この鴉を見ろ 山村暮鳥
この鴉を見ろ
とつぷりと日はくれて
しづまりかへつた此の大空
何處からともなく
あつまつてきた鴉の群
があがあなきながら
圓を描き
ぐるぐるとみだれめぐる
この鴉をみろ
人は人とてつかれた足をひねもすひきずり
そのゆくすゑさへも知らないのだ
それでも落窪んだその目に
お前達のすがたがうつると
それだけでもすぐに何にかを考へるのだ
ああ大空の鴉ら
空もまつ黑にみえるほどいつしよになつて
ぐるぐるめぐりながら
があがあなく
これが夕の挨拶であるか
かうしてお前達はけふ一日のことをたがひにかたらひ
また明日(あした)のために祝福しあつて
各自(てんで)のねぐらに歸るのか
何といふ立派なことだ
お前達の巣にもかはいい雛が待つてゐるであらう
はやくおかへり
ああ何といふ立派なことだ
[やぶちゃん注:知られる童謡「七つの子」(野口雨情(明治一五(一八八二)年~昭和二〇(一九四五)年:山村暮鳥より二つ年上)・作詞/本居長世(もとおりながよ)・作曲)の真似かいと思われる向きに対して述べおく。「七つの子」は児童文学雑誌『金の船』大正一〇(一九二一)年七月号に発表されたものである。「4」パート内にあるこの詩は、大正八・九年頃の作と編者によって注されてある。即ち、この編者推定が正しいとすれば、この詩篇は雨情の、かの「七つの子」よりも前に創作されたものなのである。但し、ウィキの「七つの子」によれば、『この歌の元歌である「山烏」という詩が』、明治四〇(一九〇七)年頃に『作られており、その中でも「可愛(かわい)七つの、子があれば…」と書かれている』とあるから、或いは、雨情と交流があった暮鳥が、その元詩を読んでいた可能性も充分にある。因みに、雨情の故郷は茨城県多賀郡磯原町(現在の北茨城市)で、山村暮鳥が居た大貫の北北東五十五キロに当たる。]

