「想山著聞奇集 卷の貮」 「麁朶(そだ)に髮の毛の生たる事」
麁朶(そだ)に髮の毛の生たる事
[やぶちゃん注:標題の読みは「目錄」より。図の右キャプションは、
神田何某(かんだなにがし)よる差越(さしこし)たる圖(づ)
である。本文参照。]
我(わが)尾張の國春日井郡水野村の庄屋方に、焚殘(たきのこ)りの薪(たきぎ)の内なる接骨木(にはとこ)に似たる細き木に、【大き杖より少し太きほどの長さ三尺及びも有る枯木の樣にて枝も付居(つきをり)たる木なり。】長き女の髮の毛の樣なるもの幾筋も生(はえ)て有(あり)しを、風(ふ)と見出し、餘り珍敷(めづらしき)物とて、同所御代官陣屋へ訴出(うつたへいで)たり迚(とて)、大森何某なる人、名古屋へ持出(もちいで)たるを見しに、圖のごとく、成程(なるほど)、全く長き髮の毛、所々に生(はえ)て有(あり)。如何なるものとも評議付(つけ)かね、本草功者(こうしや)成(なる)ものなども居合(ゐあは)せたれども、唯珍敷と斗(ばかり)いふのみにて、辨(わきま)へ知り難くと、舊友神田何某、彼(かの)圖を文(ふみ)にそへて差下(さしくだ)しぬ。此(この)水野の邊(あたり)はすべて山中にて、柴(しば)薪(たきぎ)抔、所々にて苅取(かりとる)る故、何處(いづく)にて伐來(きりきた)りしにや分り兼たるとの事也。是は文政八年【乙酉(きのととり)】の事なり。記し置(おき)て異聞に備ふ。
又、參州岡崎より西南一里程隔たる所に、大西村德性寺と云(いふ)寺有。【同國平地御坊の末寺なり。】右寺の其の方の庭前(ていぜん)に纔(わづか)斗(ばかり)の築山(つきやま)有。此所(ここ)の諸木には、幹並(ならび)に小枝にも、細き總(ふさ)の如き白苔(しらごけ)の長さ七八寸も有て、全く白髮(しらが)の如くにして、小枝などは圖のごとく双方へ見事に下(さが)り居(をり)たるも多く、又、生懸(はえかか)りなども有。同じ地續きにても、垣一重(ひとへ)隔たる隣家の雜木(ざふき)には更になく、右寺中にても、墓所などに生居(はえをり)たる木には少しもなし。その諸木と云(いふ)は、紅葉(もみぢ)・躑躅(つつじ)・柘植(つげ)・わくらなど色々あれども、いづれの木にも生居たり。全く地氣(ぢき)の然らしむるところなるか。珍敷事ゆゑ、心を留(とめ)て見來り置しなり。前文と、先(まづ)、似よりたる事とて、名古屋鶴重町眞廣寺の老僧の物語りなり。是を以て見る時は、か樣の類(たぐひ)は、隨分、諸國に有(あり)て珍敷からぬ事成(なる)歟(か)。聞(きき)まほし。
[やぶちゃん注:「麁朶」「粗朶」とも書く。切り取った木の枝。薪や諸対象の支えとしての添え木などに用いる。
「春日井郡水野村」現在の愛知県瀬戸市のこの附近(グーグル・マップ・データ)。
「接骨木(にはとこ)」マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属亜種ニワトコ Sambucus sieboldiana var. pinnatisecta。この木は民俗学的には興味深い木なのであるが、「似たる」なのでこれ以上は注さない。
「長き女の髮の毛の樣なるもの」これは恐らく、古くから「山姥の髪の毛(やまんばのかみのけ)」と呼ばれているキノコ類のライフ・サイクルに於ける一形態(器官)である「根状菌糸束(こんじょうきんしそく)」であろう。木に女の髮の毛が生えるとして、しばしば怨念話などを附会させた怪談として今でも聴くが、「株式会社キノックス」公式サイト内の「きのこの雑学」のこちらに以下のようにある。『ヤマンバノカミノケ(山姥の髪の毛)とは、特定のきのこ(子実体)を指す名前ではなく、樹木(小枝)や落葉上に「根状菌糸束」』(一般のキノコ類が我々が「きのこ」と呼んでいる、目に見える一般的にあの傘を持った子実体を形成する前段階として、地中や樹皮下等に形成されるもので、白色・褐色・黒色を呈し、直径数ミリメートルの紐状・糸状・根状のもの)『と呼ばれる独特の黒い光沢を持った太くて硬いひも状の菌糸の束に対して、伝説の奥山に棲む老婆の妖怪である「山姥(ヤマンバ)」の髪の毛になぞらえて命名されたもの』だとある。『この黒色の根状菌糸束を形成するきのこには、ホウライタケ属』(菌界担子菌門菌蕈(きんじ)亜門真正担子菌綱ハラタケ目ホウライタケ科ホウライタケ属
Marasmius)『やナラタケ属』(ハラタケ目キシメジ科ナラタケ属 Armillaria)、『さらには子のう菌であるマメザヤタケ属』(子嚢菌門チャワンタケ亜門フンタマカビ綱クロサイワイタケ亜綱クロサイワイタケ目クロサイワイタケ科マメザヤタケ属 Xylaria)『のきのこが含まれ、林内一面に網目状に伸びることもあれば、数メートルの長さに達するものまであ』る、とある。『通常、きのこの菌糸は乾燥に弱い』『が、ヤマンバノカミノケと呼ばれる菌糸束は細胞壁の厚い丈夫な菌糸が束の外側を保護していることから、乾燥や他の微生物からの攻撃に対して強靭な構造となってい』るとし、さらに『ヤマンバノカミノケの子実体を発見し、根状菌糸束であることを日本で始めて明らかにしたのは、世界的な博物学者として知られている南方熊楠で』あると記す(下線やぶちゃん。因みに、私は「南方熊楠」の電子化注も手掛けている)。『ヤマンバノカミノケは丈夫で腐り難いことから、アフリカのギニヤやマレー半島の原住民などは織物に利用しており、日本では半永久的に光沢があることから、神社やお寺などの「宝物」として奉納しているところもあるよう』だともある。あくまで怪談でないと御不満な方は、例えば、個人ブログ「俊平の雑学研究所」の「柿の木に生える恨みの髪の毛」などを、どうぞ。個人的にはこの「木の断面から髪の毛???」などはホンマに髪の毛に見えるで!
「文政八年」一八二五年。
「參州岡崎」旧三河国のほぼ中央に位置する、現在の愛知県岡崎市。
「大西村」現在の愛知県岡崎市大西。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「德性寺」同岡崎市大西一丁目七番地五に「徳正(とくしょう)寺」という浄土真宗の寺なら、現存する。
「平地御坊」「ひらちごばう」。旧岡崎城南西近くの岡崎市美合町(みあいちょう)にある浄土真宗本宗寺の別称。平地山の麓にあったかららしい。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「細き總(ふさ)の如き白苔(しらごけ)」子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目ウメノキゴケ科サルオガセ属 Usnea を見当にしてみたが、どうも画像を見る限り、それらしくないし、ロケーション(棲息域)もどうも同属が分布する場所としては相応しくない気がする。寧ろ、先の根状菌糸束は白いものの方が一般的のようだから、それを第一同定候補としておく。他にピンとくるものがあればお教え願いたい。
「名古屋鶴重町」現在の愛知県名古屋市中区錦三丁目。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「眞廣寺」現在の中区新栄に同名の寺があり、ここ(グーグル・マップ・データ)は旧鶴重町とは近いことは近い。宗派も同じく浄土真宗。]
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