柴田宵曲 續妖異博物館 「龍宮類話」(その2) / 「龍宮類話」~了
孫思邈の話で思ひ出すのが嘗て讀んだ「世界お伽噺」の「指環の魔力」である。前後にいろいろ話があるけれども、必要な點だけに切り詰めると、マルチンといふ少年が金持の百姓のところに奉公する。一年勤めた報酬に一袋の砂を貰つて、大きな森にさしかゝつた時、女の泣き聲が聞える。森を出はづれた草原の隅に火が燃えてゐて、その中に女の子が苦しがつて泣いてゐるのであつた。マルチンは卽座に袋から砂を搔き出して振りかけ、火が消えたと思つたら、女の子の姿は見えなくなつて、小さな綺麗な蛇がマルチンの頸に卷き付いた。自分は蛇の王の娘であるが、うつかり遊びに出たところを村の子供達に見付かり、燒き殺されるところであつた、あなたにお禮をしたいから一緒に來て貰ひたい、父に今の話をすれば、お禮に何か上げるといふに違ひないが、その時は他の何も望まず、あなたの指に嵌めていらつしやる指環をいただきたいと仰しやい、といふ。これだけ教へた蛇はまた女の子の姿になり、マルチンを案内して洞窟の中の御殿に導(みちび)いた。蛇の王は孫思邈の場合と同じく、マルチンを上座に坐らせ、寶物を澤山持つて來させて、何でも好きな物をお持ち下さい、といふことであつたが、マルチンは女の子に教はつた通り指環を望む。王は何をか君に惜しまんやと承知し、この指環の魔力の事は誰にも話してはならぬ、とくれぐれも注意した上で渡してくれた。一つ擦れば直ちに十二人の若武者が出て、どんな事でも仕遂げるといふ不思議な指環を手に入れたマルチンは、これによつて俄かに幸福を得、これを失ふに及んでまた不幸に陷ることになつてゐる。
[やぶちゃん注:私は生憎、この話を知らなかったが、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のこちらで全話を読むことが出来た。巖谷小波編「世界お伽噺第五十七編 露西亞(ロシヤ)の部」(明治三七(一九〇四)年博文館刊)とあり、『ヰルヘルム、ゴルドシユミツト』が収集したお伽噺集の中の『魔法の指環(ツアウベル リング)』が原文であるとする。]
「指環の魔力」の前年と不思議によく似た話が「今昔物語」にある。京に住む若い男といふだけで、名は傳はつて居らぬが、侍だらうといふことになつてゐる。觀音の信者で、每月十八日には必ず寺參りをして佛を禮拜することを怠らなかつた。或年の九月十八日に例の如く寺參りをして、南山科(やましな)の邊まで行つたところ、山深く人里離れたあたりで五十ばかりの男に出逢つた。杖の先に一尺ぐらゐの斑らな小蛇を懸けてゐるのが、まだ死にもせずに動くのを見て憐愍の情を起した。それから二人の間に問答があつて、若い男はその蛇を助けてやつてくれと云ふけれども、五十ばかりの男は承知しない。人間にはそれぞれ世渡りの道がある、自分は年來如意を作つてゐるので、牛の角を延すためには小蛇の油が必要なのだといふ。然らば自分の著物と替へて貰ひたいといふ話になり、結局綿衣と蛇とを交換する約束が成立した。男はその蛇のゐたといふ他の近くに行つて放し、水の中へ入るのを見屆けた上、安心して次の寺のある道を步いて行つた。二町ばかり來たところで、年の頃十二三ぐらゐの美しい少女に出逢ふ。この少女が、自分の命を助けていただいた御禮を申上げたいので、お迎ひに參りましたと云ふのを聞いて、はじめて先刻の小蛇であると知り、恐ろしくなつた。少女はお出で下さればお爲にならぬことはありませんと云ひ、大きな池のところまで來ると、ちよつとこゝでお待ち下さいと云つたまゝ、どこかへ見えなくなつた。再び姿を現した少女に伴はれて、型の如く目を閉ぢてゐる間に立派な宮殿の門前に立つて居つた。男は宮殿に入つて龍王に對面し、種々の饗應があつた後、あなたには如意の珠でも差上げたいが、日本は人の心がよくないから、とても持ちきれまいと云つて、厚さ三寸ばかりの金の餠を半分にしてくれた。少女はまた男に瞑目させて池の邊まで送り、繰り返し禮を述べて消え失せた。家に歸つたら、長い間どこへ行つてゐたかと云はれたところを見れば、浦嶋ほどの事はないにせよ、相當の時間を經過してゐたものらしい。如意の珠といふのはマルチンの貰つた指環に近い力のある寶物ではないかと想像せられるが、龍王が將來を見通して與へなかつたから、この男にはマルチンのやうな後難はない。金の餠は割つても割つても無くならぬので、男は生涯富裕であつた。
[やぶちゃん注:「如意」は「によい(にょい)」で、読経・説法・法会などの際に僧侶が手に持つ仏具。元はインドに於ける「孫の手」とされるもので、棒状で先端が指を曲げたように丸くなっている。獣骨や角或いは竹・木・金属など各種の材料で作った。
「二町」約二百十八メートル。
以上は「今昔物語集」の「卷第十六」の「仕觀音人行龍宮得富語第十五」(觀音に仕(つかまつ)る人、龍宮に行きて富(とみ)を得る語(こと)第十五)である。
*
今は昔、京に有りける年若き男(をのこ)有りけり。誰人(たれひと)と語り傳へず。侍(さむらひ)なるべし。身貧しくして世を過ぐすに便(たより)無し。而るに、此の男、月每(ごと)の十八日に持齋(ぢさい)して、殊に觀音に仕りけり。亦、其の日、百の寺に詣でて、佛(ほとけ)を禮(らい)し奉りけり。
年來(としごろ)、如此(かくのごと)く爲(す)る間、九月(ながつき)の十八日に、例の如くして、寺々に詣づるに、昔は寺少なくして、南山階(みなみやましな)の邊(ほとり)に行きけるに、道に山深くして人離れたる所に、五十許りなる男(をのこ)、値(あ)ひたり。杖の崎(さき)[やぶちゃん注:先。]に物を懸けて持ちたり。
「何を持ちたるぞ。」
と見れば、一尺許りなる小さき蛇(へみ)の斑(まだら)なる也。行き過ぐる程に見れば、此の小さき蛇、動く。此の男、蛇持ちたる男に云く、
「何(いど)こへ行く人ぞ。」
と。蛇持(へみもち)の云く、
「京へ昇る也。亦、主(ぬし)は何(いど)こへ御(おは)する人ぞ。」
と。若き男の云く、
「己(おの)れは佛(ほとけ)を禮(をが)まむが爲(ため)に寺に詣づる也。然(さ)て、其の持ちたる蛇(へみ)は何(なに)の料(れう)ぞ。」
と。蛇持の云く、
「此れは、物の要(えう)に宛(あ)てむが爲に、態(わざ)と取りて罷る也。」
と。若き男の云く、
「其の蛇(へみ)、己(おの)れに免(ゆる)し給ひてむや。生きたる者の命(いのち)を斷つは、罪得る事也。今日(けふ)の觀音に免し奉つれ。」
と。蛇持の云く、
「觀音と申せども、人をも利益し給ふ要の有れば、取りて行く也。必ず者の命を殺さむと不思(おもは)ねども、世に經(ふ)る人は樣々(さまざま)の道にて世を渡る事也。」
と。若き人の云く、
「然(さて)も、何の要に宛てむずるぞ。」
と。蛇持の云く、
「己(おの)れは、年來(としごろ)、如意(によい)と申す物をなむ造る。其の如意に牛の角(つの)を延(の)ぶるには、此(かか)る小さき蛇(へみ)の油を取りて、其れを以て爲(す)る也。然れば、其の爲に取りたる也。」
と。若き男の云く、
「然(さ)て、其の如意をば、何に宛て給ふ。」
と。蛇持の云く、
「怪しくも宣(のたま)ふかな。其れを役(やく)にして、要(えう)し給ふ人に與へて、其の直(あたひ)を以つて衣食に成す也。」
と。若き男の云く、
「現(げ)に去り難き身の爲の事にこそ有んなれ。然(さ)れども、只にて乞ふべきに非ず。此の着たる衣に替へ給へ。」
と。蛇持の云く、
「何に替へ給はむと爲るぞ。」
と。若き男の云く、
「狩衣にまれ、袴にまれ、替へむ。」
と。蛇持の云く、
「其れには替ふべからず。」
と。若き男の云く、
「然(さ)らば、此の着たる綿衣(わたぎぬ)に替へよ。」
と。蛇持、
「其れに替へてむ。」
と云へば、男、衣(きぬ)を脱ぎて與ふるに、衣を取りて蛇(へみ)を男に與へて去るに、男の云く、
「此の蛇は何(いど)こに有りつるぞ。」
と問へば、
「彼(か)しこなる小池に有りつる。」
と云ひて、遠く去りぬ。
其の後(のち)、其の池に持ち行きて、可然(しかるべ)き所を見て、砂を崛(ほ)り遣りて、冷(すず)しく成(な)して放ちたれば、水の中にり入ぬ。心安く見置きて、男、寺の有る所を差して行けば、二町許り行き過ぐる程に、年、十二、三許りの女(をむな)の形(かた)ち美麗なる、微妙(みめう)の衣袴(きぬはかま)を着たる、來たり會へり。男、此れを見て、山深く此く値(あ)へれば、
「奇異也。」
と思ふに、女の云く、
「我れは、君の心の哀れに喜(うれ)しければ、其の喜び申さむが爲(ため)に來たれる也。」
と。男の云く、
「何事に依りて、喜びは宣ふぞ。」
と。女の云く、
「己(おの)れが命を生(い)け給へるに依りて、我れ、父母に此の事を語りつれば、『速(すみや)かに迎へ申せ。其の喜び申さむ』と有りつれば、迎へに來たれる也。」
と。男、
「此れは有りつる蛇(へみ)か。」
と思ふに、哀れなる物から、怖しくて、
「君の父母(ぶも)は何(いどこ)にぞ。」
と問へば、
「彼(かしこ)也。我れ、將(ゐ)て奉らむ。」と云ひて、有りつる池の方に將て行くに、怖ろしければ、遁れむと云へども、女、
「世も御爲に惡しき事は不有(あら)じ。」
と強(あなが)ちに云へば、憗(なまじひ)に池の邊(ほとり)に具して行きぬ。女の云く、
「此に暫く御(おは)せ。我は前(さき)に行きて、來たり給ふ由(よし)、告げて返り來たらむ。」
と云ひて、忽ちに失せぬ。
男、池の邊に有りて、氣六借(けむつか)しく思ふ程に、亦、此の女、出で來たりて、
「將て來たらむ。暫く、目を閉ぢて眠(ねぶ)り給へ。」
と云へば、教へに隨ひて眠り入ると思ふ程に、
「然(さ)て、目を見開(みあ)け給へ。」
と云へば、目を見開けて見れば、微妙(めでた)く莊(かざ)り造れる門(もん)に至れり。我が朝(てう)の城(じやう)を見るにも、此(ここ)には可當(あたるべ)く非ず。女の云く、
「此に暫く居給ふべし。父母(ぶも)に此の由、申さむ。」
とて、門に入りぬ。
暫く有りて、亦出來たりて、
「我が後(しりへ)に立ちて御(おは)せ。」
と云へば、恐々(おづお)づ女に隨ひて行くに、重々(ぢうぢう)に微妙(みめう)の宮殿共(ども)有りて、皆、七寶(しちほう)を以つて造れり。光り耀く事、限り無し。既に行き畢(は)てて、中殿(ちうでん)と思しき所を見れば、色々の玉を以つて莊(がざ)りて、微妙の帳床(ちやうどこ)を立てて、耀き合へり。
「此(こ)は極樂にや。」
と思ふ程に、暫く有てり、氣高く怖し氣(げ)にして、鬢(びん)長く、年六十許りなる人、微妙に身を莊(かざ)りて、出來たりて云く、
「何(いづ)ら、此方(こなた)に上り給へ。」
と。男、
「誰(たれ)を云ふにか。」
と思ふに、
「我を呼ぶ也けり。」
と。
「何(いか)でか參らむ。此(か)く乍ら仰せを承らむ。」
と畏(かしこま)りて云へば、
「何でか迎へ奉りて對面する樣有(やうあ)らむとこそ思さめ。速(すみや)かに上り給へ。」
と云へば、恐々(おづお)づ上(のぼ)りて居(ゐ)たれば、此の人の云く、
「極めて哀れに喜(うれ)しき御心(みこころ)に、喜び申さむが爲に迎へ申つる也。」
と。男の云く、
「何事にか候らむ。」
と。此の人の云く、
「世に有る人、子(こ)の思ひは更に知らぬ事、無し。己(おの)れは、子、數(あまた)有る中に、弟子(おとご)[やぶちゃん注:末っ子。]なる女童(めのわらは)の、此の晝、適(たまた)ま此の渡り近き池に遊び侍りけるを、極めて制し侍れども不聞(きか)ねば、心に任かせて遊ばせ侍るに、『今日、既に人に取られて死ぬべかりけるを、其(そこ)の來り合ひて、命を生け給へる』と、此の女子(をむなご)の語り侍れば、限り無く喜(うれ)しくて、其の喜(よろこ)び申さむが爲に迎へつる也。」
と。男、
「此れは蛇の祖(おや)也けり。」
と心得つ。
此の人、人を呼ぶに、氣高く怖し氣なる者共(ども)來たれり。
「此の客人(まらうど)に主(ある)じ仕つれ。」
と云へば、微妙(みめう)の食物(じきもつ)を持ち來たりて居(す)へたり。自らも食ひ、男にも、
「食へ。」
と勸むれば、心解けても不思(おもは)ねども、食ひつ。其の味はひ、甘(むま)き事、限り無し。下(おろ)しなど取り上ぐる程に[やぶちゃん注:食べ残した料理を下げ始める頃合いに。]、主人の云く、
「己(おの)れは、此れ、龍王(りうわう)也。此に住みて久しく成りぬ。此の喜びに、如意(によい)の珠(たま)[やぶちゃん注:願うものを総て叶える魔法の宝珠(ほうじゅ)。]をも奉るべけれども、日本(につぽん)は人の心惡しくして、持(たも)ち給はむ事、難(かた)し。然(さ)れば、其こに有る箱、取りて來たれ。」
と云へば、塗たる箱を持ち來たれり。開(ひら)くを見れば、金(こがね)の餠(もち)一つ有り。厚さ三寸許り也。此れを取り出だして、中(なから)より破(わ)りつ。片破(かたわれ)をば箱に入れつ。今、片破を男に與へて云く、
「此れを一度に仕ひ失ふ事無くして、要(えう)に隨ひて、片端(かたはし)より破(わ)つつ仕ひ給はば、命(いのち)を限りにて、乏(とも)しき事、有らじ。」
と。
然(しか)れば、男、此れを取りて、懷(ふところ)に差し入れて、
「今は返りなむ。」
と云へば、前(さき)の女子(をむなご)出で來たりて、有りつる門に將て出でて、
「前(さき)の如く眠(ねぶ)り給へ。」
と云へば、眠りたる程に、有りし池の邊(ほとり)に來たりにけり。女子の云く、
「我れ、此こまで送りつ。此れより返り給ひね。此の喜(うれ)しさは、世々(せぜ)にも忘れ難し。[やぶちゃん注:生涯、忘れることは御座いませぬ。]」
と云ひて、掻き消つ樣(やう)に失せぬ。
男は家に返り來たれば、家の人の云く、
「何ぞ久く不返來(かへりき)たらざりつる。」
と。暫く、と思ひつれども、早う□日(か)を經(へ)にける也けり。[やぶちゃん注:「□」は意識的欠字であろう。「ちょっとの時間と思っていたものが、なんとまあ!……日をも経ってしまっていたのであった!」と、何日もが経過していたことに、この時、初めて気づいたその驚きを示したのである。]
其の後(のち)、人に不語(かたら)ずして、竊(ひそ)かに此の餠の片破(かたわれ)を破(わ)りつつ、要(えう)の物に替へければ、貧しき事、無し。萬(よろづ)の物、豐かにて、富人(ふにん)とり成にけり。此の餠、破(わ)れども破れども、同じ樣に成り合ひつつ有りければ、男、一生の間、極めたる富人として、彌(いよい)よ觀音に仕(つかまつ)りけり。一生の後(のち)は、其の餠、失せて、子に傳ふる事、無かりけり。
懃(ねむご)ろに觀音に仕れるに依りて、龍王の宮(みや)をも見、金(こがね)の餠をも得て、富人と成りる也けり。
此れ、何(いづ)れの程の事と不知(しら)ず、人の語るを聞き傳へて、語り傳へたるとや。
*]
孫思邈より觀音信仰の男に至る話には共通性が多い。何かの話が支那、ロシア、日本に分れて別々の苗を遺したものかも知れぬが、その原典も徑路も一切不明である。孫思邈も「今昔物語」も皆水中の宮殿であつたのに、マルチンの話だけが洞窟なのは、國民性の相違によるか、龍王と蛇王の相違によるか、その邊も俄かに斷定出來ない。
話は時代を遡るほど單純なのが原則ならば、こゝに「搜神記」の一話を擧げて置くのも無意義ではなからう。隋侯が周王の使者として齊に入つた時、深水の沙邊で三尺ばかりの小蛇が、熱沙の中にのたうち𢌞り、頭から血を出してゐるのを見た。隋侯これをあはれみ、わざわざ馬から下りて、鞭を以て水中に撥(は)ね、汝もし神龍の子ならば我を擁護すべしと云ひ、また馬に乘つて過ぎ去つた。使の用事を果して二箇月後に同じ道を通ると、一人の子供が珠を持つて來て隋侯に捧げた。お前はどこの子だ、と問へば、先日一命をお救ひ下さいました御恩は忘れませぬ、これはお禮のしるしに差上げたいのです、と云ふ。お前のやうな子供から、そんなものを貰はんでもいゝ、と云ひ捨てて去つたところ、その夜の夢に小兒はまた珠を捧げて現れた。私は蛇の子です、本日この珠を差上げましたのに、お受け下さいませんので、ここまで持つて參りました、どうか柾げてお納め下さい、といふのである。夜が明けて見たら、その珠は隋侯の枕許に在つた。傷蛇なほ恩を知り、重く報ずることを解す、人にして豈に恩を知らざらんや、と歸つて珠を周王に獻上したとある。
[やぶちゃん注:「隋侯」平凡社東洋文庫版の竹田晃訳「捜神記」(昭和三九(一九六四)年刊)の注によれば、『隋は漢の東にあった国で、周の諸侯であったと伝えられている』とある。現在の湖北省内。
「枉げて」「まげて」。]
この話は熱沙中の小蛇を水中に撥ねやるだけで、財を投じて命を救ふこともなし、後日に宮殿に迎へられる話もない。たゞ小蛇が救命の恩を忘れず、珠を獻じて隋侯に酬ゆるに過ぎぬ。珠も明晃々たるものではあつたらうが、神異の點は記されてゐない。かういふ單純な話が後世になるに從ひ、種々の條件が加はり、雪まろげのやうに次第に大きくなるのではなからうか。
[やぶちゃん注:「明晃々たる」「めいくわうくわう(めいこうこう)たる」は「明煌煌たる」とも書き、きらきらと明るく光り輝くさまを言う。
以上は「搜神記」の「第二十卷」の以下と思われるが、それは、胴の中央が大きく裂け傷ついた大蛇であって、しかも隋侯はそれを薬を以ってちゃんと治療してやっており、元気になった大蛇は自ら走り去る。そうして一年ばかりして、そのお礼として明光珠を持って来るのは童子なんぞではなく(そもそもが「大蛇」なんだから「童子」はおかしい)、その大蛇がそのままに銜えてくることになっている。どうも柴田のそれは話が頗る小説的(作為的)に膨らんでいる気がする。柴田が見たものは、この原話を後代の誰かが翻案してしまったものなのではなかったろうか? それとも別な伝本があるのか? 識者の御教授を乞う。
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隋縣溠水側、有斷蛇邱。隋侯出行、見大蛇被傷、中斷、疑其靈異、使人以藥封之、蛇乃能走、因號其處斷蛇邱。歲餘、蛇銜明珠以報之。珠盈逕寸、純白、而夜有光、明如月之照、可以燭室。故謂之「隋侯珠」、亦曰「靈蛇珠」、又曰「明月珠」。邱南有隋季良大夫池。
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「隋侯珠」「靈蛇珠」「明月珠」先の東洋文庫の竹田氏の注によれば、『周代の和(か)氏(卞和(べんか)が楚の山中で見つけたいわゆる「和氏の璧』(へき)『」と並んで、中国では至宝とされていた』名立たる宝珠であったらしい。その名宝の璧と、そのために二度に渡って左足、次に右足を斬られる刑に処せられた卞和の話はウィキの「卞和」に詳しい。因みに、この和氏の「璧」は遙か後に戦国時代の趙へと渡り、かの「完璧」の故事の由来となった。それもリンク先をどうぞ。]
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