大光明頌榮 山村暮鳥
大光明頌榮
ひかりよ
ひかりよ
いまこそ萬物の季節である
ひかりよ
ひかりよ
よびいだせ
夜より
朝を
朝より
いのちを
ちからを
そして望みを
よびいだせ
あらゆるものを
土の中なる
みどりの芽を
芽よりは
花を
花よりは芬香(いばり)を、また
枝々もたわむばかりの善き果實(このみ)を
森または谿間よりは
小鳥を
小鳥よりは
ほがらかなる聲の唄を
海底よりは
魚の群を
光よ
光よ
よびいだせ
さらに、また
その悲しみと苦しみとよりは
ひとびとを
そのひとびとの蒼ざめたる靈魂(たましひ)を
よびいだせ
この蒼穹(あをぞら)のしたに
この美しき地上に
おう、いのちある
ありとあらゆるすべてのものよ
太陽のもとにあつまれ、と
[やぶちゃん注:「大光明頌榮」「光明頌榮」は既出既注であるが、再掲する。「こうみやうしようえい(こうみょうしょうえい)」で、「頌榮」はラテン語の“doxologia”(英語:doxology)で、キリスト教で、様々な典礼で行われる「三位一体への讃美」に於いて歌われる賛美歌及びそこで唱えられる祈禱文を指す。本来は聖務日課で詩篇や聖書中の賛歌(カンティクム)が唱えられた後に付け添えられたものである。これは旧約聖書中にある自由奔放な詩歌をキリスト教での利用に適したものに作り変えたものであるらしい(ウィキの「頌栄」に拠る。詳しい祈禱文等はリンク先を参照されたい)。文字列は「光り輝く神の絶対の大いなる栄光」といった謂い。
「芬香(いばり)」漢字熟語としても「芬香」は多くは草花のこうばしい香りを指す。問題はルビの「いばり」でこれは小便以外の意味は基本、ない。ただ、考えてみるとこの上代以来の「ゆまり」「ゆばり」は「湯放」の意で、勢いよく動物が放つ暖かいそれは、まさに生命のシンボルであり、動物とは異なる生態システムに於けるかぐわしい芳香発散を植物の「いばり」(尿)と読み換えることは私には極めて腑に落ちるものではある。
「よびいだせ」この独立一行連が、彌生書房版全詩集版では空行なしで次の「この蒼穹(あをぞら)のしたに」「この美しき地上に」で三行一連を構成している。即ち、そちらでは全体が一連減って十三連構成となっている。]

