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2017/04/29

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その3)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 眞夏の庭園は茂るがままであつた。

 すべての樹は、土の中ふかく出來るだけ根を張つて、そこから土の力を汲み上げ、葉を彼等の體中一面に着けて、太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居るのであつた――松は松として生き、櫻は櫻として、槇は槇として生きた。出來るだけ多く太陽の光を浴びて、己を大きくするために、彼等は枝を突き延した。互に各の意志を遂げて居る間に、各の枝は重り合ひ、ぶつかり合ひ、絡み合ひ、犇き合つた。自分達ばかりが、太陽の寵遇を得るためには、他の何物をも顧慮しては居られなかつた。さうして、日光を享けることの出來なくなつた枝は日に日に細つて行つた。一本の小さな松は、杉の下で赤く枯れて居た。榊の生垣は背丈けが不揃ひになつて、その一列になつて、その頭の線が不恰好にうねつて居る。それは日のあたるところだけが生い茂り丈が延びて、諸の大きな樹の下に覆はれて日蔭になつた部分は、落凹んで了つたからであつた。又、それの或る部分は葉を生かすことが出來なくなつて、恰も城壁の覗き窓ほどの穴が、ぽつかりと開いて居るところもあつた。或る部分は分厚に葉が重り合つてまるく圓つて繁つて居るところもあつた。或る箇所は全く中斷されて居るのである。といふのは、丁度その生垣に沿うて植ゑられた大樹の松に覆ひ隱されて、そればかりか、垣根の眞中から不意に生ひ出して來た野生の藤蔓が、人間の拇指よりももつと太い蔓になつて、生垣を突分け、その大樹の松の幹を、恰も虜(とりこ)を捕へた綱のやうに、ぐるぐる卷きに卷きながら攣ぢ登つて、その見上げるばかりの梢の梢まで登り盡して、それでまだ滿足出來ないとみえる――その卷蔓は、空の方へ、身を悶えながらもの狂おしい手の指のやうに、何もないものを捉へやうとしてあせり立つて居るのであつた。その卷蔓のうちの一つは、松の隣りのその松よりも一際高い櫻の木へ這ひ渡つて、仲間のどれよりも迥に高く、空に向つて延びて居た。又、庭の別の一隅では、梅の新らしい枝が直立して長く高く、譬へば天を刺かこうとする槍のように突立つて居るのであつた。甞ては菊畑であつた軟かい土には、根强く蔓つた雜草があつて、それは何處か竹に似た形と性質とを持つた强さうな草であつた。それの硬い莖と葉とは土の表面を網目に編みながら這うて、自分の領土を確實にするためにその節のあるところから一一根を下して、八方へ擴がつて居た。試にその一部分をとつて、根引にしやうとすると、その房々した無數の細い根は黑い砂まじりの土を、丁度人間が手でつかみ上げるほどづつ持上げて來る。これが彼等の生きようとする意志である。又、「夏」の萬物に命ずる燃ゆるやうな姿である。かく繁りに茂つた枝と葉とを持つた雜多な草木は、庭全體として言へば、丁度、狂人の鉛色な額に垂れかかつた放埒な髮の毛を見るやうに陰鬱であつた。それ等の草木は或る不可見な重量をもつて、さほど廣くない庭を上から壓し、その中央にある建物を周圍から遠卷きして押迫つて來るやうにも感じられた。

[やぶちゃん注:「太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居るのであつた――」は底本では「太陽の光を思ふ存分に汲ひ込んで居るのであつた――」で「汲ひ」は読めない。「吸ひ」の誤植と断じ、定本に従い、訂した。

「一本の小さな松は、杉の下で赤く枯れて居た。」は底本では句点がなく、以下と続いてしまっていておかしい。句点の脱字と断じて、定本に従い、句点を挿入した。

「迥に」「はるかに」。

「蔓つた」「はびこつた」。]

 併し、凄く恐ろしい感じを彼に與へたものは、自然の持つて居るこの暴力的な意志ではなかつた。反つて、この混亂のなかに絕え絕えになつて殘つて居る人工の一縷の典雅であつた。それは或る意志の幽靈である。かの拔目のない植木屋が、この庭園から殆んどその全部を奪ひ去つたとは言へ、今に未だ遺されて居るもののなかにも、確に、故人の花つくりの翁の道樂を偲ばずには置かないものが一つながら目につくのである。自然の力も、未だそれを全く匿し去ることは出來なかつた。例へば、もとはこんもりと棗形(なつめなり)に刈り込まれて居たであらうと思へる白斑(しらふ)入りの羅漢柏(あすならう)である。それは門から玄關への途中にある。それから又、座敷から厠を隱した山茶花がある。それの下の沈丁花がある。鉢をふせたやうな形に造つた霧嶋躑躅の幾株かがある。大きな葉が暑さのために萎れ、その蔭に大輪の花が枯れ萎びて居る年經た紫陽花がある。それらのものは巨人が激怒に任せて投げつけたやうな亂雜な庭のところどころにあつて、白木蓮、沈丁花、玉椿、秋海棠、梅、芙蓉、古木の高野槇、山茶花、萩、蘭の鉢、大きな自然石、むくむくと盛上つた靑苔、枝垂櫻、黑竹、常夏、花柘榴の大木、それに水の近くには鳶尾、其他のものが、程よく按排され、人の手で愛まれて居たその當時の夢を、北方の蠻人よりももつと亂暴な自然の蹂躙(じゆうりん)に任されて顧る人とてもない今日に、その夢を未だ見果てずに居るかと思へるのである。よし、庭の何處の隅にもそんなものの一株もなかつたとしたところが、門口にかぶさりかかつた一幹の松の枝ぶりからでも、それが今日でこそ徒らに硬(かた)く太く長い針の葉をぎつしりと身に着けていながらも、曾ては人の手が、懇にその枝を勞はり葉を揃へ、幹を撫ぜたものであつたことは、誰も容易に承認するのであらう。實は、それの持主である小學校長は、この次にはその松を賣らうと考へて、この松だけはこん度の貸家人が植木屋を呼ぶときには、根まはりもさせ鬼葉もとらせて置かうと思つて居るのであつた。

[やぶちゃん注:「今に未だ遺されて居るもののなかにも」底本では「未だ」が「未た」であるが、誤植と判断して「だ」とした。猶、先例に徴すると、この「未だ」は、これで「まだ」と訓じているものと思われる。

「羅漢門マツ門マツ綱マツ目ヒノキ科アスナロ属アスナロ Thujopsis dolabrata の漢名。和名は漢字表記では「翌檜」「明日檜」などと記す。

「霧嶋躑躅」ビワモドキ亜綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属キリシマツツジ(霧島躑躅)Rhododendron × obtusum。九州に自生するヤマツツジ(ツツジ属ヤマツツジ Rhododendron kaempferi var. kaempferi)とミヤマキリシマ(深山霧島)(ツツジ属ミヤマキリシマ Rhododendron kiusianum)との交配種と言われ、江戸時代の寛永年間(一六二四年~一六四四年)に薩摩で園芸品種として交配作出されたと考えられており、当然、自生品はないとされる。秋から冬にかけて紅葉する。因みに、佐藤が知っていたかどうかは判らぬが、属名のRhododendronはギリシャ語の「rhodon(バラ)+dendron(樹木)」の合成語で、「紅色の花をつける木」という意味である(種小名dobtusumは「円味を帯びた」の意)。

「巨人が激怒に任せて」底本は「巨人が激怒に狂せて」。「か」は間違いなく誤植で、「狂せて」は「くるはせて」では表現がおかしく、これも「任」の誤植と断じ、その通りになっている定本によって訂した。

「高野槇」マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目コウヤマキ科 コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata。日本及び韓国済州島の固有種で一属一種。勘違いしてはいけないのが、我々が通常、呼称している「槇(まき)」はマツ目マキ科 Podocarpaceae に属する球果植物の総称(「マキ」という種は存在しない。代表種はマキ科マキ属イヌマキPodocarpus macrophyllus である)であって、本種とは科レベルで異なる全くの別種であることである。

「芙蓉」ビワモドキ亜綱アオイ目アオイ科 Malvoideae 亜科フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis。なお、これ以下は、前にこの庭が語られた際に出てきていない種についてのみ注した。

「萩」マメ目マメ科マメ亜科ヌスビトハギ連ハギ亜連ハギ属 Lespedeza のハギ類の総称であるが、最も一般的に我々が見るそれはハギ属ミヤギノハギ(宮城野萩)Lespedeza thunbergii である。

「常夏」「とこなつ」と読み、これはナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク変種(品種)トコナツ Dianthus chinensis var. semperflorens のこと。花弁が濃紅色を呈し、しかも四季を通じて開花することからこの名を持つ。

「鳶尾」「いちはつ」と読む。単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属イチハツ(一初)Iris tectorumウィキの「イチハツ」によれば、『外花被片に濃紫色の斑点が散らばり、基部から中央にかけて白色のとさか状の突起がある』。『中国原産の植物で、古く室町時代に渡来し、観賞用として栽培されてきた。昔は農家の茅葺屋根の棟の上に植える風習があったが、最近は少なくなった』。本来は園芸種であるが、『野生化しているものもある』。『種小名の tectorum は、「屋根の」という意味。アヤメの類で一番先に咲くので、「一初(イチハツ)」の名がある』とある。

「按排」「あんばい」。案配。程よく調和的に配置されていること。

「愛まれて」「いつくしまれて」。

「根まはり」小学校校長はこの松を売ると言っているから、これは所謂、樹木を移植するに先立ち準備する作業としての「根回(まわ)し」のことであろう。ウィキの「根回し」によれば、『成長した樹木を移植する場合、根系を傷めることから、活着できずに枯死したり』、『生育不良に陥る場合が多い。これを避けるために、半年前から』一『年程度前に、根元近くの太い根を切断し、切断部周辺から活発な新しい根の生育を促す。新しい根は、水分や養分をより活発に吸収することから、移植先でも活着することが期待できる。根切りの部位は適切に判断しないと、移植する前に樹木が衰微することもあるので、慎重に行う必要がある』とある。因みに、我々が使うあの厭な言葉、『物事を行う際に事前に関係者からの了承を得ておくこと(下打ち合わせや事前交渉などの段取り)』の意の「根回し」はこれが語源である。

「鬼葉」植木などで、刈り込むべき形や生育によくない無駄な葉を指す。小学館の「日本国語大辞典」には見出して出るが、その用例はまさにこの作品のここである。]

 故人の遺志を、偉大なそれであるからして時には殘忍にも思へる自然と運命との力が、どんな風にぐんぐん破壞し去つたかを見よ。それ等の遺された木は、庭は、自然の溌溂たる野蠻な力でもなく、また人工のアアティフィシャルな形式でもなかつた。反つて、この兩樣の無雜作な不統一な混合であつた。さうしてそのなかに精は醜さといふよりも寧ろ故もなく凄然たるものがあつた。この家の新らしい主人は、木の影に佇んで、この庭園の夏に見入つた。さて何かに怯かされて居るのを感じた。瞬間的な或る恐怖がふと彼の裡(うち)に過ぎたやうに思ふ。さてそれが何であつたかは彼自身でも知らない。それを捉へる間(ひま)もないほどそれは速かに閃き過ぎたからである。けれどもそれが不思議にも、精神的といふよりも寧ろ官能的な、動物の抱くであらうやうな恐怖であつたと思へた。

[やぶちゃん注:「アアティフィシャル」“artificial”“natural”の対義語。「人造の・人工的な・模造の・造りものの」、「不自然な・偽りの・わざとらしい」、「(人や文体などの対象の持つ)気取った・気障なといったナイマス印象」を指す。]

 彼は、その日、少時(しばらく)、新らしい住家のこの凄まじく哀れな庭の中を木かげを傳うて、步き𢌞つてみた。

 家の側面にある白樫の下には、蟻が、黑い長い一列になつて進軍して居るのであつた。彼等の或るものは大きな家寶である食糧を擔いで居た。少し大きな形の蟻がそこらにまくばつて居て、彼等に命令して居るやうにも見える。彼等は出會ふときには、會釋をするやうに、或は噂をし合うやうに、或は言傳を托して居るやうに兩方から立停つて頭をつき合せて居る。これはよくある蟻の轉宅であつた。彼は蹲(うづく)まつて、小さい隊商を凝視した。さうして暫くの間、彼は彼等から子供らしい樂を得させられた。永い年月の間、かういふものを見なかつた事や、若し目に入つたにしても見やうともしなかつたであらう事に、彼は初めて氣づいた。さう言へば、幼年の日以來――あの頃は、外の子供一倍そんなものを樂み耽つて居たにも拘らず、その思ひ出さへも忘れて居た――落ちついて、月を仰いだこともなければ、鳥を見たこともなかつた。そんな事に氣附いた事が、彼を妙に悲しく、また喜ばしくした。さういふ心を抱きながら臺所から立上つて、步み出さうとすると、ふと目に入つたのは、その白樫の幹に道化た態(なり)をして、牙のやうな形の大きな前足をそこへ突立てて嚙(かぢ)りついて居る蟬の脫殼だつた。それは背中のまんなかからぱつくり裂けた、赤くぴかぴかした小さな鎧であつた。なおその幹をよく見て居ると、その脱殼から三四寸ほど上のところに、一疋の蟬が凝乎(ぢつ)として居るのを發見することが出來た。それは人のけはいに驚く風もないのは無理もない。その蟬は今生れたばかりだといふ事は一目に解つた。この蟲はかうして身動(みじろ)ぎもせず凝乎としたまま、今、靜かに空氣の神祕にふれて居るのであつた。その軟かな未だ完成しない羽、は言ふばかりなく可憐で、痛々しく、小さくちぢかんで居た。ただそれの綠色の筋ばかりがひどく目立つた。それは爽やかな快活なみどり色で、彼の聯想は白く割れた種子を裂開いて突出した豆の双葉の芽を、ありありと思ひ浮べさせた。それはただにその色ばかりではなく、羽全體が植物の芽生に髣髴して居た。生れ出すものには、蟲と草との相違はありながら、或る共通な、或る姿がその中に啓示されて居るのを彼は見た。自然そのものには何の法則もないかも知れぬ。けれども少くもそれから、人はそれぞれの法則を、自分の好きなやうに看取することが出來るのであつた。尙ほ熟視すると、この蟲の平たい頭の丁度眞中あたりに、極く微小な、紅玉色で、それよりももつと燦然たる何ものかが、いみじくも縷められて居るのであつた。その寶玉的な何ものかは、科學の上では何であるか(單眼といふものででもあらう)彼はそれに就て知るべくもなかつた。けれどもその美しさに就ては、彼自身こそ他の何人より知つてゐると思つた。その美しさはこの小さなとるにも足らぬ蟲の誕生を、彼をして神聖なものに感じさせ、禮拜させるためには、就中、非常に有力であつた。

[やぶちゃん注:「白樫」「しらかし」。ブナ目ブナ科コナラ属シラカシ Quercus myrsinaefolia

「そこらにまくばつて居て」「まくばつて」は「間配つて」で「まくばる」とは「適当な間隔をおいて配置する・配分する」という意の動詞。定本では「まくばられてゐて」(新潮文庫版の新仮名を歴史的仮名遣に変えた。以下、この注は略す)と変えられてある。

「子供らしい樂」の「樂」は「たのしみ」。定本にはそのようにルビも振る。

「道化た」「おどけた」。

「身動(みじろ)ぎ」底本は「身動(みじろ)き」と清音。清音でもよいかと思ったが、平安まで遡らないと一般的には清音使用は見られず、「日本国語大辞典」には、『古くは「みじろく」か』と推定記載しかないので、定本に従い、「ぎ」に改めた。

「その軟かな未だ完成しない羽、は全體は乳色で」読点はママ。誤植の可能性が極めて高いのであるが、底本では、行末の本来、組まない(組めない)箇所に敢えて飛び出て打たれてあり、これは確信犯の可能性を排除出来ぬので敢えてママとした。但し、定本では存在しない。

「ただそれの綠色の筋ばかりがひどく目立つた」私の教え子の知人が撮ったこの写真を参照されたい。

「縷められて居る」「ちりばめられてゐる」。

「單眼」セミは一対の複眼以外にその複眼の間に小さな逆三角形の頂点状の三つの単眼を持つ。羽化したてのそれは水滴のように透明であるが、直きに紅いルビー色に輝くようになる。神奈川県立の「愛川ふれあいの村」のブログのこちらの、この画像(羽化直後)とこの画像(その後)が判りやすい。Q&Aサイトの回答に、一般にセミの単眼は鳴くための時間帯を光によって知覚するためと考えられているようであるが、それだけの目的ならば複眼だけで十分に機能するように思われる。セミは羽化して成虫となると、殆んどの時間を移動飛行に費やすことから、この単眼は寧ろ、飛行の補助や後背方向の監視のために必要なものと考えるべきであろうといったような主旨(「補助や後背方向の監視のため」というのは私の敷衍解釈なので注意されたい)の記述があったことを紹介しておく。

「彼自身こそ他の何人より知つてゐると思つた」ワ行の「ゐ」が本作本文で最初に現われるのは、ここが初めてである。ここまでの「ゐる」は総て「居る」と漢字表記している。これは種々の電子化を手がけてきた私の経験上の印象からの推理であるが、佐藤春夫は少なくともこの頃、ワ行の平仮名「ゐ」の字形を生理的に好まなかったのではないかと考えている。]

 彼のあるか無いかの知識のなかに、蟬といふものは二十年目位にやつと成蟲になるといふやうなことを何日(いつ)か何處(どこ)かで、多分農學生か誰かから聞き嚙つたことがあつたのを思ひ出した。おゝ、この小さな蟲が、唯一語に蛙鳴蟬騒と呼ばれて居るほど、人間には無意味に見える一生をするために、彼自身の年齡に殆んど近いほど、年を經て居やうとは!さうして彼等の命は僅に數日であらうとは!自然は今更に自然の不思議を感じた。(蟬ははかない。けれども人間の雄辯な代議士の一生が蟬ではないと、誰か言はうぞ。)

[やぶちゃん注:「蛙鳴蟬騷」「あめいせんさう(あめいせんそう)」。一般には「騷」ではなく「噪」の字が使われることが多い。蛙や蟬が喧(やkま)しく鳴くように、騒がしいだけで、何の役にも立たないという意から転じて、無駄な表現が多くて内容の乏しい意味のない議論や下手な文章を比喩する語として用いられる。語源は蘇軾の詩「出都來陳。所乘船上有題小詩八首」という詩の中の一節、「蛙鳴靑草泊 蟬噪垂楊浦」(蛙は鳴く 靑草(せいさう)の泊(はく) 蟬は噪ぐ垂楊(すいやう)の浦(ほ))に基づくとされる。]

 蟬の羽は見て居るうちに、目に見えて、そのちぢくれが引延ばされた。同時にそれの半透明な乳白色は、刻々に少しづつ併し確實に無色で透明なものに變化して來るのであつた。さうしてあの芽生のやうに爽快ではあるけれどもひ弱げな綠も、それに應じて段々と黑ずんで、恰も若草の綠が常磐木のそれになるやうな、或る現實的强さが、瞭かに其處にも現れつつあるのであつた。彼はこれ等のものを二十分あまりも眺めつくして居る間に――それは寧ろある病的な綿密(めんみつ)さであつた――自づと息が迫るやうな嚴肅を感じて來た。

 突然、彼は自分の心にむかつて言つた。

「見よ、この小さなものが生れるためにでも、此處にこれだけの忍耐がある!」

 それから重ねて言つた。

「この小さな蟲は己だ!蟬よ、どうぞ早く飛立て!」

 彼の奇妙な祈禱(きとう)はこんな風にして行はれた。この時のみならず常にかうして行はれてあつた。

[やぶちゃん注:「常磐木」「ときはぎ」。ガリア目ガリア科アオキ属アオキ変種アオキ Aucuba japonica var. japonica。日本原産種。

「瞭かに」「あきらかに」。]

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