甲子夜話卷之三 27 節季候、鳥追の事
3-27 節季候、鳥追の事
亡友仁正寺市橋氏云ふ。至俗のことにても人情に叶ふことは永く傳るものと見へたり。歳暮に市中の門々にて、乞兒走りながら手に竹を打て、口早なる事を言を節季候と云。いそがはしき態度あり。春初に乞兒の女、衣服を飾り、編笠き、三線胡弓など携へ、彈じつゝ歌うたふを鳥追と云。悠々としたる容體なり。いかにもその時々の人情によく叶へり。年々かはらずある筈なり。
■やぶちゃんの呟き
「節季候」「せきぞろ」と読む。歳末に家々を廻っては、米や金銭を乞い歩いた門附け芸の一つ。羊歯(しだ)の一種である裏白(シダ植物門シダ綱ウラジロ科ウラジロ属ウラジロ Gleichenia japonica)の葉を挿した編み笠を被って、赤い布で覆面し、「せきぞろ、せきぞろ」(節季(せつき)に候(さふら)ふ)と唱えては、二、三人で家々を歌い踊って歩いた。「せっきぞろ」「せきざうらふ」とも呼び、冬の季語ともなった。
「鳥追」(とりおひ)は、ここでは旧暦の小正月(一月十四日~十五日)に女太夫が家々を𢌞っては、正月の祝祭として鳥追い唄を歌った門附け芸の一つ。ウィキの「鳥追い」によれば、『阿波踊りの女性の扮装はこの鳥追い女の風俗がもとになっている』。リンク先には鳥追いに扮した尾上菊五郎と中村清三郎の石川豊信の画があるので参照されたい。
「近江国蒲生郡仁正寺(にしょうじ:現在の滋賀県蒲生郡日野町)にあった仁正寺藩の第七代藩主藩主市橋長昭(いちはしながあき 安永二(一七七三)年~文化一一(一八一四)年)と推定する。静山より十三若いが、「亡友」と称するに相応しい同時代の故人と言え、何より、静山と懇意の林述斎とも親しかったからである。