いのちのみちを……… 山村暮鳥
いのちのみちを………
いのちのみちをここまで
俺は踏みつけてきた
俺と一しよに
妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
おお神よ
凡てが正しい
とは俺達にしてほんとの言葉だ
俺達をとりまく
此の怖しいくらがり
此のひどいぬかるみ
纖弱い妻はあかんぼを背負ひ
子どもは血のだらだらとながれる足を引摺つてゐるのだ
みよ、俺達の上に
またしても俺達をめがけて
おお此の莊嚴さは
野獸のやうにのしかかるあらし
いのちのみちをここまで
俺はふみつけてきた
俺と一しよに
妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
俺達のうしろで
うようよと蛆蟲のやうに相集まり
俺達を罵るこゑごゑ
それがなんだ
そんなことで捩ぢ向けられるやうな此の首ではない
くるしみよ
一ど踏みつけてきた道を
どんなことがあらうと
くたばつても
二どとふまないつむじ曲りの俺
その俺の妻や子どもだ
それがどんなに美しくも
またそれがどんなに
大きな平和と幸福にみちた世界であらうとも
過ぎさつたものが何になるのだ
なんでもない
なんでもない
俺は前方をにらんでゐるのだ
どんなものでも來い
なんでもない
渦卷くあらし
おお人間の生きのくるしみ
前方からくるものばかりが力だ
打て!
それは俺達を強める
そればかりが愛で俺達を一ツ塊りにするのだ
いのちのみちをここまで
俺はふみつけてきた
俺と一しよに
妻や子どもも俺のあとからふみつけてきた
おお人間の生きのくるしみ
絶間なくかぎりなきくるしみ
その中で
俺の手は空ツぽだ
手にあるものはながくも伸びた爪ばつかり
だが俺はびくともしない
俺には鐵のやうな意志があるのだ
それから、みよ
それで前方を睨んでゐる
太陽のやうな二つの眼球と
[やぶちゃん注:標題下のリーダは彌生書房版全詩集版では六点。太字は原典では傍点「ヽ」。最終行の助詞「と」とその雰囲気からは未刊途絶作のように読める。
「纖弱い」前例ルビに徴すれば「かよはい」。
「そればかりが愛で俺達を一ツ塊りにするのだ」彌生書房版全詩集版は「そればかりが愛で俺達を一ツ塊にするのだ」と「り」が送られていない。]