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2017/04/01

鱚に   山村暮鳥

 

  鱚に

 

日あたりに

頭だけずらりと列べ

おもひおもひに寢轉がされてゐる鱚よ

そしてほしつけられてゐる鱚よ

そんなにぱつちりとあけてゐながら

おまへたちの目にはもうなんにもうつらないのか

まだ、どんなものでもはつきりとみえるやうではないか

これが蒼々としたあの大海の中で

ぴちぴちはねてゐるときであつたら

わたしらをみたら

みるよりはやく

すぐ藻か磯岩のかげにひらりとかくれてもしまふだらうに

 

鱚よ

鱚よ

おまへたちはもうなんといつても此の世のものではないのだ

だがおまへたちだつて生きものであつたからには

やつぱり、わたしら人間の或るもののやうに

來世とか天國とかいふやうなことを信じてゐたかもしれない

そんなことがあるものかと誰に言へやう

それともそんなことには一切頓着なく

ただもう生きてゐることだけを

ただそれだけをたのしんでゐたか

何はともあれ

おまへたち魚類にとつては

網や釣で

その大海からひきあげられるほど

それほどおそろしいことはないのだ

だからといつて、いまさら

漁夫達をうらんでもゐないだらう

うらんだつてどうなるものか

彼等だつて

殺生はしたくないんだ

だが彼等とてくらしをたててゆかねばならない

妻や子どもやとしよりたちをやしなはねばならない

それには自分の小さい時から

ならひおぼえたその仕事で

その日その日の稼ぎをするほかないではないか

 

おう、出刃庖丁で鱗をひかれ

腸をむしりとられて

ぽつかり口をあけてゐるもの

または、それをばかたく食ひしばつてゐるもの

自分はそこに

おまへたち銘々の

その斷末魔のくるしかつたおもひを見る

 

はるだ

はるだ

わけてもけふはからりと凪ぎた

それはそれはいい日だ

遠いとほい汐鳴りまでがいかにものんびりと

ここまでその靜かさをおくつてゐる

 

ああ、鱚よ、おまへたちも

ゆふべまでは

あそこに、たのしく、たのしく

みんなと一しよに泳ぎまはつてゐたのであつたな

も一どおまへたちにきかせたいものだとおもふ

あのとろりとろりと

くすぐるやうにくづれる波の音を

あの氣味惡いほどなめらかな

まるでぺらぺらと舐めずるやうな

麗かな海のささやきを

 

鱚よ、鱚よ

おまへら魚類は死んでも

そして日向で干しつけられても

どうしても目だけはぱつちりとつぶらないの

そうだらう

そうだらう

それほど生きていたいんだな

それが自分にもわかるやうな氣がする

 

[やぶちゃん注:「そんなことがあるものかと誰に言へやう」はママ。

「鱚」山村暮鳥が詩篇登場させたがる好きな海水魚。条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目キス科 Sillaginidae のキス類の総称であるが、普通はキス科キス属シロギス Sillago japonica を海釣りで正道とする。なお、硬骨魚は基本的には睡眠することを主とするような光りを遮るための「瞼(まぶた)」は持たない。但し、一部の広義の魚類では、睡眠時、或いは、水流や障害物や他者からの攻撃などに対し、眼球を保護するための「瞼」様(よう)の物を持つ種群は存在する。例えば最も有名なものはフグ類(条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目フグ目 Tetraodontiformes)のフグ科(Tetraodontidae)のかなりの種群が眼球の周囲の皮膚が変形した「油瞼(ゆけん)」という膜で目を覆うことが出来る(但し、我々の瞼のようにパチパチと瞬時に開閉するのではなく、十数秒かけて開閉する)。またフグ科ではないが、かのマンボウ(フグ亜目マンボウ科マンボウ属マンボウ Mola mola)は瞬膜を持っていてしばしば飼育している水族館などでは観客がウィンクをしたなどと騒ぐことがある(私も見たことがある)。また、サメやエイなどの軟骨魚(板鰓亜綱 Elasmobranchii)に属する種群には、下からせり上がるか上下からの瞼或いは別に瞬膜を持つものがかなり多い(これらは眼球保護目的が殆んどと思われる)。他に、ボラ(条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus)やその仲間の中には、眼球とその周辺が、厚い透明な膜に覆われている種がおり、これを「脂瞼(しけん)」と呼ぶが、これはやはり眼球保護のための言わば「コンタクト・レンズ」状の器官であって、部分的に穴が開孔しており、人間のような皮膚由来の「瞼」とは全くの別物である。

「かたく食ひしばつてゐるもの」彌生書房版全詩集版では「かたく食ひ縛つてゐるもの」と漢字表記している。

「麗かな」「うららかな」。

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  鱚に

 

日あたりに

頭だけずらりと列べ

おもひおもひに寢轉がされてゐる鱚よ

そしてほしつけられてゐる鱚よ

そんなにぱつちりとあけてゐながら

おまへたちの目にはもうなんにもうつらないのか

まだ、どんなものでもはつきりとみえるやうではないか

これが蒼々としたあの大海の中で

ぴちぴちはねてゐるときであつたら

わたしらをみたら

みるよりはやく

すぐ藻か磯岩のかげにひらりとかくれてもしまふだらうに

 

鱚よ

鱚よ

おまへたちはもうなんといつても此の世のものではないのだ

だがおまへたちだつて生きものであつたからには

やつぱり、わたしら人間の或るもののやうに

來世とか天國とかいふやうなことを信じてゐたかもしれない

そんなことがあるものかと誰に言へよう

それともそんなことには一切頓着なく

ただもう生きてゐることだけを

ただそれだけをたのしんでゐたか

何はともあれ

おまへたち魚類にとつては

網や釣で

その大海からひきあげられるほど

それほどおそろしいことはないのだ

だからといつて、いまさら

漁夫達をうらんでもゐないだらう

うらんだつてどうなるものか

彼等だつて

殺生はしたくないんだ

だが彼等とてくらしをたててゆかねばならない

妻や子どもやとしよりたちをやしなはねばならない

それには自分の小さい時から

ならひおぼえたその仕事で

その日その日の稼ぎをするほかないではないか

 

おう、出刃庖丁で鱗をひかれ

腸をむしりとられて

ぽつかり口をあけてゐるもの

または、それをばかたく食ひ縛つてゐるもの

自分はそこに

おまへたち銘々の

その斷末魔のくるしかつたおもひを見る

 

はるだ

はるだ

わけてもけふはからりと凪ぎた

それはそれはいい日だ

遠いとほい汐鳴りまでがいかにものんびりと

ここまでその靜かさをおくつてゐる

 

ああ、鱚よ、おまへたちも

ゆふべまでは

あそこに、たのしく、たのしく

みんなと一しよに泳ぎまはつてゐたのであつたな

も一どおまへたちにきかせたいものだとおもふ

あのとろりとろりと

くすぐるやうにくづれる波の音を

あの氣味惡いほどなめらかな

まるでぺらぺらと舐めずるやうな

麗かな海のささやきを

 

鱚よ、鱚よ

おまへら魚類は死んでも

そして日向で干しつけられても

どうしても目だけはぱつちりとつぶらないの

そうだらう

そうだらう

それほど生きていたいんだな

それが自分にもわかるやうな氣がする

 

   *]

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