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2017/04/05

柴田宵曲 續妖異博物館 「卒塔婆の血」

 

  卒塔婆の血

 

 歷陽縣に一人の老媼があつて、常に善根を施すことを念願としてゐた。或時一人の少年が來て食を乞うたのに、懇ろにもてなしたところ、去るに臨んでかういふことを告げた。時々縣の門へ行つて見るがいゝ、もし門の閾(しきゐ)に血が付いてゐたら、その時は一大事だから、直ぐ山へ避難しなければならぬ――。老媼はこの言を信じて、每日縣門を見に行つた。あまり每日來るので、門を守る役人が不審を起して尋ねたら、老媼は少年から敎へられた通り答へた。役人が戲れに雞の血を門の閾に塗つて置くと、翌日見に來た老媼は仰天して、直ちに雞籠を携へて山へ遁れた。その日の夕方、縣は突然陷沒して湖と化してしまつた。今和州にある歷陽湖が卽ちそれである。

[やぶちゃん注:「雞」「にはとり」(鷄)。「雞籠」は「とりかご」。

「和州にある歷陽湖」現在の安徽省馬鞍山市馬鞍山(まあんさん)市和県の県人民政府所在地である歴陽鎮附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、現在は同地の北西に幾つかの分離した湖はあるが、全体を呑み込んだような巨大な一つの湖は存在しない。

 以上は「獨異記」唐の李亢(りこう:但し、李元・李冘・李冗ともし、李伉が正しいかともする)撰の志怪小説集「獨異志」のことであろう。現存する最も冊数の多いものは三巻本。他の唐代伝奇が共時的な唐代の話柄が中心であるのに対し、本書は三皇五帝の神話時代から唐までの幅広い時間をカバーしている点で特異的と言える。以上は中文サイトの記事内に以下を。

   *

歷陽縣有一媼、常爲善。忽有少年過門求食、媼待之甚恭。臨去謂媼曰、「時往縣門、見門閫有血可登山避難。」。自是媼日往之、門吏問其狀、媼具以少年所敎答之。吏卽戲以雞血、塗門閫。明日、媼見有血、乃攜雞籠走上山。其夕、縣陷爲湖,今和州歷陽湖是也。

   *]

 

「獨異記」の記載は右のやうなものであるが、特に雞籠を携へたのは、役人の塗つた雞の血に關係するか、老媼が平生雞を飼つてゐたのか、その邊はよくわからない。「神仙傳」の長木縣の話には少年豫言者の事はなく、城門當(まさ)に血あらば、則ち陷沒して湖となるべし、といふ童謠が行はれたことになつてゐる。これを聞いた一人の老媼が懼れること甚しく、每朝城門まで見に行く。門衞が擧動不審で縛らうとした時、老媼は童謠の事が心配でならぬと答へた。そこで門衞が惡戲に血を塗ることになるのであるが、この方は雞でなしに犬の血であつた。これを一瞥した老媼は雞も犬も顧慮せず、一散に山に遁れる。果して大水起り、長木縣は水の底に陷沒した。

[やぶちゃん注:不思議なことに、この「神仙傳」にあるとする原話は、同書には見出し得なかった。発見次第、追記する。【2026年1月13日注改稿・追記】「X」でフォローして頂いているタチアナ@TatjanaMadurezさんより、『捜神記の長水県のはなしが該当するのかもしれません』と言う指摘を頂戴した。まさに、それであった! 柴田宵曲の誤記だったのだ!⋯⋯というより、私の大好きな東普の干宝の「捜神記」だったのが、甚だ恥ずかしい! 「維基文庫」のもの(「搜神記」十三)を以下に示す。表記に手を加えた。

   *

 由拳縣、秦時、長水縣也。始皇時、童謠曰、『城門有血、城當陷沒爲湖。』。有嫗聞之、朝朝往窺。門將欲縳之。嫗言其故。後門將以犬血塗門。嫗見血、便走去。忽有大水、欲沒縣。主簿令幹入白令。令曰、「何忽作魚。」。幹曰、「明府亦作魚。」。遂淪爲湖。

   *

所持する「中国古典小説選2 捜神記・幽明録・異苑 他<六朝Ⅰ>」(竹田晃・黒田真美子編/佐野誠子著/二〇〇六年明治書院刊)を参考に訓読文を示す。

   *

 由拳縣(いうけんけん)は、秦の時、長水縣(ちやうすいけん)なり。

 始皇の時、童謠に曰はく、

『城門(じやうもん)血 有れば  城(しろ) 當(まさ)に陷沒し 湖(うみ)と爲る』

と。

 嫗(おうな)、之れを聞きて、朝朝(てうてう)、往(ゆ)きて窺(うかが)ふ。

 門將(もんしやう)、之れを、縳らんと欲(ほつ)するに、嫗、其の故(ゆゑ)を言ふ

 後(のち)、門將、犬の血を以つて、門に塗る。

 嫗、血を見るや、便(すなは)ち、走り去る。

 忽(たちま)ち、大水(おほみづ)、縣を沒せんと欲(ほつ)す

 主簿(しゆぼ)、幹(かん)をして入れて、令(れい)に白(まう)せしむ。

 令、曰はく、

「何(なん)ぞ、忽(たちま)ち、魚(うを)と作(な)らんや。」

と。

 幹、曰はく、

「明府(めいふ)も亦、魚と作(な)る。」

と。

 遂に、淪(しづ)みて、湖(うみ)と爲れり。

   *

・「由拳縣」現在の浙江省の上海市と杭州市の間に位置する地級市嘉興市の内ここの附近(グーグル・マップ・データ)。

・「門將」門番。

・「主簿」文書を司る官吏。

・「幹」地方の訳書に置かれた役人。

・「令」トップの県令。

・「明府」地方長官。

 さて。「中国古典小説選2」の「余説」には、『同話が梁・劉之遴の『神録(しんろく)』という志怪に収められていたされるが、『神異伝(しんいでん)』という別の志怪だという説もある。また租仲之『述異記』一〇及び仁昉『述異記』巻上・九四に類話があり、そこでは石のカメの目から血が流れると、その土地が湖になるとされる。』とあった。ここから、宵曲は、この「神錄」や「神遺傳」をうろ覚えで、全然違う、知られた「神仙傳」と誤認して記載をやらかしたものと断定出来るのである。博覧強記の彼にして、とんだ「ボケ落ち」であったのだ!

 にしても! いやいや! この怪奇談、エンデイングのシークエンスの「ボケ落ち」が、実に絶妙ではないか!!!

 因みに、この際、「述異記」のものも掲げておく。「維基文庫」のベタのものを、一部の漢字を直し、句読点・記号を加えて酔いやすくした。

   *

和州歷陽淪、爲湖。昔有書生。遇一老姥。姥待之厚、生、謂姥曰、「此縣門石龜眼血出、此地、當陷爲湖。」。姥、後數往視之。門吏、問姥。姥具答之。吏、以朱㸃龜眼。姥、見遂走上北山、顧城、遂陷焉。今、湖中、有明府魚・奴魚・婢魚。

   *

 このエンディングは、ちっとも! おもろうないワ!

   *

 いや! 最後に、タチアナ@TatjanaMadurezさんが、添えて下さったものがある。『尾道文学談話会会報』(第一号・二〇一〇年十二月発行)に載った尾道市立大学教授鷹橋明久氏の「研究ノート」と題された「お役人はなぜ魚になったか」(「尾道市立大学学術リポジトリ」のここでダウンロード可能)であった。これは、

――以上の話が、単なる怪奇趣味の架空の話なのではなく、ノンフィクションとして書かれたものであり、実際に、大規模な水害例を掲げられた上で、その背景にあった各時代の為政者の暴政・腐敗を明らかにされているのである。――

読んで、甚だ勉強になった。引用したい箇所も多数あるのだが、ここは一つ、ここの怪奇談好きの読者には、是非とも、全文を読まれたく思うのである。

   *

なお、この注改稿に先立ち、Unicode導入以前で正字不全であった本記事を全面改訂し、注の引用表記も、句読点に至るまで、総て、再度、検証して改訂した。

 

 この二つの話は殆ど同じ事である。豫言の一條がなしに童謠が行はれたのと、雞の血と犬の血の相違があるに過ぎぬ。「今昔物語」の「嫗每日見卒塔婆付血語」は明かにこれを取り入れたもので、「宇治拾遺物語」には「唐卒都婆に血付く事」となつてゐるが、何方にも地名が入つて居らぬため、歷陽縣の話だか、長木縣の話だか、全然見當が付かぬ。原話に比して大分長くなつてゐるのを、「今昔物語」によつて紹介すれば左の如きものである。

[やぶちゃん注:「今昔物語集」のそれは「卷第十」の「嫗每日見卒堵婆付血語第卅六」(嫗(おうな)、每日(ひごと)に見し卒堵婆(そとば)に血を付けたる語(こと)第三十六)である。以下にその原文を先に示す(「宇治拾遺物語」のそれは後に回す)。

   *

 今は昔、震旦(しんだん[やぶちゃん注:中国の古称。古代インド人が中国を「チーナスターナ」(秦の土地)と呼んだことに基づく。])の□代に□洲と云ふ所に大きなる山有り。其の山の頂きに卒堵婆有り。其の山の麓に里有り。其の里に一人の嫗(おうな)住む、年、八十許り也。

 其の嫗、日に一度、必ず其の山の頂に有る卒堵婆を上(のぼ)りて拜みけり。大きに高き山なれば、麓より峯ヘ昇る程、嶮(さが)しく氣惡(けあ)しくして、道、遠し。然れども、雨降るとても不止(やめ)ず、風吹くとても不止ず、雷電すとても不恐(おそれ)ず、冬の寒し、凍れるにも、夏の熱く難堪(たへがた)きにも、一日を不闕(かか)ず、必ず、上りて、此の卒堵婆を禮(をが)みけり。如此(かくのごと)く爲(す)る事、年來(としごろ)に成りぬ。

 人、此れを見て、强(あながち)に其の本緣(ことのもと)を不知(しら)ず、只、卒堵婆を禮むなんめりと思ふ程に、夏、極めて熱き比(ころほひ)、若き男童子(をのわらは)等(ら)、此の山の峯に上りて卒堵婆の本(もと)に居(ゐ)て冷(すず)む間、此の嫗、腰は二重(ふたへ)なる者の、杖に係かりて汗を巾(のご)ひつつ、卒堵婆の許に上(のぼ)り來て、卒堵婆を迊(めぐ)りて見れば、只、卒堵婆を迊り奉るなんめりと思ふに、卒堵婆を迊る事の恠(あや)しければ、此の冷(すず)む者共、一度にも非ず、度々(たびたび)、此れを見て云く、

「此の嫗は、何の心有りて、苦しきに如此(か[やぶちゃん注:二字への読み。])くは爲(す)るにか有らむ。今日、來たらば、此の事、問はむ。」

と云ひ合はせける程に、常の事なれば、嫗、這々(はふはふ[やぶちゃん注:喘ぎ喘ぎ。])上りにたり。

 此(か)の若き男共、嫗に問ひて云く、

「嫗は、何の心有りて、我等が若きそら[やぶちゃん注:さえ。]、冷まむが爲に來(きた)るそら、猶ほ、苦しきに、冷まむが爲なんめりと思へども、冷む事も无(な)し、亦、爲(す)る事も无きに、老いたる身に、每日(ひごと)に上り下るるぞ。極めて恠しき事也。此故、令知(しらし)め給へ。」

と。

 嫗が云く、

「此の比(ごろ)の若き人は、實(まこと)に恠しと思(おぼ)すらむ。如此(か)く來りて卒堵婆を見る事は、近來(このごろ)の事にも非ず。我れ、者の心知り初(そ)めてより後、此の七十餘年、每日にかく上りて見る也。」

と。

 男共の云く、

「然(さ)れば、『其の故を令知(しらし)め給ヘ』と云ふ也。」

と。

 嫗の云く、

「己(をのれ)が父は百廾にてなむ死にし。祖父(おほぢ)は百卅にてなむ死にし。亦、其れが父や祖父などは二百餘(あまり)てなむ死にけり。其等が云ひ置きけるとて、『此の卒堵婆に血の付かむ時ぞ、此の山は崩(くづ)れて深き海と可成(なるべ)き。』と父の申し置きしかば、麓に住む身にて、山崩れば打ち襲はれて死にもぞ爲(す)るとて、『若(も)し血付かば逃げて去らむ』と思ひて、かく每日(ひごと)に卒堵婆を見る也。」

と。

 男共、此れを聞きて、鳴呼(をこ)づき[やぶちゃん注:馬鹿にして。]、嘲(あざけ)りて、

「恐しき事かな。崩れむ時は告げ給へ。」

など云ひて、咲(わら)ひけるをも、嫗、我れを咲ひ云ふとも不心得(こころえ)で、

「然(しか)也。何(いか)でか、『我れ獨り生かむ』と思ひて、不告申(つげまうさ)ざらむ。」

と云ひて、卒堵婆を迊り見て、返り下りぬ。

 其の後(のち)、此の男共の云く、

「此の嫗は、今日は、不來(きたら)じ[やぶちゃん注:今日は一度来て見たから、今日これからは来るまい。]。明日(あす)ぞ、亦、來りて卒堵婆を見むに、怖(お)どして令走(はしらし)めて咲(わら)はむ。」

と云ひ合はせて、血を出(あや)して[やぶちゃん注:「あやす」は「流す・滴らせる」の意。]、此の卒堵婆に塗り付けて、男共は返りて里の者共に語りて云く、

「此の麓なる嫗の每日(ひごと)に上りて峯の卒堵婆を見るが恠しければ、其の故(ゆゑ)を問ふに、然然(しかしか)なむ云ひつれば、明日、怖(お)どして令走(はしらし)めむ、とて、卒堵婆に血をなむ、塗りて下(お)りぬる。」

と。

 里の者共、此れを聞きて、

「然(さ)ぞ、崩れなむ物か。」[やぶちゃん注:冗談で「きっと、山は崩れちまうだろうぜ。」と言って、嫗を嘲って応じているのである。]

など云ひ咲(わら)ふ事、无限(かぎりな)し。

 嫗、亦の日、上りて見るに、卒堵婆に、濃き血、多く付(つき)たり。

 嫗、此れを見て、迷(まど)ひ倒(たふ)れて、走り返りて、叫びて云く、

「此の里の人、速(すみや)かに、此の里を去りて、命(いのち)を可生(いくべ)し。此の山、忽ちに崩れて、深き海と成なむとす。」

 如此(かくのごと)く、普(あまね)く告げ𢌞(めぐ)らして、家に返り來りて、子・孫に物の具共(ども)を荷ひ令持(もたし)めて其の里を去りぬ。

 此れを見て、血を付けし男共、咲ひ喤(ののし)り合ひたる程に、其の事と无(な)く[やぶちゃん注:何という予兆もないのに。]、世界、さらめき、喤(ののし)り合ひたり[やぶちゃん注:辺り一面に不穏な音が、突如、ごうごうと鳴り渡ってきたのである。]。

「風の吹き出づるか、雷(いかづち)の鳴るか。」

など思ひて、恠(あや)しぶ程に、虛空(こくう)、つつ暗(やみ)[やぶちゃん注:暗黒。真っ暗闇。]に成りて、奇異に恐ろし氣(げ)也。

 而(しか)るに、此の山、動(ゆる)ぎ立ちたり。

「此れは。何々に。」

と云ひ喤(ののし)り合ひたる程に、山(や)ま、只、崩れに崩れ行く。

 其の時に、

「嫗、實(まこと)を云ひける物を。」

など云ひて、適(たまた)まに逃げ得たる輩(ともがら)有りと云へども、祖(をや)の行きけむ方(かた)を不知(しら)ず、子の逃げけむ道を失へり。

 况んや、家の財(たから)・物の具、知る事无(な)くして[やぶちゃん注:気に掛ける余裕も全くなく。]、音(こゑ)を擧げて叫び合ひたり。

 此の嫗一人は、子・孫、引き具して、家の物の具共(ども)一つ、失ふ事无くして、兼ねて逃げ去りて、他の里に静かに居(ゐ)たりける。

 此の事を咲(わら)ひし者共は、不迯敢(にげあへ)ずして、皆、死にけり。

 然(さ)れば、年老いたらむ人の云はむ事をば、可信(おもんずべ)き也。かくて、此の山、皆、崩れて、海と成りにけり。奇異の事也、となむ、語り傳へたるとや。

   *]

 今は昔、震旦の或山の上に卒塔婆があつて、その麓の里に住む老媼が每日これを拜みに登る。八十歲ばかりの老人であるのに、道の險しいのを厭はず、晴雨寒暑を問はず、卒塔婆禮拜を怠らなかつた。或炎暑の頃、若者どもがこの山に登つて涼んでゐると、腰の二重に曲つた老媼が杖つきながら登つて來て、この卒塔婆を𢌞つて歸る。一再ならずそれを見るので、老い朽ちた老姐媼が何で高いところまで登つて來るのか、その理由が知りたくなつた。若者の問ひに對する老媼の答へは、豫言者に敎へられたのでもなければ、當時の童謠に脅かされたのでもない。父祖代々ともいふべき由來付きのもので、老媼の父は百二十歲、祖父は百三十歲、そのまた父や祖父は二百歲の長壽を保つたが、さういふ昔からの云ひ傳へに、もしこの卒塔婆に血が付いた時は、この山が崩れて海になるといふ事である、さうなつたら麓に住む私どもは到底助からぬので、物心付いてから七十餘年、かうやつて每日卒塔婆を見に來るのです、といふことであつた。若者どもは笑ひ出して、それは恐ろしい事だ、山の崩れる時は敎へて下さい、と冷かしたが、老媼は飽くまで眞面目に、私一人助かる料簡はございません、と答へた。老媼が山を下りて行つたあとで、若者どもは話し合つた。もう今日は登つて來ることはあるまい、明日卒塔婆を見に來る時、驚いて逃げ出すのを笑つてやらう、といふので、血を出して卒塔婆に塗り、自分達も山を下りて里に歸つた。犬の血とも雞の血とも書いてないから、自分の身を疵付けたものと見える。翌日例の通り山に登つて來て、卒塔婆の血を見出した老媼の驚きは一通りや二通りでない。彼女は若者に誓つた通り、山は崩れて海になる、早くこの里をお立ち退きなさい、と觸れ𢌞つた後、子孫に家財道具を荷はせて、逸早くその里を遁れ去つた。卒塔婆に血を塗つた連中は面白がつて笑つてゐるうちに、世界は何となく騷がしくなり、空が眞暗になつて山が動き出した。婆さんの云つたのは本當だつたか、と氣が付いた時は已に遲い。山はたゞ崩れに崩れて行く。稀には辛うじて逃げ得た者もあつたが、大半は命を失つた。老媼だけは子孫を引き連れ、家財もなくさずに立ち退いて、無事に暮らすことが出來た。

 この話は小さなノアの洪水である。神意を承けて箱舟を造つたのは、ノアの一族だけだから、他の人達は卒塔婆の血を恐れる老婆を笑つた若者どもの如く、箱舟造りに精魂を表すノアを嘲つてゐたに相違ない。卒塔婆に血を塗つたのは一場の惡戲に過ぎぬけれど、人をしてさういふ行動を起さしむるのが、目に見えぬ神意の現れであらう。卒塔婆でなしに石獅子の眼に血を塗る話もあつたと記憶する。血の付くまじき場所に血を見ることが、異變到來の證據でなければならぬ。

[やぶちゃん注:最後に「今昔物語集」の同話であるが、「宇治拾遺物語」の第三十話(巻二の第十二話)の「唐卒都婆ニ血付事」(唐(もろこし)、卒都婆(そとば)に血付く事)も最後に掲げておく。

   *

 むかし、もろこしに大なる山ありけり。その山の頂きに大きなる卒都婆一つ、たてりけり。そのやまの麓の里に、年八十斗りなる女の住みけるが、日に一度、その山のみねにある卒都婆を、かならず、見けり。たかく大きなる山なれば、麓よりみねへのぼるほど、さがしく[やぶちゃん注:嶮(けわ)しく。]、はげしく、道、遠かりけるを、雨、降り、雪、降り、風、吹き、雷(いかづち)、鳴り、しみ氷りたるにも、又、暑く苦しき夏も、一日も缺かさず、かならず、登りて、此の卒塔婆を見けり。

 かくするを、人、えしらざりけるに、若き男ども・童部(わらはべ)の、夏、あつかりける比(ころ)、峯にのぼりて、卒塔婆のもとにゐつつ涼みけるに、此の女、汗をのごひて、腰二重(ふたへ)なる者の、杖にすがりて、卒都婆のもとに來て、卒都婆をめぐりければ、拜み奉るかとみれば、卒都婆をうちめぐりては、則ち、歸り歸りする事、一度にもあらず。あまたたび、此涼む男どもに、みえけり。

「此の女は、何の心ありて、かくは、苦しきにするにか。」

と、あやしがりて、

「今日(けふ)見えば、此の事、問はん。」

と言ひ合はせける程に、常の事なれば、此の女、はふはふ[やぶちゃん注:這うようにして。]、のぼりけり。

 男ども、女に言ふやう、

「わ女(ぢよ)[やぶちゃん注:「わ」は親愛を添える接頭語だが、ここは軽侮のニュアンスである。]は何の心によりて、我らが涼みに來るだに、暑く苦しく大事(だいじ)なる道を、涼まんと思ふによりて、登り來るにこそあれ、涼む事もなし、別(べち)にする事もなくて、卒都婆をみめぐるを事(こと)にて、日々に登り降(お)るるこそ、あやしき女のしわざなれ。此故(ゆゑ)、しらせ給へ。」

と、いひければ、此の女、

「若き主(ぬし)たちは、げに、あやしと思ひ給ふらん。かく、まうで來て、此の卒都婆見ることは、此比(このごろ)のことにしも侍らず、ものの心、知りはじめてよりのち、此の七十餘年、日ごとにかく登りて、卒都婆を見奉るなり。」

と、いへば、

「そのことのあやしく侍るなり。その故を、のたまへ。」

と、問へば、

「をのれが親は、百廿にてなん、失せ侍りにし、祖父(おほぢ)は百卅斗りにてぞ失せ給へりし、それが又、父、祖父などは二百餘(あまり)斗(ばか)りまでぞ、生きて侍りける。その人々の言ひおかれたりける、とて、『此の卒都婆に血のつかんをりに、なん、此の山は、崩れて、深き海となるべき。』となん、父の申しおかれしかば、『麓に侍る身なれば、山、崩れなば、うち掩(おほ)はれて、死もぞ、する。』と思へば、『もし、血、つかば、逃げて、のかん。』とて、かく日每(ひごと)に見侍るなり。」

と、いへば、此のきく男ども、をこがり[やぶちゃん注:馬鹿にして。]、あざけりて、

「恐ろしき事哉(かな)。崩れん時は、告げ給へ。」

など、笑ひけるをも、我(われ)をあざけりていふとも心得ずして、

「さら也(なり)。いかでかは、我(われ)、獨り逃げんと思ひて告げ申さざるべき。」

と言ひて、歸り降(くだ)りにけり。

 此の男ども、

「此の女は、今日は、よも、來じ。明日(あす)、又、來て見んに、おどして、走らせて、笑はん。」

と、言ひ合あせて、血を、あやして[やぶちゃん注:「あやす」は「落す・零す」で「滴(したた)らす」の意。]、卒都婆に、よく塗りつけて、此の男共、歸り降(お)りて、里の物どもに

「此の麓なる女の、日ごとに峰にのぼりて、卒都婆見るをあやしさに、問へば、しかじか、なん、言へば、明日、おどして走らせんとて、卒都婆に血を塗りつる也(なり)。さぞ、崩るらんものや。」

など、いひ笑ふを、里の物ども、きき傳へて、をこなる事のためしに引き、笑ひけり。

 かくて、又の日、女、登りて見るに、卒都婆に、血のおほらかに[やぶちゃん注:多量に。]付きたりければ、女、うち見るままに、色を違(たが)へて、倒れまろび、走り歸りて、叫び言ふやう、

「此の里の人々、とく逃げのきて、命、生きよ。此の山は、ただ今、崩れて、深き海となりなんとす。」

と、あまねく告げまはして、家に行きて、子孫共(ども)に、家の具足(ぐそく)ども、負(お)ほせ持たせて、をのれも持ちて、手惑(てまど)ひして[やぶちゃん注:慌てふためいて。]里移りしぬ。

是れを見て、血つけし男ども、手を打ちて、笑ひなどする程に、その事ともなく、ささめき、ののしりあひたり。

 風の吹きくるか、雷(いかづち)の鳴るかと、思ひあやしむ程に、空も、つつ闇(やみ)に成りて[やぶちゃん注:まっ暗闇になって。]、あさましく[やぶちゃん注:言いようもなく。]、恐ろしげにて、此の山、搖(ゆる)ぎたちにけり。

「こはいかに。こはいかに。」

と、ののしりあひたる程に、ただ、崩れに崩れもてゆけば、

「女は、まことしけるものを。」

など言ひて、逃げ、逃げ得たる者もあれども、親のゆくへも知らず、子をも失ひ、家の物の具も知らずなどして、をめき叫びあひたり。

 此女ひとりぞ、子孫(こまご)も引き具(ぐ)して、家の物の具、一つも失はずして、かねて[やぶちゃん注:前以って。]逃げのきて、しづかにゐたりける。

 かくて、この山、みな、崩れて、ふかき海と成りにければ、これをあざけり笑ひし者どもは、皆、死にけり。あさましきことなりかし。

   *]

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