卷末の詩 山村暮鳥
卷末の詩
さて、さて林檎よ
おまへはなんにもいつてくれるな
それでいい
それでいい
そうはいつても
うるさからうがな
こつそりと
ころりと一ど
わたしにだけでも
ころげてみせてくれたらのう
お、お、りんごよ
[やぶちゃん注:「そうはいつても」はママ。本詩篇を以って山村暮鳥詩集「月夜の牡丹」の本文は終わって、いる。
この後に編者花岡謙二の「詩集の後に」が続くが、花岡の著作権は存続しているので、電子化しない。その叙述によれば、冒頭、『山村暮鳥が死んでから、もう一年半になる』で始まり、本詩集「月夜の牡丹」に収録された詩篇は山村暮鳥の死(大正一三(一九二四)年十二月八日)の直近である同年の初冬に書かれたものであるとする。また、前回の詩集「雲」については『作者自ら校正までして、その本の出來上らぬうちに死んだのであるが、本集は全く作者の知らないことである』とし、原稿は未亡人山村富士が『整理して書留郵便で送って下すつたものの』、詩集出版から発行その他は『全く私の獨斷である』と明記している。その後の下りは重要なので少し纏めて引用しておくと、『校正をしながら、何處かで「餘計なことはするな」と言つたかとおもふと、或る時は暮鳥の溫顏が天上に浮んで、「ありがたう」と言つてゐるやうにもおもへた』としていている。この『餘計なこと』は非常に気になる。これは詩集刊行全体へのみ限った暮鳥の天国からの声なのではなく、花岡の独断的編集(パート編集)に止まらず、暗に原稿の改変をさえも匂わせるからである。さらに続いて、『原稿には題の無い詩が多かつた。只○でもつけておかうとおもつたが、奥さんともご相談して、「ある時」とした。これは著者が好んで用ゐた題であつた』とある。このことから、本詩集に限って言うなら、実は「ある時」(パート標題「或る時」は無論)という詩題の多くは実は無題であるということである。それは「ある時」を頭の詩篇とする厖大な「おなじく」も〈同じく〉であるということを意味していると考えてよいと私は思う。これは私にはかなり意外な事実であったし、そのような操作がなされているものとして本詩集の「ある時」を読んできた読者は実は少ないのではないかと杞憂するので特に注意を喚起しておきたく、引いておく。最後の方で花岡は『本書は第五詩集「雲」に發表しきれない全部を一篇も殘さず採錄した。小さいながら、完全に彼が最後の詩集(第六詩集)となつた譯である』と記している。この後書のクレジットは『大正十五年夏』で、その後の奥附の『出版』は(印刷は同年七月十日)手書き訂正されて同年八月一日(塗りつぶしてあるので印刷はよく判らないが、元は七月十■日らしく判読する)である。]