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2017/04/05

柴田宵曲 續妖異博物館 「卒塔婆の血」

 

 卒塔婆の血

 

 歷陽縣に一人の老媼があつて、常に善根を施すことを念願としてゐた。或時一人の少年が來て食を乞うたのに、懇ろにもてなしたところ、去るに臨んでかういふことを告げた。時々縣の門へ行つて見るがいゝ、もし門の閾(しきゐ)に血が付いてゐたら、その時は一大事だから、直ぐ山へ避難しなければならぬ――。老媼はこの言を信じて、毎日縣門を見に行つた。あまり每日來るので、門を守る役人が不審を起して尋ねたら、老媼は少年から教へられた通り答へた。役人が戲れに雞の血を門の閾に塗つて置くと、翌日見に來た老媼は仰天して、直ちに雞籠を携へて山へ遁れた。その日の夕方、縣は突然陷沒して湖と化してしまつた。今和州にある歷陽湖が卽ちそれである。

[やぶちゃん注:「雞」「にはとり」(鷄)。

「和州にある歷陽湖」現在の安徽省馬鞍山市馬鞍山(まあんさん)市和県の県人民政府所在地である歴陽鎮附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、現在は同地の北西に幾つかの分離した湖はあるが、全体を呑み込んだような巨大な一つの湖は存在しない。

 以上は「獨異記」唐の李亢(りこう:但し、李元・李冘・李冗ともし、李伉が正しいかともする)撰の志怪小説集「獨異志」のことであろう。現存する最も冊数の多いものは三巻本。他の唐代伝奇が共時的な唐代の話柄が中心であるのに対し、本書は三皇五帝の神話時代から唐までの幅広い時間をカバーしている点で特異的と言える。以上は中文サイトの記事内に以下を。

   *

歷陽縣有一媼、常爲善。忽有少年過門求食、媼待之甚恭。臨去謂媼曰、「時往縣門、見門閫有血可登山避難。」。自是媼日往之、門吏問其狀、媼具以少年所教答之。吏卽戲以雞血、塗門閫。明日、媼見有血、乃攜雞籠走上山。其夕、縣陷爲湖,今和州歷陽湖是也。

   *]

「獨異記」の記載は右のやうなものであるが、特に雞籠を携へたのは、役人の塗つた雞の血に關係するか、老媼が平生雞を飼つてゐたのか、その邊はよくわからない。「神仙傳」の長木縣の話には少年豫言者の事はなく、城門當(まさ)に血あらば、則ち格段して湖となるべし、といふ童謠が行はれたことになつてゐる。これを聞いた一人の老媼が懼れること甚しく、毎朝城門まで見に行く。門衞が擧動不審で縛らうとした時、老媼は童謠の事が心配でならぬと答へた。そこで門衞が惡戲に血を塗ることになるのであるが、この方は雞でなしに犬の血であつた。これを一瞥した老媼は雞も犬も顧慮せず、一散に山に遁れる。果して大水起り、長木縣は水の底に陷沒した。

[やぶちゃん注:不思議なことにこの「神仙傳」とする原話を捜し得ない。発見次第、追記する。]

 この二つの話は殆ど同じ事である。豫言の一條がなしに童謠が行はれたのと、雞の血と犬の血の相違があるに過ぎぬ。「今昔物語」の「嫗每日見卒塔婆付血語」は明かにこれを取り入れたもので、「宇治拾遺物語」には「唐卒都婆に血付く事」となつてゐるが、何方にも地名が入つて居らぬため、歷陽縣の話だか、長木縣の話だか、全然見當が付かぬ。原話に比して大分長くなつてゐるのを、「今昔物語」によつて紹介すれば左の如きものである。

[やぶちゃん注:「今昔物語集」のそれは「卷第十」の「嫗每日見卒堵婆付血語第卅六」(嫗(おうな)、每日(ひごと)に見し卒堵婆(そとば)に血を付けたる語(こと)第三十六)である。以下にその原文を先に示す(「宇治拾遺物語」のそれは後に回す)。

   *

 今は昔、震旦(しんだん:中国の古称。古代インド人が中国を「チーナスターナ」(秦の土地)と呼んだことに基づく)の□代に□洲と云ふ所に大きなる山有り。其の山の頂きに卒堵婆有り。其の山の麓に里有り。其の里に一人の嫗(おうな)住む、年、八十許り也。

 其の嫗、日に一度、必ず其の山の頂に有る卒堵婆を上(のぼ)りて拜みけり。大きに高き山なれば、麓より峯ヘ昇る程、嶮(さが)しく氣惡(けあ)しくして、道、遠し。然れども、雨降るとても不止(やめ)ず、風吹くとても不止ず、雷電すとても不恐(おそれ)ず、冬の寒し、凍れるにも、夏の熱く難堪(たへがた)きにも、一日を不闕(かか)ず、必ず、上りて、此の卒堵婆を禮みけり。如此(かくのご)く爲(す)る事、年來(としごろ)に成りぬ。

 人、此れを見て、強(あながち)に其の本緣(ことのもと)を不知(しら)ず、只、卒堵婆を禮(をが)むなんめりと思ふ程に、夏、極めて熱き比(ころほひ)、若き男童子(をのわらは)等(ら)、此の山の峯に上りて卒堵婆の本に居て冷(すず)む間、此の嫗、腰は二重なる者の、杖に係かりて汗を巾(のご)ひつつ、卒堵婆の許に上り来て、卒堵婆を迊(めぐ)りて見れば、只、卒堵婆を迊り奉るなんめりと思ふに、卒堵婆を迊る事の恠(あや)しければ、此の冷む者共、一度にも非ず度々(たびたび)、此れを見て云く、

「此の嫗は、何の心有りて、苦しきに如此(か)くは爲(す)るにか有らむ。今日、來たらば、此の事、問はむ。」

と云ひ合はせける程に、常の事なれば、嫗、這々(はふはふ[やぶちゃん注:喘ぎ喘ぎ。])上りにたり。

 此(か)の若き男共、嫗に問ひて云く、

「嫗は、何の心有りて、我等が若きそら[やぶちゃん注:さえ。]冷まむが爲に來るそら猶ほ苦しきに、冷まむが爲なんめりと思へども、冷む事も无(な)し、亦、爲る事も无きに、老いたる身に、每日(ひごと)に上り下るるぞ。極めて恠しき事也。此故令知(しらし)め給へ。」

と。嫗が云く、

「此の比(ごろ)の若き人は、實(まこと)に恠しと思(おぼ)すらむ。如此(か)く來りて卒堵婆を見る事は、近來(このごろ)の事にも非ず。我れ、者の心知り初(そ)めてより後、此の七十餘年、毎日にかく上りて見る也。」

と。男共の云く、

「然れば、『其の故を令知め給ヘ』と云ふ也。」

と。嫗の云く、

「己(をのれ)が父は百廾にてなむ死にし、祖父は百卅にてなむ死にし、亦、其れが父や祖父などは二百餘でなむ死にけり。其等が云ひ置きけるとて、『此の卒堵婆に血の付かむ時ぞ、此の山は崩(くづ)れて深き海と可成(なるべ)き』と父の申し置きしかば、麓に住む身にて、山崩れば打ち襲はれて死にもぞ爲(す)るとて、『若(も)し血付かば逃げて去らむ』と思ひて、かく每日(ひごと)に卒堵婆を見る也。」

と。男共、此れを聞きて、鳴呼(をこ)づき嘲りて、

「恐しき事かな。崩れむ時は告げ給へ。」

など云ひて、咲ひけるをも、嫗、我れを咲ひ云ふとも不心得(こころえ)で、

「然(しか)也。何(いか)でか、『我れ獨り生かむ』と思ひて、不告申(つげまうさ)ざらむ。」

と云ひて、卒堵婆を迊り見て、返り下りぬ。

 其の後、此の男共の云く、

「此の嫗は今日は不來(きたら)じ[やぶちゃん注:今日は一度来て見たから、今日これからは来るまい。]。明日(あす)ぞ、亦、來りて卒堵婆を見むに、怖(お)どして令走(はしらし)めて咲(わら)はむ。」

と云ひ合はせて、血を出(あや)して[やぶちゃん注:「あやす」は流す・滴らせるの意。]、此の卒堵婆に塗り付けて、男共は返りて里の者共に語りて云く、

「此の麓なる嫗の每日(ひごと)に上りて峯の卒堵婆を見るが恠しければ、其の故(ゆゑ)を問ふに、然然(しかしか)なむ云ひつれば、明日怖どして令走めむとて卒堵婆に血をなむ塗りて下りぬる。」

と。里の者共、此れを聞きて、

「然(さ)ぞ崩れなむ物か。」[やぶちゃん注:冗談で「きっと山は崩れちまうだろうよ」と言って、嫗を嘲って応じているのである。]

など云ひ咲(わら)ふ事、无限(かぎりな)し。

 嫗、亦の日、上りて見るに、卒堵婆に濃き血、多く付たり。嫗、此れを見て迷(まど)ひ倒(たふ)れて、走り返りて叫びて云く、

「此の里の人、速かに、此の里を去りて、命(いのち)を可生(いくべ)し。此の山、忽ちに崩れて深き海と成なむとす。」

 如此(かくのごと)く、普(あまね)く告げ𢌞(めぐ)らして、家に返り來りて、子・孫に物の具共(ども)を荷ひ令持(もたし)めて其の里を去りぬ。

 此れを見て、血を付けし男共、咲ひ喤(ののし)り合ひたる程に、其の事と无(な)く[やぶちゃん注:何という予兆もないのに。]、世界さらめき喤(ののし)り合ひたり[やぶちゃん注:辺り一面に不穏な音が突如、ごうごうと鳴り渡ってくる。]。

「風の吹き出づるか、雷(いかづち)の鳴るか。」

など思ひて恠しぶ程に、虛空(こくう)、つつ暗(やみ)[やぶちゃん注:暗黒。真っ暗闇。]に成りて、奇異に恐ろし氣(げ)也。

 而るに、此の山、動(ゆる)ぎ立ちたり。

「此れは何々に。」

と云ひ喤(ののし)り合ひたる程に、山(や)ま、只、崩れに崩れ行く。

 其の時に、

「嫗、實(まこと)を云ひける物を。」

など云ひて、適(たまた)まに逃げ得たる輩(ともがら)有りと云へども、祖(をや)の行きけむ方を不知(しら)ず、子の逃げけむ道を失へり。况んや、家の財(たから)・物の具、知る事无(な)くして[やぶちゃん注:気に掛ける余裕も全くなく。]、音(こゑ)を擧げて叫び合ひたり。

 此の嫗一人は、子・孫、引き具して、家の物の具共(ども)一つ、失ふ事无くして、兼ねて逃げ去りて、他の里に静かに居(ゐ)たりける。

 此の事を咲(わら)ひし者共は、不迯敢(にげあへ)ずして、皆、死にけり。

 然(さ)れば、年老いたらむ人の云はむ事をな、可信(おもんずべ)き也。かくて、此の山、皆、崩れて海と成りにけり。奇異の事也、となむ語り傳へたるとや。

   *]

 今は昔、震旦の或山の上に卒塔婆があつて、その麓の里に住む老媼が每日これを拜みに登る。八十歳ばかりの老人であるのに、道の險しいのを厭はず、晴雨寒暑を問はず、卒塔婆禮拜を怠らなかつた。或炎暑の頃、若者どもがこの山に登つて涼んでゐると、腰の二重に曲つた老媼が杖つきながら登つて來て、この卒塔婆を𢌞つて歸る。一再ならずそれを見るので、老い朽ちた老姐媼が何で高いところまで登つて來るのか、その理由が知りたくなつた。若者の問ひに對する老媼の答へは、豫言者に教へられたのでもなければ、當時の童謠に脅かされたのでもない。父祖代々ともいふべき由來付きのもので、老媼の父は百二十歳、祖父は百三十歳、そのまた父や祖父は二百歳の長壽を保つたが、さういふ昔からの云ひ傳へに、もしこの卒塔婆に血が付いた時は、この山が崩れて海になるといふ事である、さうなつたら麓に住む私どもは到底助からぬので、物心付いてから七十餘年、かうやつて每日卒塔婆を見に來るのです、といふことであつた。若者どもは笑ひ出して、それは恐ろしい事だ、山の崩れる時は教へて下さい、と冷かしたが、老媼は飽くまで眞面目に、私一人助かる料簡はございません、と答へた。老媼が山を下りて行つたあとで、若者どもは話し合つた。もう今日は登つて來ることはあるまい、明日卒塔婆を見に來る時、驚いて逃げ出すのを笑つてやらう、といふので、血を出して卒塔婆に塗り、自分達も山を下りて里に歸つた。犬の血とも雞の血とも書いてないから、自分の身を疵付けたものと見える。翌日例の通り山に登つて來て、卒塔婆の血を見出した老媼の驚きは一通りや二通りでない。彼女は若者に誓つた通り、山は崩れて海になる、早くこの里をお立ち退きなさい、と觸れ𢌞つた後、子孫に家財道具を荷はせて、逸早くその里を遁れ去つた。卒塔婆に血を塗つた連中は面白がつて笑つてゐるうちに、世界は何となく騷がしくなり、空が眞暗になつて山が動き出した。婆さんの云つたのは本當だつたか、と氣が付いた時は已に遲い。山はたゞ崩れに崩れて行く。稀には辛うじて逃げ得た者もあつたが、大半は命を失つた。老媼だけは子孫を引き連れ、家財もなくさずに立ち退いて、無事に暮らすことが出來た。

 この話は小さなノアの洪水である。神意を承けて箱舟を造つたのは、ノアの一族だけだから、他の人達は卒塔婆の血を恐れる老婆を笑つた若者どもの如く、箱舟造りに精魂を表すノアを嘲つてゐたに相違ない。卒塔婆に血を塗つたのは一場の惡戲に過ぎぬけれど、人をしてさういふ行動を起さしむるのが、目に見えぬ神意の現れであらう。卒塔婆でなしに石獅子の眼に血を塗る話もあつたと記憶する。血の付くまじき場所に血を見ることが、異變到來の證據でなければならぬ。

[やぶちゃん注:最後に「今昔物語集」の同話であるが、「宇治拾遺物語」の第三十話(巻二の第十二話)の「唐卒都婆ニ血付事」(唐(もろこし)、卒都婆(そとば)に血付く事)も最後に掲げておく。

   *

 むかし、もろこしに大なる山ありけり。その山の頂きに大きなる卒都婆一つ、たてりけり。そのやまの麓の里に、年八十斗りなる女の住みけるが、日に一度、その山のみねにある卒都婆を、かならず見けり。たかく大きなる山なれば、麓よりみねへのぼるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨降り、雪降り、風吹き、雷鳴り、しみ氷りたるにも、又、暑く苦しき夏も、一日も缺かさず、かならず登りて、此の卒塔婆を見けり。

 かくするを、人、えしらざりけるに、若き男ども童部(わらはべ)の、夏、あつかりける比(ころ)、峯にのぼりて、卒塔婆のもとにゐつつ涼みけるに、此の女、汗をのごひて、腰二重(ふたへ)なる者の、杖にすがりて、卒都婆のもとに來て、卒都婆をめぐりければ、拜み奉るかとみれば、卒都婆をうちめぐりては、則ち、歸り歸りする事、一度にもあらず。あまたたび、此涼む男どもに、みえけり。

「此の女は、何の心ありて、かくは苦しきにするにか。」

と、あやしがりて、

「今日(けふ)見えば、此の事、問はん。」

と言ひ合はせける程に、常の事なれば、此の女、はふはふ、のぼりけり。男ども、女に言ふやう、

「わ女(ぢよ)は何の心によりて、我らが涼みに來るだに、暑く苦しく大事(だいじ)なる道を、涼まんと思ふによりて、登り來るにこそあれ、涼む事もなし、別(べち)にする事もなくて、卒都婆をみめぐるを事(こと)にて、日々に登り降るるこそ、あやしき女のしわざなれ。此ゆへしらせ給へ。」

といひければ、此の女、

「若き主(ぬし)たちは、げに、あやしと思ひ給らん。かくまうで來て、此の卒都婆見ることは、此比(このごろ)のことにしも侍らず、ものの心、知りはじめてよりのち、此の七十餘年、日ごとにかく登りて、卒都婆を見奉るなり。」

といへば、

「そのことのあやしく侍るなり。その故(ゆゑ)をのたまへ。」

と問へば、

「をのれが親は、百廿にてなん失せ侍りにし。祖父(おほぢ)は百卅斗りにてぞ失せ給へりし。それが又、父、祖父などは二百餘斗りまでぞ、生きて侍りける。その人々の言ひおかれたりけるとて、『此の卒都婆に血のつかんをりに、なん、此の山は崩れて、深き海となるべき』となん、父の申しおかれしかば、『麓に侍る身なれば、山、崩れなば、うち掩(おほ)はれて、死もぞする』と思へば、『もし血つかば、逃げてのかん』とて、かく日每(ひごと)に見侍るなり。」

といへば、此のきく男ども、をこがり、あざけりて、

「恐ろしき事哉(かな)。崩れん時は告げ給へ。」

など笑ひけるをも、我(われ)をあざけりていふとも心得ずして、

「さら也(なり)。いかでかは我(われ)獨り逃げんと思ひて告げ申さざるべき。」

と言ひて、歸り降(くだ)りにけり。

 此の男ども、

「此の女は今日はよも來じ。明日(あす)、又、來て見んに、おどして走らせて笑はん。」

と言ひ合あせて、血をあやして、卒都婆によく塗りつけて、此の男共、歸り降(お)りて里の物どもに

「此の麓なる女の、日ごとに峰にのぼりて卒都婆見るをあやしさに、問へば、しかじかなん言へば、明日、おどして走らせんとて、卒都婆に血を塗りつる也(なり)。さぞ崩るらんものや。」

など、いひ笑ふを、里の物どもきき傳へて、をこなる事のためしに引き、笑ひけり。

 かくて、又の日、女、登りて見るに、卒都婆に、血のおほらかに[やぶちゃん注:多量に。]付きたりければ、女、うち見るままに色を違(たが)へて、倒れまろび、走り歸りて、叫び言ふやう、

「此の里の人々、とく逃げのきて、命、生きよ。此の山は、ただ今、崩れて、深き海となりなんとす。」

と、あまねく告げまはして、家に行きて、子孫共(ども)に家の具足(ぐそく)ども負(お)ほせ持たせて、をのれも持ちて、手惑(てまど)ひして[やぶちゃん注:慌てふためいて。]里移りしぬ。是れを見て、血つけし男ども、手を打ちて笑ひなどする程に、その事ともなく、ささめきののしりあひたり。

 風の吹きくるか、雷(いかづち)の鳴るかと、思ひあやしむ程に、空もつつ闇(やみ)に成りて、あさましく、恐ろしげにて、此の山、搖(ゆる)ぎたちにけり。

「こはいかに。こはいかに。」

とののしりあひたる程に、ただ、崩れに崩れもてゆけば、

「女はまことしけるものを。」

など言ひて、逃げ、逃げ得たる者もあれども、親のゆくへも知らず、子をも失ひ、家の物の具も知らずなどして、をめき叫びあひたり。

 此女ひとりぞ、子孫(こまご)も引き具(ぐ)して、家の物の具一も失はずして、かねて逃げのきて、しづかにゐたりける。

 かくて、この山、みな、崩れて、ふかき海と成りにければ、これをあざけり笑ひし者どもは、皆、死にけり。あさましきことなりかし。

   *]

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