ある時(七篇) 山村暮鳥
ある時
遠い遠い
むかしの日よ
これも郷愁の一つである
片脚を
わたしの手にのこして
草のなかにかくれた
あの機蟲(ばつた)よ
おなじく
竹籔のうへに
ぽつかりと月がでた
笹の葉かげに
こつそりと
かくれてでもゐたように
あれ
さらさらと
笹のみどりに搖れてゐる
[やぶちゃん注:「ように」はママ。]
おなじく
いい月だ
路傍(みちばた)にたつてゐる石まで
しみじみ
撫でてでもやりたいような
[やぶちゃん注:「ような」はママ。]
おなじく
蟬もまた
閑寂をこのむものか
その聲を天心からふらして
月の夜など……
おなじく
松にも
椎にも
ほのかな風の翳がある
しいんとして……
月の匂ひが
とめどなく
ながれる
おなじく
ないてゐるのは
松の梢のてつぺんだ
だが、それは
蟬でもない
月でもない
おなじく
晝だのに
月がでてゐる
しんしんと
霧でもふらすやうな蟬だ
あの月の中でないてゐるのか