても負傷したままひきかへす。首を切るとべつの兵隊がかついで逃げこむ。するとそのあとから新手がでてくるが、どうもそれは先刻手や足を切りおとしたとおなじ兵隊のやうにおもはれる、と。馬鹿なことをいふな、と大將も、參謀も、あきれてわらひだし、そんなたわけた報告をする斥候(せきこう)を氣ちがひのやうにとりあつかつた。しかしながら、ひきつづき櫛の齒をひくやうにもたらされる第一線の報告が、符節を合したやうにおなじであることを知るにいたつて、大將の額にたらたらと汗がながれ、苦澁の顏にはいひしれぬ懷疑のいろがわき、やがてこの妖怪の城にたいして恐怖のおももちがあらはれた。
城内の天主閣では、鎧兜に身をかためた殿樣がふしぎな微笑をうかべて、戰ひの狀況をながめてゐた。殿樣のまへには緋鯉の料理がならべられ、かたはらには狆のやうなくしやくしやした眼鼻だらの武士がしかつめらしい顏をしてはべつてゐる。城外からはをめき聲、鬨(とき)、刀や槍のうちあふ音、矢が風をきる音、法螺貝、陣太鼓の音などがきこえて來、晴れわたつた空にへんぽんとひるがへる多くの旗がながめられた。
「戰ひはあひかはらずか」
殿樣は盃を手にして、妙にけだるさうな聲でたづねた。
「さやうでございます。さんざんに敵をなやましてをります。あの河童の手がありますれば、わが軍は百萬の大兵がをるのも同然でございます」
狆の武士が滿面に得意のいろをうかべてこたへた。
「さうか」
殿樣はなんばいも盃をかきねたが、その顏には會心の笑みとは遠くかけはなれた皮肉の微笑がこびりついて、ときに嘲けるごとく、ときにはさげすむごとく、ときに泣くのではないかとおもはれるやうに、唇をかんだりするのであつた。戰ひは有利で、敵は味方の奇妙な戰術のまへにすでに旗を卷かうとしてゐるのに、殿樣の憂鬱な顏は勝利者の顏ではなかつた。いひしれぬ退屈と侮辱のいろさへ、ときにその端麗な顏にあらはれて消えた。
戰ひはもうながくつづいてゐた。戰ふべき運命にあつた兩軍はそのながい戰ひよりもずつとまへからしばしば戰ひ、勝敗を決することなくこんにちにきた。さうして今度のいくさがはじまつた。ところが今度の戰ひにはおもひまうけぬ武器が手に入つて、味方は有利にたたかふことができた。河童の手だ。家來の娘で剛毅なるものが後架でいたづらせんとした河童の手を切りとつた。知識ゆたかな典醫はそれを見ると、狂喜のあまり七囘𢌞轉して卒倒した。この手さへあれば切れた腕でも足でも首でもたちどころにつなぎ、もとのとほりにすることができる。ぜつたいに河童にかへしてはいけないといふことを蘇生してから言上した。かくて忠義にあつい狆の武士は、河童がいかに懇願するともこれをかへさうとはしなかつたのである。
戰ひがはじまり、その效驗はたちどころにあらはれた。城内の兵隊はいくら切られても突かれても河童の手でさすることによつてたちまらもとの身體に復歸し、さらに城外に打つて出た。負傷すればひつかへし、手足や首をつないでまた出てゆく。まさに狆の武士のいふごとく、不死身の兵隊百萬を擁してゐるのに異らなかつた。はじめは殿樣も大いによろこび、その手を切りとつた娘に褒美をとらせ、狆の武士にも加增を命じた。攻圍軍は城内の不死身の兵隊に疑惑の眼をみはり、やがて恐怖にとらはれるやうになつた。
[やぶちゃん注:最後の一文の冒頭の「攻圍軍」は実は底本では「攻圍車」となっているが、これでは意味が通じないと私は判断し、前の叙述からも「車」は「軍」の誤植と断じ、特異的に訂した。]
しかるに、戰ひがつづけられてゐるうちに、男性的にして良心的な殿樣のこころに、しだいにくらいかげがさしてきはじめた。同じやうな戰ひがつづけられ、同じやうな經過と結果とが日課となつて、殿樣のこころに倦怠と疑惑とが生じた。いくら切られてもこちらは減らないし、敵は減つてのゆくであるから、いつかは味方が勝利を得るかもしれないが、これがほんたうの勝利といへるであらうか。こちらはもう安心をしてをつてもよいわけで、べつだん力こぶを入れたりするところはなにもない。殿樣は寢てをつてもよいわけだ。これが眞の男性的な戰鬪であらうか。自己の運命を賭(と)し全戰力を傾倒して勝敗の歸趨(きすう)に沒頭することなくして、なんの戰ひの價値があらうか。これは戰ひではない。つまりは河童の手が眞の武器ではないからだ。殿樣は兵隊のはうにも眼をそそいでみた。兵隊にも懈怠(けたい)のこころがわき、鬪魂のにぶつてゐることは明瞭であつた。いくら切られても突かれても死なないといふことになれば、なにも伎倆をみがくことも、わざに長ずる必要もないことだ。かくて戰ひぶりはお座なりとなり、なにか馬鹿々々しい倦怠のしこりが陣屋のなかにたちこめるやうになつてゐた。
かくして殿樣はつひに決意をかためるところがあつた。勝敗を度外視し、眞に自力を全的にみなぎらして戰ふ男性的な人間の宿命に忠實たらんとして、殿樣は河童の手に依存する卑屈をやめた。殿樣は狆の武士をよび、手を河童へかへすやうに命じた。狆の武士はおどろいて色あをざめぶるぶるふるへだした。殿樣は氣がへんになつたのではないかとまじまじと主人の顏を見た。殿樣は氣がへんになつてはゐず、昨日までの妙にけだるさうな表情が消えて、りんりんたる勇氣がそのおもてにあふれ、これまでにかつてなかつたやうなたのもしい武者ぶりであつた。殿樣の命令はおごそかで、二度と口返答をゆるさぬきぴしさにあふれてゐた。反對すればたらまち手打ちにされるやうなすごささへある。狆の武士は河童に手をかへすべく、搦手(からめて)の間道をつたつて山への道を行つた。戰鬪はまつたくちがつた樣相をおびるやうになり、そのをたけびも劍戟のひびきもこれまでの懈怠のいろをふきとばして、はじめて人間のさいごのいのちをかけあふ悲壯なものとなつてきた。
當惑したのは狆の武士である。くしやくしやした眼鼻だちをいつそうちぢこめて、腹だたしげに河童の手を入れた袋をさげてゐたが、到底、山の池までこれをとどけにゆくやうな阿呆らしい役目をはたす氣にはならなかつた。武士の沽券(こけん)にかかはる。そこで彼はいつも河童が通つてくる松並木まできて、そこの一本の松の梢にとりだした河童の手をひつかけておいて歸つてきた。河童が來ればかならず氣づくことは明瞭であつた。狆の武士は城への道をひつかへしてきたが、あの手のなくなつたこれからの戰鬪がどんなに苦しいものであるかをかんがへて、もうがたがたふるへがきた。さうして劍戟のひびきのきこえる搦手の門まできて、いきなりくるりと踵(きびす)をまはすと、狆がはしるやうにいづくかへ逃亡し去つた。
[やぶちゃん注:最後の一文の「踵(きびす)」の「踵」は実は底本では「腫」となっているが、これでは意味が通じない(「腫」に「きびす(かかと)」の意味はない)。ルビからも「腫」は「踵」の誤植と断じ、特異的に訂した。]
松の梢にのせられた河童の手は歳月とともに風雨にうたれてしだいに腐蝕していつた。もうあきらめてゐた河童は人間への信賴を斷念して、池の底から出ようとはかんがへなかつたので、自分の手がゆきさへすれば見つかるところにあることを知らなかつた。松の梢の手は烏(からす)につつかれたり、鳶(とび)に食はれたり、蛆(うぢ)がわいたりしてしだいに原型がなくなり、それも風化して、つよい風の日に吹きとばされて四散してしまつた。秋風がたつやうになつてから、ながい忍耐ののちまたも未練が出て、河童が池を出て、人間の武士の家をおとづれたときには、その家は灰燼に歸してあとかたもなく、おもい心をいだいてかへつてくると、みじんの骨片となつた自分の手が水がきのある濡れた足のうらにまつはりついてくるのであつた。
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